渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画ロケ地『道頓堀川』(1982) その2

2022年02月01日 | open
1982年5月。(公開1982年6月)
マンションの窓から覗くまち子
と邦彦。
 
梅の木のママまち子が安岡邦彦に
見せたいものがあると連れて来た
マンションはここ。撮影時も今も
かに道楽の寮。
この建物の4階の角部屋の外に
換気口がある部屋。
まちこは小料理屋梅の木をスポン
サーであるパトロンに返却した。
自分が芸妓の時に水揚げした大
会社の社長で、15年間も両親の
面倒までみてもらっていた。
芸妓のパトロンとは、資力ある
男の妾になるという事だ。
売春婦ではないので、そのパト
ロン(旦那)以外とは肉体関係は
持たない。
まち子もそうで、男はその老人
しか知らなかった。
そのまち子が人生で初めて人を
好きになり、意を決して全ての
蓄えた財産をはたいてこの一部
屋に転居したのだった。
ここで邦彦と一緒に暮らしたい、
と。
全ての人生を縛るつもりはない、
大学を卒業するまでのあと2年
だけでいいから一緒に暮らして
ほしい、と。
 
2021年現在。


道頓堀川沿い、住吉橋の横に
建つ建物だ。


そうして、一緒に暮らす事を
涙ながらに確かめ合う二人だ
った。
しかし、邦彦がこの部屋に戻
る事は二度となかった。
戻りたくとも、戻るための
生命力は強制的に道頓堀の
路上
で突然断たれたのである。
そして、邦彦の命の炎が消え
かかる頃、帰りが遅いと窓から
外を見るまち子は、梅の木で
飼っていて行方不明になって
いた片足が不自由な犬の小太郎
が外でごみをあさって
いるの
を発見する。

目を丸めて大急ぎで外に飛び
出て泥だらけの小太郎
を抱き
締めるまちこ。
もう夜もだいぶ更けて来ている。

「邦ちゃん、遅いねぇ。
帰ってきたら、うんと叱った
ろうねぇ」
抱きしめて
いる柴犬の小太郎
に話しかける
まちこ。
その横をサイレンを鳴らした
パトカーが何台も通り過ぎて
行く。
道頓堀川は、いつものように、

淀みを作りながらゆっくり
ただ流れているのみだった。
 





石原慎太郎氏逝去

2022年02月01日 | open



サヨナラ。
太陽族。



映画ロケ地 『ハスラー』(1961)

2022年02月01日 | open
 
不朽の名作『ハスラー』(1961)
から。
オープニング間もなく、エディ
(ポール・ニューマン)とチャー
リーの二人組は伝説の世界最高
の撞球師であるニューヨークの
ミネソタ・ファッツ(ジャッキー・
グレースン)と対決する為にカリ
フォルニアから車で旅を続けて
いた。
ピッツバーグに向かう道中、車の
メンテで立ち寄った町で、二人は
ビリヤードテーブルがあるグリル
で客と店主を騙してカモる。
さもど素人が酒に酔ったふりを
して、難球を取れるか取れないか
で掛けるのだ。
何度も失敗する。わざと。
そのたびに掛け金を上げて行く。
エディの相方のチャーリーは
「もうよせ。見てられない」と
小芝居を打って更に客と店主を
騙す。
エディはグデングデンの風を装っ
て「これで持ち合わせ全部だ。
どうだ。次の球に掛けてみろ」と
芝居を打つ。
店主が大金を掛けた。
だが、撞球師エディにとっては、
難球に見えるその配置などは、
なんなく取れるくせ玉でしかなか
った。
キューを構えるエディは不敵な
笑いを浮かべながらキューを出す。
 




 そこから物語が始まるのだが、
この作品のメインの舞台となる
NYの大型プールホールのエイムス
は現在は存在しない。
1910年頃のビルで、店内は吹き抜
けで贅沢な階段で上のフロアのプ
レーエリアにも行ける。
全部で玉台は50台近くある大型
店舗だ。今は無い。
日本の東京でも、建物こそ新しい
が似たような超大型店舗があった。
それは国電飯田橋駅のそばで、
ビルの7階まで全階ビリヤード店
だった。今は無い。店名はビリヤ
ード・ジャパンといった。
新宿の風林会館もサムタイムも
スポーツランドも高田馬場の
山水さえも今は無い。
老舗大型店は軒並み閉店している。
昔からの店で現在も存続して
いるのは池袋のピンクビルの
ロサ会館と馬場山水本店と新宿
アシベと渋谷のCUEくらいか。
早大前のビリヤードイナホは
まだやっているようだ。
大昔は箱台だったが、今はブラ
ンズウィックの模様。イナホさん
は1954年創業。

