上:吉村シャフト/下:TADシャフト
ビリヤードキューのクリア塗料
の質については慎重さを必要と
する。
オイルアップのみという手も
あるが、この方法は意外とイケ
るかもしれない。試した事は
まだないが。
ビリヤード・キューのクリア
塗装の方向性には世界的に二つ
の傾向が見られる。
ショーンのように、カッチカチ
の塗膜で木材を塗り固める
方向と、TADのように木を
殺さずに、木に呼吸させる
「ニス」の薄塗りの方向性だ。
ショーン系は木材を活かしな
がら殺していくような塗り固
めで、TADなどは弦楽器など
の塗膜と同じく、木の振動を
最大限に引き出す方式を採っ
ている。
昔、東京のあるチェーン店の
ビリヤード場の知り合いの店
長が、キューの表面クリア塗装
を取ったらなぜか凄く良い打球
性能のキューに変身して驚い
た、と自身のブログで書い
ていた。
玉を撞いた時の振動とその
収縮性がクリア塗装によって
阻害されていたのが除去され
たからだろう。
実は私は逆の方向で同じ経験
がある。
自分のTADを自分で完全
クリア塗装してみたのだ。
TADオリジナルのニスは経年
変化で黄色化が激しく、真っ
黄色のキューになってしまう
からだ。
塗装は非常に上手く行き、
ツルツルピカピカのTAD
キューに生まれ変った。
資産価値などはハナから勘案
しない。自分のキューなので
自分でリペアしてみた。
だがしかし!
打球性能が従前のTADの
オリジナルとは全く異なる
キューになってしまったの
だった。異様にトビとズレ
が大きくなったのだ。
トビが大きくとも見越しを
取れば補正できるので構わ
ないのだが、そのトビの
出方の出現曲線が急激に
ある一点から変化するので、
非常に扱いにくいキューに
なってしまったのである。
本来のオリジナルニスの
TADの場合は、トビはあっ
ても、それを感知して制御
しやすく、それゆえにTAD
ならではの手玉の変化を
出すことができたのだが、
どこで滑ったり飛んだり
するか判らないような性質
になったらそれはかなり
扱いづらい物となる。
TADのTADらしい秘密は
塗膜にもあったのか、
だからいつまでも楽器の
ようなニスを薄く塗ること
にTADはこだわり続けていた
のか、と深く分かった次第。
その私のTADは専門職人
さんに超極薄塗りでリペア
してもらった。
性能は元来のTADに戻った
(完全ではない)。戻った
というよりも、元来の能力
に接近した、という表現が
厳密には正しい。
TADの本来の能力を知る
ためには、出荷時の標準
の楽器のようなニス塗り
の個体がTADらしさを出し
ているので、そのTADで
撞かなければTADとはどう
であるのかを判断できない、
ということは断定できる。
それらを考えると、ラック
カイガラムシの分泌物を
精製して造られたセラック
ニスというものは、木を
完璧に生かしたまま木材
の特性を最大に活かせる
性質の、特別であり唯一
無二の表面保護材である
ということがよく分かる。
なぜストラディバリが
あの音を出せるのか、
現代においてもまったく
の謎であるのだが、木材
の河川利用による運搬
方法とセラック等の表面
処理が大きく影響している
のではなかろうか。
少なくとも、プール・
キュー職人のTADコハラ
さんは、楽器系のニスに
非常にこだわっていた。
これは彼が家具職人で
あったこととも関係して
いるかも知れない。木を
どのように扱うかという
ことについて、TADは他の
一般的キューメーカーとは
異なる視点でのアプローチ
があったと思われる。
セラックニス。
これをアルコールで溶かして
薄い溶液を作り、それを
木材表面に漆塗りのような
高度な技術で塗って行く。
高級ギターやバイオリンには
セラックが欠かせない。
私は結局、自分のストレート
キューでは二液性ウレタン塗り
ではなく、ニトロセルロース系
