渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

鳩サブレー

2022年02月25日 | open


鎌倉のハトサブ相変わらずうまし!

マーレイ

2022年02月25日 | open


1980年代に一部普及した撞球台に
マーレイ社の台があった。
映画『ハスラー2』ので使用された
影響か、それまで国内では見た事が
なかったのに、1988年あたりから
ドワッと増えた。


リターンタイプでは、玉が戻って
ボックスに落ちるとコーンと音が
響く台。かなりでかい音。


このマーレイ、玉落ちが簡易過ぎる
きらいがあるので私は好きではなか
った。入れが簡単過ぎるのだ。
いくら設置の時にゴムを貼り付けて
穴を狭くしてもダメ。
その理由は明白。
石板の穴の切り欠きが深く、ポケッ
トエリア内の石板が奥まで無くて
転がれば穴に落ちるからだ。

ビリヤードのポケットテーブルの
ポケットインの難易度を上げるに
はいくつかの方法がある。
・ポケットのクッションを絞る
・ポケットクッションの開き角度
 を広げる
・石板の穴切り欠きが大きい物は
 ゴム板延長パテ埋め加工をして
 からラシャを貼る

昔の箱台がとても難しいのは、
ポケットクッションの穴幅は広く
とも、石板の形が穴の切り欠きが
小さくて、板が穴の奥まで伸びて
いたからだ。
そして、ポケットのクッション
穴幅を絞っている箱台などは、
長上級者向けの台になる。
高松市内にある老舗の5番台が
それだ。
また、ブランズウイック台で石板
延長をしていながら穴幅を絞りに
絞った1.6玉幅の台にセットした
店も知っている。
でも、あまりに入らないので、
標準の「ごく普通に渋い」トーナ
メントエディションの規定穴幅に
戻したという(笑
その店は、全国的にはあまり知ら
れていないが、大会決勝向きの
大学の階段教室のような特別
ルームもある。その部屋は2台設置。
一般ホールでは多くのポケット台
とスリークッション台もある。
かなーり、設置環境は良い。
というか、ネット情報で全国の
店舗を見る限り、日本一のビリヤー
ド場ではなかろうか。

死にそうなじいさまやばあさまが
やってる2台店とかも味があって
いいのだけどね。
店での食事は全部出前でさ。
最近、そうした戦後からの店は
めっきり減った。

マーレイは簡単過ぎるので集客
向けだったのか、1980年代に
増えたプールバーとかいうので
はやたらと使っている店が多かっ
た。
似た落ち具合のではギャンディと
いう台が似ていた。

今のところ、ブランズウイック
の台は間違いがない。
ただ、個人的に一番好きなのは
レールが真っ平ら水平の箱台だが、
現代台ならばダイヤモンドという
台が好きだ。
簡単ではないから。
USオープン公式台

だが、一番好きなのは1950年代の
箱台だ。

この老舗の店は廃業した。
台は手入れ良いから古くともよい
のだが、玉だけは新品の入れてほ
しかった(笑
玉も60年前の玉みたいだったもの(笑
でも、おばちゃんがやってる本式の
ニッポンの玉屋でした。

箱台ってね、台の周りのレールを
通ってボールがリターンするので
はなく、木製の箱型の樋が台下の
ど真ん中に通っていて、そこに各
穴からボールが集まるようになっ
ているのよ。
音が良い。
ガコン!ゴ、ゴ、ゴロゴロゴロ、
カタン、とリターンボックスに集
まる。
ディズニーのアニメ『ピノキオ』
に出てくるのも木製樋のセンター
プール製の台。
あちらは樋が半円筒の木製だった。
手間かかりすぎでしょー、みたい
な。
今の鉄製レールは、なんだか味が
ない。ボールリターンの音もレロ
レロレロだし。
やはり、箱樋に落ちてゴロゴロが
いい。
現在、箱台を作っている会社は
地球上には一社も存在しない。



125cc未満が走行できない国道2号線

2022年02月25日 | open


これは高速道路のように見えるが、
高速道路ではない。一般国道。
ただし、125cc未満通行禁止の
自動車専用道路だ。国道なのに。

制限時速は60マイルか。
そこそこじゃん(笑



バクチ打ちの戯れ言

2022年02月25日 | open
バクチ打ちというろくでもない
種族の馬鹿は死んでも直らない。
バカは懲りずに平気で言ったり
する。
「もう二度と賭け事はやらない。
命を賭けてもいい」

助からない。
落語の一節だけどね。

ネット粘着痰壺キチガイよりは
ずっとましだ。
そっちは不治の悪だから。
生きてる事のみさえも人に害悪
しかもたらさない。
社会的害悪は悪。不要。
齟齬と深みの暗喩の識別もできず
に鬼の首取ったつもりで頭悪すぎ
てキモ過ぎ。
所帯持ったり家族とかいねえん
だろうなあ。
だから、特定個人に対して刑事
犯罪たる誹謗中傷を執拗に続け
てるのだろう。
通り魔みたいなもん。
犯罪者である。