映画『ハスラー』(1961)のオープ
ニングでエディがカモる店。
イリノイ州のワトキンスという町。


そのグリルの建物は現在は空き地
になっている。隣のビルはそのまま
だが廃墟。


駅の待合室で知り合った年が
いった女子大生サラの高層
アパート。


現在。入り口部分は地下に改造
されている。


エディがサラと恋人関係になり、
食事に行ったレストラン。


現在。入り口は1961年のままだ。
 
レストランでサラはシェリーを
頼む。
するとエディは「シェリー!?」
といぶかしがる。そんな気取った
物を頼むのか、という風に。
インテリのサラはふっと笑う。
学校にも行ってなかった無学な
エディはシェリーの酒言葉が
「私をこのあと好きにして」と
いうものである事を知らなかっ
たのだ。
だが、サラはそんな無学だが
自分に正直で直情型のエディ
を愛していたのだった。
このレストランのシーンはかなり
重要。

大勝負の大舞台となる伝説の
撞球師ミネソタ・ファッツ
(ミネソタのデブ)が常連の店、
シカゴのプールホール。
だが、原作と違い、映画ではNY
の実在巨大店舗がロケに使われた。
1961年当時でもかなり古い建物
と古い形式の撞球場であり、映画
製作者はロケハンで玉屋を見つけ
た時
には大喜びしたという。
店名は映画でも実名と変更せずに
AMES(エイムズ)としていた。

2階部分まで直線の階段で外から
入ってくる。このバーバードアの
ようなドアは、日本でも凝った
古めかしいバーや撞球場には多
かったのだが、最近とんと見ない。

店長が出勤した。「時計の遅れを
直しておけ」とボーイの黒人に
指示する。いつも受付にいる男
だが、映画でもすぐに裏世界の
人間というのが判る演出となって
いる。典型的なギャングの表商売
として玉屋のオヤジをやっている。
実はエイムズの本物の店主がカメ
オ出演していて、「バーはないの
か」と言うエディに対し「バー
無し、ピンボールマシン無し、
ボウリングレーン無し、玉撞き
のみ、他は何も無い。これが
エイムズなんだよ、ミスター」
というセリフを言っている。


店のボーイのヘンリー・オービスは
時計を直す。片足を引きづっている
のは、第二次大戦か朝鮮戦争での
負傷なのかもしれない。

午後、エディ・フェルソンが掛け玉
マネージャーの相棒のチャーリーと
共に店にやってくる。


そして、毎日午後8時。
ミネソタ・ファッツが店にやって
来る。時間がずれた事はない。


映画作品で撮影に使われたAMES
の店。現在は存在しない。
これは建物向かいのホテルの一室
からエディが見た風景として作品
中に出てくるカットだ。


映画公開以降の1960年代のAMESが
あった古い建物。

ビリヤード場が閉店してからは雑貨
店がテナントとして入っていたが、
やがて建物は1972年に
解体された。
場所は 60 West 44th Street だ。



右側に女優さんのようなご婦人が
写っているが、そういう街。





この建物、ホテルクラリッヂは
ニューヨーク州マンハッタンの
タイムズスクエアにあった。
ブロードウェイと44番街の南東
の角にある16階のビルで、最初は
ホテルレクトルとして1910年に
建築され1911年にオープンした。
レンガ建築だ。
最初立てられた14階建てのビル
には240の客室があった。
1972年にビルが解体されるまで
61年間稼働していた超老舗ホテル
ビルだった。

1940年時のホテルクラリッヂ。






現在はプールホールAMESがあった
クラリッヂホテルビルの跡地には、
1500ブロード
ウェイビルが建って
いる。

ここは映画と演劇と音楽の街だ。
ニューヨーク、ニューヨーク。



よろしかったらこちらもどうぞ。
『ハスラー』について、私が原作
小説とシナリオと映画作品を比較
考察したものです。

原作・シナリオ・映画作品、その差異 ~映画『ハスラー』(1961年)~ - 渓流詩人の徒然日記

映画『ハスラー』(1961)について、原作(日本語訳)、シナリオ、映画作品(英語版、日本語吹き替え版)の四者の描写の違いを検証してみる。とい...

