これは世間で一般的ではないが、
1960年代、70年代、80年代の
撞球師たちは長撞きした後には
玉屋で眠った。
仮眠だ。再オープンまでの閉店
時間に店内で眠る。
そして、起きて歯を磨き顔を
洗い、飯を食いに行ってまた
玉屋に戻る。
3時から開く銭湯に行ってから
また戻る時もある。
玉屋では、長ソファーや長椅子
や普通の椅子に座ったまま眠る
事もあるが、マスターがOK出す
なら玉台の上で寝る。
私も目黒の玉屋ではマスターと
横の台同士で眠っていた。
寝汗をかくので、玉台にはシート
をかけてその上にキューケースを
枕にして眠る。
硬いコンクリートの上だろうと、
板の間の上だろうと、ジャングル
の中だろうと、土の上だろうと
眠れる種族しか玉屋では眠れな
い。
台の上で眠ると背骨が伸びて気持
ちよい。
こうした玉屋での撞球師たちの
過ごし方は、世間では一般的では
ない。
私が通っていた80年代でも、そこ
らの店内の片隅で誰かしら横にな
って寝ていた。ソファーや長椅子
で。
マスターもそれをとやかくガミガミ
言ったりもしない。それが玉屋だ。
食事は大抵は近所の蕎麦屋かラー
メン屋から出前だ。
どこのマスターやママさんも電話
で言うセリフは同じだ。
「ビリヤードですけど」と言う。
これが定番。全国的な定番。
そして、蕎麦屋が持って来るカツ丼
や親子丼、中華丼の美味い事。
蕎麦屋の店員は、大抵、何分か
玉を見て油を売ってから帰る。
そうした日常風景が1980年代末期
あたりまでは街中の玉屋にはあっ
た。
だが、嬉しいもので、馴染みになる
と、昔風の付き合いをしてくれる
玉屋のマスターは今世紀になっても
地方には生存していたりする。
何度か、四国の馴染みの店では、
閉店後に店で仮眠を取ってマスタ
ーと一緒に朝飯を食いに行ったり
した事が地方に転住赴任後にも
あった。なんだか懐かしかった。
都内では、店に泊まらず帰ろうか
となると、朝イチの東急線のロー
カル駅(といっても品川区目黒区)
などでは無人改札状態だった。
一応切符は買うが、降りる時には
「フリーボール」などと言いなが
ら切符を改札ボックスの上に友人
と投げ捨てたりして改札を出てい
た。東急不動前とか。二輪のメグ
ロがあった所の駅。
そして、友人の不動前山手通り
に面したマンションで仮眠して、
起きたらまた玉屋に行く。
うちのほうに泊まる時には逆
パターンだ。
キューは置きキューもしていたが、
私はメインのリチャードブラック
やショーンなどは持ち歩いていた。
TADの坊主(ストレート)やアダム
やその他のキューが店での置き
キュー(笑
何故キューを持ち歩くかというと、
いろんな店に行くからだ。
そして、また同じ日に常連店に
まるで常宿のように舞い戻る。
これ、休みの前などは確実にこれ
だった。
そして、台の上で眠るのだ。
映画『ハスラー』では、エイムズ
の店に入った時にエディは相棒の
チャーリーに言った。
「見てみろ。玉台はハスラーの
死体を置く棺桶だ」
と。
これは、上掲の画像の1967年の
撞球師武内鉄男の姿がまさにそれ
なのである。
息をしている時は玉を撞く時だけ。
撞球師はそうなる。
他では死んでいるのだ。
玉撞きの時だけ生き返る。
死なないゾンビよりも始末が悪い
種族が撞球師であり、ロクデナシ
の代名詞といえるだろう。
最近の目をキラキラさせて健全
ぶって健康マニアみたいな種族
がやる玉撞きは、どうにも性に
合わない。それが健全なスポーツ
だと解ってはいても。
昨夜も、まるで試合のように
コツコツと丁寧に安全にスタン
ショットで取り切ったら、相方が
言う。
「らしくない。やんちゃではない
玉。らしくない」と。
確かにそうだ。
玉をいくら入れても、撞いてる
本人もちっとも楽しくない。
「東京ヤンチャーズとかいう野球
チームでも作るか」と言ったら
相方は笑っていた。
次のマスからは、途中で9番を
バンバン落とした。引き玉の手玉
や押しの手玉キャロム、コンビ、
手玉グランドマッセ戻しでの9落
とし。試合では絶対にやらない
賭け玉の玉筋。
バンバン落とした。
そして、平玉配置にしたら普通に
全て通常通りに取り切る。
ただ、同じ取り切りでも、心の中
の在り方が違う。
過去に私と撞いた上級者は私の事
を「一発野郎」とか呼んだりし
ていた。別な人は「一八屋」とも。
一か八かの玉を躊躇なく撞くから
だ。
だが、私より年上の上級者の人たち
は言っていた。
「でも、そういう玉筋は嫌いじゃ
ない。最近殆どそういう玉撞きは
見なくなった」と。
それでも、嫌な事もあったりも
する。
ある地方の店で今はもう廃業した
店主が、私が行くといつも賭け玉
しかもちかけて来ない。プラチップ
を使って。
ある時、難球配置で回って来た。
私はグランドマッセで的玉に当て
てから、手玉をレールにドンドン
と何度か沿うようにヒットさせて
から9番をねじ込んだ。
店主はとんでもない嫌な顔をして
プラスティックのチップを払った。
次から、その店では突然マッセが
禁止になった。キューを立てたら
「あ!それやめて」と店主が叫ぶ。
何故?と訊くと、あんたはラシャ
を破くから、と。ラシャなどは
破いた事は無い。一度も。
第一、直立に近い立てキューで
ラシャなどは破こうにも破けない。
マッセ日本一の肥土軍作先生は
「あーたのマッセはラシャは破か
ない。絶対に破けない。どんどん
やってくれ」と自分の店では私に
仰っていた。
マッセが禁止ならば、キャロムは
できない。一切。
また、ポッケでも、一見さんの
ど素人ではない常連にマッセ禁止
を告げる店などは無い。
その店主はTADというキューの
メーカーもジョーポーパーの事も
存在さえ知らなかった。
友人がそこでカタログで扱って
いるのを見て、ポーパーのケース
を注文したら、メッヅをメーカー
から引いて来て、「これにしとき」
と言って押し付けた。
何かと、とことんせこすぎる。
私は友人の件があってから、その
店主のいるその店には一切行かな
くなった。
その店主、店に来た女子中学生に
お触りして親の訴えでパクられて
新聞に載っていた。
そして、しばらくして店は別人に
売り渡していた。
店主が代わってからの新店には
何度も行ったが、中の造作も変え
て、新しいオーナーのマスターも
ママも気さくな人で、なかなか良
い店だ。
なんとなく、昔風味の玉屋の味。
そういうとこがいいよ。玉突き
屋は。
プールプレーヤーには二種類の
種族がいる。
撞球がとても上手い撞球者か、
撞球がとても巧い撞球師かだ。
前者は健全健康くんで、目がキラ
キラしていて爽やかだ。
後者は大道将棋の真剣師や麻雀師
と同じ目をしている。