2004年の内的独白

2022年02月25日 | open



その日、その男は様子が変だった

訳ではない。
大阪生まれ育ち、仕事仲間で
気の置けない仲の男だ。

見るからにホクホク顔で週末の
試合会場に私と共に赴いていた。
地方の町の小さな撞球ハウス
トーナメントだ。
だが、試合開始前に店のオーナー
の振る舞いに男は憤慨し、試合を
実質的に放棄した。
実はかねてより店のオーナーの
言動についていろいろ思うところ
があったのは私も一緒だった。
このところその店の集客率が
極端に落ちている。
深夜、私と二人だけになった時、
オーナーがまた始めだした。
私は言った。
「そんなに客の陰口悪口ばかり
言ってるとだぁれも客が来なく
なるよ」
しかし、オーナーはその場に
いない人の悪口を片っ端から
始める。
きっと私もいないときは言わ
れているのだろう。
中国地区はそんなのばっかだ。
それだけではない。
接客以前に、自分中心の言動
が甚だしく、唯一日参していた
常連客たちも実は辟易していた
のだ。
常連客同士はとても仲がよい。
まさに紳士の競技、ビリヤード
の客たちだ。
ただし、人としての資質とか
私がとやかく言えた義理では
ないが、その店のオーナーに
は、幾度も苦汁をなめさせら
れた経験を私も持つ。
しからば、何ゆえにその店に
常連客は来るのか。
台とボールとチョーク(すべり
止めの青色の四角い物体)の手
入れが素晴らしいのだ。
これほど手入れが行き届いた店
は多くはない。
私は、朝一番で台を隅々まで
丁寧に掃除し、ボールも台も
プレーを終えて客が離れるたび
に磨き上げているオーナーの姿
を見ている。
それは店として当たり前の事なの
だが、やはり素直に見るとビリ
ヤードが好きなのだろう。
だが、人づきあい、客商売は
向いていないかも。
あまりにも自分のことだけに
興味がある人(=他人の精神
状態とかにはお構いなしで自分
の希望だけを常に相手に求める
あって、自分中心の世界の
住人
だからだ。
人に対して、店の中でそれを
やらかす。
玉のことだけでなく、人のあり
方までどう聞いても独善的な
ところで言う。
まあ、地方なりではあるのだが。
それを言われたほうは「今は
黙っていてくれ」と応える。
すると、その対応を捉えて、
オーナーは「俺のことをないが
しろにした」と言い切り、「もう
(あんたは来て)いらん」と
切って捨てるのだ。
そういう事を本当に客に言う。
聞いていて「うっそ?」とか
思った。
それで「最近集客率が悪いけど、
どうしたらよいだろう」と相談
されてもこちらが困る。
いろいろアドバイスしても聞く
耳持たないし、返って助言した
こちらが他の人に対して悪者
にされて言われるのは経験済み
だ。

そして、その男は試合前の
オーナーの態度にキレて、
すべての球をドカン撞きして
試合を投げた。
どんな事情があるにしろこれは
赦されざることで、対戦相手に
失礼だ。
試合途中で諭したが、これまた
この男も人の言うことに耳を
貸さない。ヤカンから湯気出てる。
やれやれ。
だが、オーナーとは違い、アド
バイスした者に対して「私に
嫌なことを言った」というよう
な逆ギレでグチグチと執拗に
絡み返すことはしない。
男は、
「もう二度とこの店には来ない」
と言う。
言ったそばから、貯めていた
数時間分の無料券を人にあげて
しまった。

さて、深夜1時過ぎに試合は
終わった。
閉会の後、半年通い詰めて懇意
になっていた常連たちを私が
初めて食事に誘った。
実は、その男の気持ちを周りの
参加者の連中は察していて、
私の誘いにあれよという間に
14名がついて来てファミリー
レストランに行くことになった。
席について古老の常連が言う。
「きょうは○○ちゃんの送別会
になっちゃったなぁ」
優勝、準優勝、3位に入賞した
人も席にいた。
彼ら3人は、大会の賞金を
ここでの飲食代に放出すると
いう。漢あり。

食事の合間の会話は、周囲は
その男をなぐさめることは
しないが、発言や振る舞い
から各々方の彼への気遣いが
感じられた。
これは「不満を組織する」と
いうような変な仲間意識の
ような類のものでなく、独立
した諸個人がそれぞれ彼に対し
て気遣いをしていたのだ。