原作・シナリオ・映画作品、その差異 ~映画『ハスラー』(1961年)~ - 渓流詩人の徒然日記

 

大黒橋 ~大阪 道頓堀川~

2022年02月01日 | open


1982年時の大黒橋の上。

2021年時の大黒橋の上。


1982年時。


2022年現在。歩行者専用
の遊歩道兼児童公園があ
る橋ではなく、ただ

路橋となった。

橋向こうのコクヨ事務用品
店は現存。



但し、建物の長屋両サイド
は切り
取られて間口二間の
みが残る。
店の看板は1982年当時と同
物のようだ。


現在のコクヨ事務用品店。

1982年時点の大国橋車道部分。
右側の高い部分が歩道公園に
なっていた。


1970年代の大国橋。
この橋は1616年に架けられ
たが、昭和時代、いかに道
頓堀川がどぶ泥の掘割であ
ったかが判る。


昭和時代には橋の南側に児童
遊具が設置されていた。近隣
の子どもたちの遊び場だった。


平成時代の大黒橋。
歩道公園には階段で登る。


大黒橋の歩道公園の遊具は
撤去されて植え込みになっ
ていた。


これはこれで佇まいが良かった。


2022年現在。
味も素っ気も、地域住民の
子どもたちへの福利厚生の
心も何も無いただの無機質
な「道路」。


道頓堀川は東西に流れる堀割
である
ので、夜明け時と夕暮
れ時には絵の
ような景観にな
る。夜景も人の営みが感じら
れる場所だ。







映画ロケ地『道頓堀川』(1982) その1

2022年02月01日 | open


映画『道頓堀川』(1982年)
原作:宮本輝
監督:深作欣二
主演:松坂慶子、山崎務、渡瀬恒彦、
   佐藤浩市、真田広之

原作は戦後の大阪が舞台だが、
映画では製作時1981年を舞台
としている。
大阪道頓堀に暮らす人々の悲哀
をビリヤードに生きる男たちを
通して描いた文芸作品。傑作。
この映画作品の中で、物語の最
の山場となるビリヤード場が
ある。

千日前の紅白という玉突屋で、
女主人を加賀まりこが演じている。
まだ10代の頃に、撞球師の祖父と
二人で暮らしていたが、祖父が
他界し、浮浪児のように街をさ
まよっていたところを撞球師の
若き山崎務に助けられる。
そして、口に出せない苦労の末、
撞球場の店を大阪に持つように
なった。
ここで山崎努演じる武内鉄男と
玉田ゆき(加賀まりこ)は再会
する。
そして、薄幸の苦学生安田邦彦
(真田広之)と高校時代の友人
にして武内鉄男の息子の政夫は
この店で不幸な運命を迎える。

映画作品でロケとしてビリヤード
「紅白」に使われた場所は、現在
では1泊2800円の木賃宿のレア
ホステル道頓堀の建物が建って
いる。
これ、ここはもしかすると建て
直し
ではなく外装リフォームか
もしれ
ない。
店内は松竹のセットなので、ここ
に1981年時点も玉屋はない。
この映画作品、安岡邦彦(真田

広之)がバイトしている武内鉄男
の喫茶店リバーの店内も、道頓堀
を挟んで向かいに見えるコーヒー
の青山も、そして3軒出てくる
ビリヤード場も、すべてセットだ。
喫茶店リバーがあった場所は、
道頓堀の戎橋のたもとで、今は
コンビニになっている。川沿い
看板のみ現地貼りで、店内は
完全に松竹のセット。
ビリヤード場などは、セットとは
思えない時代付けが施されており、
どう見ても戦後からずっと経営
して
いた撞球場のような雰囲気
をどれも
出している。松竹映画
での深作組、
さすが。