ラッカー仕上げにした。アクリル
よりも光沢は無いがしっとりと
仕上がり、木の動きも妨げない。
極薄塗りにした。塗って乾いて
は磨いてを繰り返しての完成時
極薄状態。
結果、撞球性能は想像以上に
殊の外良い。
やっと既存キューの改造や
コンバージョンではない、
自分自身の自作のキューが
完成した。2017年完成。
爾来5年使い続けているが、今
のところ、自分にとっては性能
は最良だ。
私はファンシーリングは現時点
では作れないので、ジョイント
リングは素材削りの接着のみだ。
だが、プレーンな坊主にはそれ
が似合う。
二液性ウレタンでの厚塗りとは
異なる仕上げ。光沢の輝度は
低いが、撞球性能は頗る良い。
目指していたのはこれだ。
私の良音奏でる古い京都茶木
のアーチトップJAZZギターの
ような仕上がり。木の動きを
阻害しない。これ、撞球杖の
性能としては最良。木製箱型
撥弦楽器と同じ方向性の採択
は正解だった。
ブランクは30年以上物で、寝
かしては削りの熟成物。形に
するのだけで30年の年月を要
した。長い道のりだった。
シャフトの先角は象牙以外では
LBM(リネンベースメラミン)が
一番好きだが、やはり象牙が
好き。これはどうしようもない。
このフェラルの材というものは
動体能力としてシャフトのテー
パーと密接な関係があるので、
単純に先角の素材だけを特性
や好みで選択するのは危険だ。
ただ、最近はハイテクシャフト
にみられるように、先角の硬度
と重量と全体容積を下げて、
キュー先のディフレクション
低下によるトビの減少を狙う
傾向性が強いようだ。シャフト
設計の方向性として。
しかし、これも一概にそれが
万事において良とは言い難い。
ある程度のトビが無いと別な
要素で悪影響がプレーに出る
からだ。ファクターの細部の
問題として。
それでも「見越し少=正義」と
いうような歪んだ表面的視点
が蔓延していた時期があり、
メーカーもそれに沿ったハイ
テクシャフトを盲目的に作っ
ていた。
ヒネリ順入れの際の微細なトビ
による、歯車効果での先玉の
薄くズレることの自然補正=
トビからくる見越し+歯車効果
ズレの相殺、という事を無視
している。
逆入れなどは見越せばよい。
いくら手玉が直進しようとも、
ヒネリを使えば先玉=的玉が
横にずれるのでそれに対する
見越しは必要になる。
手玉さえ直進すれば「トビ
無し=見越し要らず」という
のは明らかに誤った解釈で
現実の現象を無視している。
ハイテクシャフトとソリッド
シャフトの最大の違いは、手玉
の直進性ゆえ、ハイテクシャフト
は手玉分離角度が狭くなり、
ソリッドシャフトは分離角度
は大きいが、分離後のスピンで
さらにカーブを描いて進行する
という現象が存在するその差異
だ。
使い分ければどちらのシャフト
でも有効利用できる。
どちらでも使いこなせるとなる
と、その後の選択肢は打感や
音や、手玉軌跡の好みの問題
となってくる。
私は、圧倒的に抽斗の多い
幅広い玉筋を撞けるノーマル
ソリッドシャフトのほうが
自分の感性に合致している。
だが、大手メーカーは大量
消費商品として、手玉直進性
のみを追求したハイテクと称
した消耗品の商品シャフトを
作り続ける。
なんだろうなぁと思っていたら、
プレーヤーからも「ノーマルに
近いハイテクシャフト」を求め
る声もかなり多かったようで、
メーカーはすぐに「ある程度
トビが出るシャフト」をハイ
テク構造で作り出して販売し
始めた。さすがに抜け目ない。
それが2008年前後。メッヅの
WD700などは典型だ。
だが、最近の傾向は、再びもっと
トビを押さえる性能要件を掲げ
て開発されている方向性も見える。
そしてついに、木材ではない
カーボン使用のシャフトが登場
した。個人的には一切興味無い
が。完全に木を離れた化学素材
なので。チタンヘッド最高!