朝4時を回る頃、古老が
「よし。玉でも撞きに行くか」
と言い出した。
来たよ、これ(笑)。
数時間後に仕事がある人間を
除き、全員が別の店に繰り出
した。

国際的に海外からも選手を
招いて試合を開催した事の
ある店だ。エフレンとか。
その店の入り口付近の壁に、
その店主催の大会の成績が
厚いアクリル板で掲げられて
いて、見るとの1998年の
準優勝の欄に私の名前が刻
まれていた。
私はこれまで遠い過去にキュー
を一度置いている。玉撞きを
やめた。賭けてはいけないもの
を賭けて。
SA相手の大勝負には勝ったし、
賭けたものも得た。
だが、構造も人間関係も根本
から
瓦解した。そして、一度
玉をやめた。
映画「道頓堀川」のような勝負

だった。

2004年の2月からは、大阪の
友人に請われて
ぼちぼちと
また撞き始めたのだった。
その男は自分のキューを自分で
新調
し、黙々と球撞きを勉強
して
来た。
教えてくれと請われたら私の
知る事をすべて
教えた。
みるみる上達して、マスワリ
もたまに出るようになった。

別な店では、プロを交え、
夜がすっかり明けるまで
楽しく撞いた。

店を出て、駐車場で手を振って
みんなに別れを告げたその男は、
車まで戻ると沈むように乗り
込み、見ているとすぐに大イビキ
で眠りだした。
私も、私の車の運転席で男ども
の心意気を思い出しながら、
それに浸るように穏やかに目蓋
を閉じて仮眠する事に
した。
撞球師の多くがそうして束の間
だけ眠るように。


そうそう。
件の店のオーナーは、お客さんの
女子中学生に強制わいせつ行為
をして逮捕されて新聞に載って
いた。


ショーン ドイツ語で美しい物

2022年02月25日 | open



いつだったか、物知り顔で私の
ランデ・ショーンを見て「それ
ショーンじゃないすよ。バット
キャップにロゴ入ってないから」
と言った奴がいた。
バッキャロ、これはリペアして
キャップ新造したんだよ。

かつて、カスタムキューを使った
事がないので使いたがってた奴が
いた。懇意の知己だ。なので貸与
した。
「いつか、自分のこれだ!と思う
キューを入手したなら返してね」
と相互確約して。
そしたら、お気に入りの別キュー
を入手した後に、私のスペシャル
ボブは何と置きキューにしてブレ
イクに使ってやがった。
それ知って、あーあ、これだから
よー、と回収に行った。遠路百ン十
キロ走って。
そしたら、バットエンドキャップ
が割れている。糸巻きも小汚いへっ
たくそな黒い巻きがしてある。
理由を質すと、ある大会で玉を外し
たので頭にきて床にドン!と突いた
ら、床の段差の角に直撃してパッ
キーンと割れたのだという。
なので地元業者にリペアに出そうと
したら、直せないと言われた、仕方
ないのでそこに糸巻きだけ交換頼ん
という。

そっこーで回収した。
キューを人に貸したり、あげたり
する事程大馬鹿なお人好しな事は
い。
こちとらは、武士の刀と同じく、
これと思った人に託す気で渡して
も、相手はさして重くは受け止め
ない。
キューをあげたりしても、極めて
落胆する事が多い。
自分作のカスタムをあげたら、
しばらくしたら素人の別人にハウス
キューをあげるかのようにあげちゃ
ってたり。
リペア中にキューが無いというので
貸したら、ブレイクキューに使って
いて、しかも下手なブレイクだから
フォアアームが台でこすれて傷だら
けとか。
さらには高価なアメリカンカスタム
を託し進呈したら、高価な物をあげ
たからか、その人馬鹿なの?と家族
から言われたと笑い話にしてたり。
あるいは、ビリヤードやりたくて
仕方ないと言うので入門クラスの
持ちキューを進呈したら、そいつ
は別な人には、「たいして興味な
いのにくれた」とか言ってたりと
か。
中国地区はそんな人たちばっか。
まじで。不思議なエリアだよ。
東京とまるで違う。
こりゃあ、いつまで経っても、
おいらは今の土地では異邦人さ。

で、80年代の泣き笑いの思い出の
詰まっていたボブ・ランデは回収
して、信頼できる同学年のリペア
マンにリペアして貰った。シロシマ
からバーチまで飛行機乗って持って
って。
くっそ下手な糸巻きもハンドル
下地からさらい直して薄くクリア
を吹いて乾いてから巻いてローラー
をみっちりかけて貰った。糸は
TAD色にした。
完璧に信頼できる直しだった。
打ち合わせから意思疎通のやりとり
も信用出来る事この上なし。
やはり武士は東国に限る。