「玉突紅白」があった場所の現在。

お隣は鰻屋「江戸焼き うなぎ 
うお卯」が40年過ぎた現在も
営業している。


なお、慶應義塾大学のある横浜の
日吉にもビリヤード場があり、
「紅白」という店名だった。
そこも「玉突」という看板が出て
いた。「玉撞」ではなく「玉突」。
昔はよく使われた漢字だ。
そこから「玉突き衝突」という
言葉が生まれた。

この1981年撮影時の道頓堀界隈

で一番変わったのは、この作品
のオープニングで出てくる大黒橋
だ。
この作品撮影当時には、橋の上に
はジャングルジムや吊り輪等の
子ども用遊具がある小公園だった。
それが撤去されて、階段のある
展望公園になり、さらにそれも
取り壊されて、現在はただの歩道
付きの橋になっている。
また、コーヒーの青山は閉店した。
ニューハーフのカオル(カルーセル
麻紀)が働いていたショーパブ
建物はここの階段のある東山ビル。
現存。

階段2F部分は現在は目張りが
されている。


この映画作品には、とても重要な
場所が三か所出てくる。
それは
・喫茶店リバー
・ビリヤード紅白
・大黒橋
だ。
上二つは店内は松竹のセット。
道頓堀川にかかる大黒橋はロケ
だが、現在では橋自体が全く
様子が違っているので、1981年
当時の風情は作品の映像の中で
しか感じ取れない。

本作品『道頓堀川』の原作は
宮本輝(兵庫県出身)の「川
三部作」のうちの一つとされる。
三部作のうちの『泥の河』の
映画化作品は、名作中の名作と
して存在する。


ザ・玉屋

2022年02月01日 | open
 
「3時に天王寺に来てんか」
(by まさお 映画「道頓堀川」)
 
大阪天王寺には、玉屋の中の玉屋
がある。
ご主人はうどん屋をやりながら
玉屋もやっている。
酒も飲める。
ビリヤード巴。


時計も最高。


私が撞き育った東京目黒武蔵小山
玉屋もこうした雰囲気の店
だっ
た。もろにこんな感じ。
スリークッション1台、ポケット
1台の店だった。






台は箱台。
私が一番好きな台だ。
日本玉台とか淡路亭とかの台。
戦前から戦後の玉台はこれだ。
それは四つ玉台もポッケ台も。
穴の中の石板が長いので、きっちり
と入れないと穴の中で玉が残る。
穴中クッション当てでは入らない。
箱台最高!
ボールのリターンは、木の樋を通っ
て、台の中央に集まり、プールに
リターンして来る。
その時の音は、ガコン、ゴロゴロ、
コトンと音が鳴る。
箱台最高!
最低70年位営業している店でない
と四つ球もポケットも箱台はない。
スリークッション台は全て殆ど箱
台なんですけどね。
特徴は、レールが真っ平らの水平
で、ショットグラス等を置けた。
マナー違反だが。
タバコも置けた。逆にして、フィ
ルターをラシャ側に向けて。
そして、レールは木製だ。
とにかく、箱台は最高だ。
四隅の脚はまるでビルの柱のよう
な太い四角い脚になっている。
水平出しの調節機能は無いので、
台設置職人がスレート下に薄い木材
を噛ませる。技術が要るので、たぶ
ん、今きっちりできる職人はほぼ
絶滅に近いのではなかろうか。
 
箱台、最高!
映画『ハスラー』(1961年)に出て
くる玉台も、すべて箱台である。

玉屋

2022年02月01日 | open


玉屋という物は大都会の真ん中に
ないとならない。
地方の郊外とかは、とてつもなく
似合わない。

ここは大阪千日前。道頓堀川の
相合橋から相合橋筋を南にズドン。
そこにこれぞ「ザ・玉屋」がある。


これこそが正真正銘の玉屋だ。


大阪も京都も東京も、これこそが
正統派のビリヤード場=玉屋である。
ここは大江プロの店。


これが入り口。
正統派のザ・玉屋の入り口だ。


奥の看板。
これが THE オオサカ やねん。
これこそが大阪やで。
きいつけや〜
 あんたのことやで
 そのバッグ