の世界とは私は撞球道具は別物
だと思っているので。
そして、2020年あたりからまた
別な一つの潮流が出始めた。
それはノーマルソリッドシャフト
の復活だ。
但し、昔のように良材が枯渇
しつつあるので、高級品のみの
ノーマルシャフトとなっている
ようだ。
となると、それは俯瞰するに、
結局は、カスタムメーカーが
手塩にかけて育てたハードロック
メイプルの材によるシャフト
製作という視点に回帰していく。
結局、最良物というのは、どん
なに一面的に見かけの表面の
「科学的」な開発製品であろう
とも、実は1960年代に既に我々
人類は解答を得ていたのでは
なかろうか。
自動車では四輪車と二輪車で
史上最高の開発の健全性が
存在したのが1980年代末期
だった。
ビリヤードのキューにおいて
は、1960年代~70年代末期
に一つの公式のような正解を
我々の先達たちは獲得して
いたと思える。
ごく最近の傾向としては、今世紀
初頭あたりに蔓延した「ハイテク
=最新式の素晴らしい優れた物。
ノーマルシャフト=時代遅れの
能力の低い古いシャフト」という
くそ馬鹿げた拙劣で単細胞の
おバカな見解が希釈されてきて
いる事を業界の流れからは感じる。
ノーマルソリッドシャフトの
見直しという知見などはそれの
一つだろう。
しかし日本人、流行・ブームが
大好きだね。今世紀初頭は猫も
杓子もハイテクハイテクハイテク
だったから。
ハイテクシャフトを着ければ
玉が入るかと思い込んで。
そして、新しいものが何でも素晴
らしくて、古い物はローテクだ、
とかいう極めて質の低い感覚で
しか撞球道具を見ることができ
ない些末性、矮小な視野狭窄
による思考停止が蔓延していた。
その頃思っていた。
「ああ、こういう人たちは絶対
に日本刀の良さとか理解でき
ないだろうなぁ」と。
古い物の良質性を超越できない
最新物の限界性というものが
ある事実現実が見えないと
いう事は、真の未来の良質性
は作れない。
ハイテクシャフト自体は良い。
それの捉え方が「最新=最良、
古い物=駄目な物」とする
視野狭窄が思考の錯誤なのだ。
そしてそれは矛盾する。
最新物がすべて良いならば、
旧型になった自分のハイテク
シャフトはもう「時代遅れで
古いローテク物」になるのか、
という絶対矛盾を自分で言う
事になる。
おかしな事は言わないほうが
いい。
産業構造や製造物だけでなく、
文化にしろ文芸にしろ良質性
というものは圧倒的な不朽性
を厳然と有しているのだ。
訪問者「テーブルあいてるかい?」
玉突屋店主「ご覧の通りさ」
(映画『ハスラー』から)
ビリヤードのうちアメリカン・
プールの世界では、米国や
フィリピンなどでは「賭け玉」
が町の玉突屋では行なわれて
いる。
日本の武士の世界は江戸期以降
は賭け事厳禁御法度だが、米国
などは博打が大好きだ。
映画『ラストサムライ』という
歴史的駄作で、登場人物の日本人
の武士(明治時代)が立ち合い
勝負を見ながら外馬で博打をする
シーンがあるが、日本の武士で
はありえない。あれは日本文化を
全く知らない無知馬鹿アメリカ人
が「フジヤマ、ゲイシャ、ニン
ジャ、イェ~イ!」で作った最低
映画だった。
そして、アメリカの町のビリヤー
ド場ではポケットテーブルは博打
用に使われている。スポーツ競技
としてではなく。
50セントコインが飛び交うような
安相場のゲームを「ダイムゲーム」
と呼ぶが、そうした勝っても負け
てもせいぜい2~3千円という相場
の勝負がよく行なわれているのが
かつて80年代までの風景だった。
これは日本でも。
そうした下手を装って最後には
勝つような小銭稼ぎをあちこち
でやりながら食いつないでいる
撞球師は、俗に「ゴト師=ハスラー」
と呼ばれていた。
ハスラーとは撞球者のことでは