ちなみに、くそ下手な巻きをした
某国の業者は、その何年か後に
ニワカのカスタムキューメーカー
として開店していた。
そのオーナーと、四半世紀前近く
に、あるオープン戦で対戦した事
ある。玉突き人だったみたいね。
めっちゃくちゃ態度が悪かったし、
プレーヤーとして試合中のマナー
違反も甚しかった。無礼千万。
言うもやるも。でも「愚か者め」
と相手にしなかった。いろいろ
挑発して来たけど。
でも、その後、組み立てキューで
カスタムキューメーカーを名乗った。
元々は糸巻きさえまともにできな
い出鱈目仕事をしていたのに。
で、その数年後か10年後かあたり
に、象牙を密輸入して逮捕されて
いた(笑
言い分は、象牙の無断持ち込みは
いけないと知らなかった、とか
言ってると報道されていた。
んなわきゃないだろに、業者が。
知らないなら知らないでは済まさ
れないし、知っていながらやった
のが相場だろうし。隠し持ち込み
しようとして逮捕されたのだから。
根っからろくでもないというのは
四半世紀前に試合で対戦した時に
感じ取ってたけどさ。
その時は、私が唯一尊敬する大阪
のプロ二人が、私の席の後ろに
陣取って来てずっと私の玉を見て
いた。
試合後に、私に声をかけてくれて
いろいろアドバイスをくれた。
ハート、マインド、気構えはいい、
と。何にも動じない、と。撞き方
も相当撞き込んだのが見えるし、
ええ玉撞く、と。
でも、生活安定させんとね、と。
あんた、何かあって玉やめてた
やろ?と。
お見通しだ。
もうおひと方の教育的立場のプロも
私を掴まえていろいろアドバイス
をくれた。
試合後、会場見てたら、他の人に
は誰にもそんな事をお二人は言っ
てなかった。重鎮プロとしてニコ
ニコしてファンにサインしたりし
ていた。
ありがたい事だ。
大阪人、ええで。

私のボブ・ランデは撞くとシュピーン
という音がする。
ちょうど20年前に完全復元復活した。

Meucci のキュー

2022年02月25日 | open



私が1980年代のメウチキューで
一番好きなのは「ロード・エージェント・
シティ・オブ・ライツ」というモデルだ。
上の画像でいうならM-15。
現在もホール・オブ・フェイムNo.06
というモデル名でリリースされている
が、1980年代とは画風が異なる。

1980年代ものオリジナル。












街の夜景と家まで伸びるハイウェイ
とロードを行く車の図柄は変更ない
のだが、1980年代物はまるで水彩画
のようなぼかしで描かれている街の
夜景なのだが、現行品はゴッホの
絵のようなタッチになってしまった
のだ。
上掲画像の赤いラシャの上の個体
などはこのモデルの典型的な描画
のタッチだった。夕焼けが素晴ら
しい。

しかし、現行品はこうなってしまった。



う~ん。図柄は同じでも違うんだよ、
これ。違うんだよ。

やはり、こうであってほしい。


メウチの80年代オリジナルは
MEUCCI=ORIGINALという白文字
彫りのロゴが入っていた。
それが、後にMeucci,というロゴ
文字に変更になった。
ゴッホ風の荒いタッチよりも、
ぼんやりと夕焼けの空が描かれて
いるロード・エージェントのほう
が、画的にも秀逸のように思える。

実際にですね、1980年代に手に
取って現物を見たのね。
もうですね、ため息が出るほど
描画が美しかったのです。
な・・・んだ、これ、という程に。
昔はプリンター印刷は無かったから、
もしかすると、1980年代はこのモデ
ルに限っては職人さんが一本一本
エアブラシで塗装して描画していた
のかも。何本も見ても、どれ一つ
として同じ配色の物は無かった。

まるで、渋谷の五島プラネタリウム
で映写が始まる時に日が落ちて
行くときの映像のようなメウチ
のロード・エージェント・シティ・
ライツだったが、今のホール・オブ・
フェイムは図は同じでも絵画として
は方向性が全く別物、と思える。
私がバイクのヘルメットに夜景を
描こうかと構想しているのは、
このメウチの1980年代のキューが
原初風景としてあるからなんです
よ。
そして、アメリカというよりも、
東京から横浜に帰る道、という
イメージが個人的にはとても
強かった。絵を初めて観た時。
テイク・ミー・ホームという
感じで。
1980年代はムンクの「叫び」の
ようなタッチだけど、現行品は
まるでゴッホの「星月夜」や
「自画像」のようなタッチなん
だよなぁ。小さなマッチ棒が
並んだような。
やはりメウチのロード・エー
ジェントは、
ぼんやりとした
色混ざりでないと
なんだかなぁ、
てのはある。


こういうタッチのロード・エー
ジェントがほしい。スリーブだけ
でなくフォアアームの一直線の
ロードの
周囲の空気の色も。