ない。賭け玉ビリヤードを利用
するイカサマペテン師の事を
いう。
そして、なぜ真っ向勝負ではなく、
下手を装うか。
それは、超上級者であると判る
と、よほどの奇人でない限り、
対戦しようとはして来ないから
だ。元々がスポーツマン的な
チャレンジャーではないから。
そうしたハスラーたちは、見知ら
ぬ町にさもよそ者の何も知らない
間抜けなカモのような顔をして
現れてビリヤード場に入り、しば
らく横で見ている。
すると、負けた者が「アイ クイッ
ト」と言って抜けて、勝ち残って
ゲームを続けようとする奴が
「そこのお前、一丁やるか?」と
声が掛かるのを待つ。
そして、ハウスキューを取って、
ゲームに参加するが、最初は負け
続ける。下手くそのへっぽこを
装って。
そのうち、頃合いを見計らって
ラッキーショットでまぐれ入り
かのような玉を撞いて、相手の
心を少しくすぐる。火をつける。
さらに、そこからはまた負け続け
るが、「よ~し、一気に挽回だ。
これまでの倍額を賭けよう」と
もちかけて、そして相手が乗る
ように誘って、しまいにはラッキー
まぐれで入ったようにして勝つ。
これがハスラーの手口だ。
米語俗語では「プール・シャーク」
と呼ばれて、素性がバレたら下手
したら殺されるのだが、場末の
ビリヤード狙いのハスラーはそれ
をやる。米国でも戦後からプール・
シャークは出入り禁止だ。本職
のプロの玉突師なのだから。
それが地元の仲間内で楽しんで
いるような安ゲームを食い散ら
かすので出入り禁止なのだ。
そうした騙し玉の時に、ハスラー
はキューケースにも入れずに自分
のキューを裸で持ち歩く事もある。
店に入る前にケースから出し、
何気なくぶっきらぼうに大切な
物ではないように裸身で持って
店に入る。素人っぽく。ど素人
だと相手にしてくれないので、
最近やり始めた初心者で玉撞き
にワタシ興味ありま~す、みたい
な空気をわざと出して。カモだ
と思わせて。
そうしたプール・シャークのハス
ラーが持ち歩くキューは、日本円
だと現在で3000円程の一本物のハウ
スキューをぶった切って持ち運び
できるようにジョイントを埋め込ん
だキューだった。
現在ではワンピースキューは日米
どちらでもほとんど無い。
だが、私がビリヤードを始めた
1980年代中期には、まだ国内で
もハウスキューはワンピース物
はあちこちにあった。
なぜかしらバットが太いの。
現在のハウスキューは最初から
ジョイント付の2ピースが主流だ。
このハギは本ハギだ。後年のイン
レイハギではない。
バット部分は完成までに曲がり
修正が必要になる時間と手間の
かかる一本木物ソリッドではなく、
曲がり防止のためにハギ継ぎ構造
にしてある。
白い木がメイプル等で茶色い木が
軍用銃のストックなどにも使われ
たナトーやチークなどが使われた。
こうしたハギはすべて曲がり防止
のために最初は導入されていた。
ところが、ここ15年ほどで、変わ
った現象が日米で現れた。
それは、高級カスタムメーカーや
有名な大手工場キューメーカーが
「スニーキー・ピート・モデル」
と銘打って、かつてのゴト師キュー
の再現品が製造発売されたのだ。
ン十万もするシバキキューもどき。
馬鹿らしいにも程がある、といえ
ばそういう事になる。
かつてのハスラーのハウスキュー
(日本語での俗称は「場キュー」
「しば(き)キュー」)改造2ピース
は、バラブシュカたちのブランズ
ウィックの上位ハウスキューでは
なく、安物の場キューを切って
作った物だからだ。
ただし、曲がりもなく、撞いて
動きも良いハウスキューを選びに
選んで改造が施されて持ち歩かれ
た。ただのそこらのしばキューで
はない。
スニーキー・ピートとは「狡猾な
ピート」という意味で、ペテン師
野郎の事を指す米俗語だ。
だが、カスタムメーカーや大手
キューメーカーが「スニーキー・
ピート」を作り出して、そして
かなり高額で販売するように
なった。
スニーキー・ピートキューなら
ば、せいぜい高くとも元のキュー
は8000円程度であるのが本来の
姿なのに、何だか何かがおかしい。
一から作っても原価が掛からない
ので、それをン十万とか意味不明。
スニーキー・ピートたちがスニー
キー・ピートを使う目的はこれ
のみなのに、元手がかかりすぎ
ていたら本末転倒だ。
そのやばい橋を渡る小銭稼ぎ
ダイムゲームのハスラーキュー
をン十万とかで所有するその
意味が不明。
それらは、ギャンブラーである
生き死にのやばい縁を渡る
ハスラーの精神性とは全く
無縁で、そこにあるのは金持
ちたちが「異形さ」を好奇心
から好む猟奇的なブルジョア
性が見える。
それ、賭け玉勝負師独特の世
界観や精神性でなはなくて、
金持ちや上流階級の退廃的な
首絞めや鞭叩きや弱い者をいた
ぶる嗜好や、殺しながらの性交
撮影趣味のような、猟奇的な
精神的汚濁性しかない。
映画『ハスラー』で出て来た
富豪が自宅に障がい者や異人
種や裏世界のアブレ者たちを
招いて乱痴気パーティーやって
喜んでいた場面のような。
それをサラは見抜いて「この
化け物たちと貴方は同じに
ならないで、エディ」と
告げるのだが、勝負に焦る
エディにはその言葉は届かず
に、サラは自殺するのだった。
知り合いの外国人がアメリカの
有名なカスタムビルダーに
スニーキーピートを作って
貰っていた。金額は日本の
量販キュー程度の値段。
あれはどう考えても良心価格
だ。材料費も加工費も低いから
との事らしい。まことに良心的
な職人さんだ。
ただし、直に米国に製作依頼
して完成したら輸入している。
母国語で英語ペラリンチョだ
から。だからかも。
これが日本の業者通しになる
とン十万円と何倍にもなるの
かもしれない。
そのスニーキー・ピートで
撞かせて貰った。
唸った。ナニコレ?と。
まさに、その作者のキュー
そのものの性能が出ている
のだ。
見た目のファンシーさを求め
ないなら、これで十分戦闘力
あるじゃん、と。
「でしょ?」なんてその外国人
の日本定住者は笑いながら言っ
てた。
たださぁ、今時の情報社会では、
フラリと安キュー持って玉台の
ある酒場でひと稼ぎ、なんての
はまず多分無理っすから。たとえ
アメリカでも(笑)。
日本は絶無。
スニーキー・ピート・キューも、
デザイン上の簡素さを再現した
裏世界のキュー遣いのキューを
猟奇的にコスプレする「高級趣味」
の部類の産物になりにけり、て
とこか。拝一刀のドウタヌキを
再現した模擬刀みたいだな。
私が私のキューをオールドTADと
同じロングデルリンにしてある
意味は、故TADコハラさんの作る
キューが大好き、世界で一番好き
というのもあるが、実は別な意味
がある。
そして、重量配分の意味がある。
キュースティックは、マスを中央
に集中させて真ん中にすべて重量
配分を寄せる事が良質なアビリティ
の確保には繋がらない。釣り竿
やオートバイ設計と同じだ。フィッ
シングロッドに胴調子、先調子が
あるように、スティッフな部分を
どこに取るか、また重量配分を
どうするかで、長物の得物の性能
はまるで違ってくるのである。
(作画私)
デルリンはバラブシュカやザンボッ
ティやTADが多用した。
当時新開発で登場した産業樹脂
のデュポン社の登録商標製品だっ
た。カジリ帽子の為に開発され
た化学素材だ。タービンの軸受
けなどに使われていた。
その後、多くの化学製品企業
から様々な樹脂材が開発発売
されるようになった。ソマラ
イトなどもデルリンに似た
質性の良質産業素材として
多くの分野で使用されてい
る。
ハウスキューを分割ジョイント
構造にし、ほぞを切って糸巻き
にし、ウエイトボルトを入れて
エンドキャップデルリンを削っ
て装着させ、ゴムバンパーを
着けてある。ここには写って
ないが、シャフト先のフェラル
も別途製作装着。
これがごく初期のカスタムキュー
の王道だった。
ゆえに四剣が多い。上級ハウス
キューの本はぎをそのまま使用
したからだ。
コルトの黒色火薬パーカッション
モデルをカートリッヂ式に改造
したようなコンバージョンが
ビリヤードキューでもよくカス
タムされた。
ゆえに、最初からの一品物の
製作者作品であっても、キュー
ビルダーの作ったキューは
「カスタムキュー」と呼ばれる
ようになった。
「カスタム=良質改造」が
アメリカのキュービルダーの
クラフトマンの原初だったから
だ。すべては既製品の改造改良
から彼らビルダーは生まれたと
いうアメリカの歴史があるのだ。
西部開拓時代の銃の改造者=
コンバージョン・モデル製作
者の経緯にほんとによく似て
いる。
発音はリゴリヤ)、米国人となっ
てからキュー作者として本領を
発揮し、「キュー製作の神様」
バラブシュカにしろ、ガス・
ザンボッティにしろ、移民たち
の多くが偉大な足跡を残している。
後ろは左からリチャード・ブラック、
ビル・シック、アーニー・ギュテレス
という大御所たち。
ガン治療のために放射線治療を
受けたら、その影響で歩けなく
なってしまった晩年のTADコハラ
タダチさん。この後まもなく
TADコハラさんは他界された。
今、TADキューは息子さんの
フレッドコハラさんが全技術を
継承してTADキューを継続して
製作している。
カスタムキューでビリヤードを
プレーするとき、それは日本刀
を使うのに非常に似ている事に
気づく。
それは、「このキューを作った
作者と共にビリヤードテーブル
に向かっている」という現実に
気づかされる事だ。
作ったその人がいなければ自分
のプレーが成立しない。技も何
もない。そこに立つ事自体が成立
しない。
日本刀も全く同じなのだ。
どこの誰が作ったのか分からない
量産工業軍刀などとは明確に異
なる現象に気づくとき、ある
ひとつの大切なものが見えて
くる。
そして、それが表現者である自分
のパッションに繋がる。
まるで心意気を繋ぐかのように。
この自覚の有無は、極めて重要な
「体現者」にとっての精神的支柱
と具体的な物と人間の結節点と
なる。
カスタムキューという一点物の
オリジナルキューの位相は、まさ
に日本の刀鍛冶が打つ日本刀と
全く同じであり、シリーズ化され
た工場メーカー製品とは全く別な
次元にあるものであるといえる。
工場メーカー品でも、アダムなど
はかつては粕谷さんという名人
職人が製作したハギ物とかは、
知る人たちの間では知られていた。
まるでヤマハギターのテリーさん
(現在独立。カスタムギター製作
者。T'sTという最高の名器を作る)
のような存在の人たちがビリヤー
ドキューの世界にもいた。
ただ、日本の場合は、アメリカン
カスタムキューのように製作職人
は多くは育っていない。
大抵は経済的な円滑さの継続が
困難となり作ることをやめて
しまう。心意気だけで物は作れ
ない。盤石の経済体制を築かない
と。技術よりもそちらのほうが
実は大切なキモだったりする。
使う側のパッションとしては、
これは日本製は工場製品でも
オートバイのヘルメットのよう
に世界トップレベルの製品を擁
するから超高価なカスタムキュー
は必要ないという現象が背景に
一般的には撞球界にはある事だ
ろう。
けだし、カスタムキューにハイ
テクシャフト装着などはナンセン
スの極みだが、工場量産キュー
ならば、性能の7割を決めてくる
シャフト選択をハイテクシャフト
に換装しても精神的な違和感も
躊躇も無い事だろう。
ただ、キュービルダーの作る
カスタムキューにハイテクシャ
フト装着は、その製作者の渾身
のシャフトを捨てる、使わない、
という事なので、失礼の極みだ。
製作者は鷹揚に応えるかも知れ
ないが、ひどい事なのだ、その
オリジナルを使わずに先っぽ
だけを工場開発製品に交換して
いながらバットという下側部分
だけを呼称して「これはTADだ」
とか「ザンボッティだ」とか言う
のは。かなり作者に失礼。
ビルダー本人が作る新構造の
シャフトならば話は別。
ワンオフで注文主の為に作るの
だから。
今、国内キュービルダーでは大阪
のTⅡFの土田さんのキューが性能
では一つ抜けているだろうか。
完全コンプリートキューは多くの
プロも使っている。
キューのファンシー仕上げでは
ラッキー菱沼さんの作品が現在
最高峰のように思える。
ラッキーさんはキューという世界
を知り尽くした元トーナメント
プロ。
たぶん、日本人の中で一番撞球
キューについての深い見識を持
っている人ではなかろうかと
思う。
コレクターの金持ちは多くいる
のだが、菱沼元プロは見識その
ものが深く、また斯界の研究者
としてもとてつもない確かな
意識を持っている。
また、アメリカンビルダーとの
交流も深い。
そして、娘婿さんたちはビルダー
の世界に入った。後継者もすで
に作った。
ラッキー菱沼製のオリジナル
ソリッドシャフトは1本5万円
以上するが、素晴らしいアビリ
ティを発揮するのではなかろう
か。
つい最近、A級の19歳の外国人
の撞球者の子が私に言ってた。
「ハイテクはハイテクで良い
のだけど、どうしても縦に
玉が割れるので限界がある。
ノーマルシャフトのほうが
多様な玉を撞ける」と。
その通りだと思う。
わかってんね(笑)。
まるで私が言わんとするセリフ
をそのまま代弁したみたいで、
思わずクスリとなった。
ま、プレーでは私は全く適わ
ないけどさ(笑)。
キューを作る事自体は難しくは
ない。ジョイントパーツも売ら
れている。
バットキャップのみはレースで
自分の設計通りに削り出さなけ
ればならないが、自分の旋盤で
あろうと借り物の旋盤であろう
とも、軸穴にキューが通るレース
と各種ビットがあれば、ビリヤ
ードキューは作れる。
キューを作る事自体は難しくは
ない。
難しいのは「良いキューを作る」
事だ。
一番の愛キューはTADのプレーン
これはザンボッティモデル。
ポール・モッティのザンボッティ
これは私のオリジナルデザイン
私の自作キュー。
モト ツーリング 2022年3月号 (発売日2022年02月01日)
MOTOツーリングは、編集部が現地まで実走しツーリングに役立つ現地のナマ情報をお届けする、いわばツーリストナビゲーションマガジンであります。...
雑誌/定期購読の予約はFujisan
モトツーリング最新3月号の
付録は防寒対策の小冊子だ。
この雑誌、毎回付録が充実。
防寒対策のキモについて解説
されているが、夏場でも防寒
対策は必要で、昨年真夏の阿蘇
行きでは、カンカン照りで暑い
のに帰りは天候がくずれて極寒
となり、参加者全員が途中で
止まって雨でもないのにレイン
ウエアを着こんだ。
そうでないと、メッシュの夏服
だと凍え死にそうだったからだ。
冬場などは専門的な防寒知識
がないと二輪車での走行はでき
ない。
私などはいいかげんなので、
冬場はスキーウエアの上下で
代用させて済ます事も多いの
だが、二輪での走行には専門
的な確かな知識が活きてくる。
今回もモトツーリング誌は
そのあたりの大切なポイント
も分りやすく解説してくれて
いる。
真夏であってもメッシュ着だけ
での長距離走行や山行きは体温
保持の観点から避けたいところ。
長距離走行にはウインドブレー
カーや防寒着を携行しておきた
い。