桂マサ子さん、1000点撞き切り。
【週間話題】日本撞球協会 ビリヤード慰問
東京【008-02】【昭和15(1940)/07/3週】
【音声】
日本撞球協会の森会長をはじめ、
東京代表選手の一行は第一陸軍
病院を訪問し、 女流選手・桂
マサ子さんの千点突っ切りや、
松山金嶺選手の妙技をご披露し、
心ゆくばかり、白衣の勇士を
慰問いたしました。
【※註】
大正15(1926)04月08日、森
政吉が河邊潔と共に日本撞球
協会を設立。
桂マサ子(かつらまさこ、
1913年 - 1995年) 日本出身で
アメリカで活躍したビリヤード
選手。ニックネームは「カツィ
(Katsy)」。 「ビリヤード界
のファーストレディ」とも呼ば
れた。
松山 金嶺(まつやま きんれい、
1900年5月17日 - 1953年12月20日)
日本プロビリヤード連盟(JPBF)
所属のプロビリヤード選手。
大正から昭和にかけて活躍し、
撞球技名人と呼ばれた。
昭和11(1936)11月、東京第一
陸軍病院と改称。
平成22(2010)04月、独立行政
法人 国立国際医療研究センター
に組織改編。国際医療研究セン
ター病院と改称。
ポケット・ビリヤードをやり始めた
ばかりの人が「四つ玉を撞いてみた
い」と言うので、キャロム台がある
玉屋に連れて行った。
もう、17年ほど前だ。
この店も今はもう無い。
玉台は全て箱台だった。
四つ玉を撞いてからポケットに切り
換えた時、普段撞いているポッケ
玉を見て「小さい!」と言っていた。
キャロム玉はほんの僅か大きいの
だが、目の前にするとポケット玉
とは大きさがかなり違うと感じる
のである。
ビリヤードの玉にはいろんな種類
がある。
ロシア式
キャロム式
プール式
スヌーカー式
英国ポケット式
日本とアメリカで現在主流のアメ
リカン・プールのボールは、重さ
と大きさに決まりがあり、直径は
57.15ミリ。重さは156〜170グラ
ムと決められている。
重さに幅があるのは競技種目によ
って大会使用のボールが異なるか
らだ。
ビリヤードテーブルはポケットと
四つ玉で9フィート台が標準。
重さ規定はないが、大体1台で400
〜500キロ程あり、3枚の厚い石板
が敷かれてパテで隙間が埋められて
いる。
ポケット台の標準穴幅は2.4玉分だ
が、大会用は1.9玉幅程に絞ってあ
る。
これは私設の競技用練習台。
試合用にやや絞っていた。
ラシャについてはよく走る物と走ら
ない物があり、いわゆる「重い」と
呼ばれる走らないラシャは、正確な
ストロークとショットがより要求
される難しい台となる。
ラシャの種類と張り方により「早い」
「重い」が変わって来る。
重いタイプのラシャをゆるゆるに貼
ると、まるで絨毯の上を玉が走るよ
うで、非常に厳しい玉台となる。
ブランドにより重みも異なる。
製造所は同じなのに、明らかに
アラミスとブランズウィックでは
撞いた時の重みが異なっていた事
を倶楽部では誰もが感知していた。
それと、片方のブランドの手玉が
偏心した事も感知し、途中で同じ
型番の手玉を新品投入した。
多分、製造誤差の範疇に入るのだ
ろうが、繊細に感じ取るメンバー
が偏心に気づいて、私が確認した
ら確かにそう感じる。
他のメンツにも別玉と比較して確
認してもらったら偏心を体感でき
た。
ノギス当てたり、肉眼で表面精査
したら、ごくほんの僅かだが歪ん
でいた。
プラスティック玉はそういう事も
あるようだ。
そもそも、昔の玉屋のおばちゃん
のように筒タオルに入れて左右の
手を交互に揚げるようにしてガラ
ガラとワックスで磨いていたら、
ボールどんどん小さくなるし。これ
まじでそうなんです。象牙もプラも
小さくなる。
ボールの手入れは、水とメラミン
スポンジで丁寧に一個ずつ磨くの
が一番良い。
ワックスはよろしくない。研磨
されてしまうのと、滑るからだ。
水清拭のみでツルツルは保たれる。
そして、滑走はせずに、きちんと
台上を転がる。
ビリヤードテーブルで一番簡単な
セッティングは、穴幅が大きく、
石板の切り欠きも大きく、ラシャ
はよく走るラシャをピン張りし、
ボールはワックスを利かせた物だ。
しかし、それは、大昔に流行った
頃の素人大通り向けであり、撞球
はそんな台でやる競技ではない。
油引きでルートラインを見えない
ように敷いた素人向けのボウリン
グレーンでボウリングをやるよう
なものだ。
ポケット撞球台はある程度ラシャ
が重く、穴が狭くないと競技にな
らない。
逆にスリークッションは、走るラ
シャをさらに走らせる為に、台の
下にヒーターが設置されていて、
ラシャを乾燥させて摩擦係数を
軽減させている。
ポケットと逆でスリー台はそれで
ないとならない。
スリークッション競技は観ていて
も面白い。
玉を隠して自分の難を逃れようと
するポケット特有のセーフティと
いうものなどはない。
真っ向勝負で互いに当てに行く。
5点連続で当てたらハイランの
域に入る。
スリークッションはそれほど難し
い。
ビリヤード競技の最高峰がスリー
クッションだ。
2000 JAPAN CUP 【神業】
スリークッション ビリヤード
ビリヤードの世界は、今まで多くの
賭博の場となって来た。
これは、アメリカでも日本でも。
フィリピンなどは今でもビリヤード
=バクチであり、それ以外では行な
われない。日本の市井の麻雀のよう
なものだ。
アメリカン・プール=ポケット・
ビリヤードでは多くのゲームが考案
され行なわれて来たが、殆どがバク
チの為に考案され実行されて来た。
だが、アメリカでも賭博は法律で
禁止されていた。
特に1900年代初頭からは、合衆国
の多くの州でプールでの賭け玉が
禁止となっている。
その中でも、種目により厳禁されて
いた玉突きがある。
それがケリー・プールと呼ばれる
隠し玉ゲームだった。
これは、スネークボトルに入った
ピルと呼ばれる小玉で最初に自分
の持ち番号を決めておく。
参加者は二人から15名まで。
そしてボールは15個を使う最小番号
に最初に手玉をヒットさせるローテ
ーションルールで行なう。
自分の点玉を撞く前にそれが点玉で
ある事を告げる。
ファールのペナルティは無し。
自点玉を落とすと各人から2点ずつ
獲得。
自分の点玉を落とされたら、落と
した者は落とされた者から1点取る。
労働者が1週間の稼ぎを土曜の夜に
一晩で無くすので議会で問題となり、
多くの州で禁止になった。
映画『ハスラー』(1961年)では、
公式には「賭け玉禁止」とフロント
に看板がある店で大博打の勝負が
行なわれている。
つまり、裏世界の物語なのだ。
隠し玉は日本でも80年代末期まで
はよく玉屋で行なわれていた。
日本では、日本人は遵法意識が希薄
なので、国民の多くはバクチを打っ
ていた。
呑む打つ買うは、大酒を呑む、博打
を打つ、女を買うという事で、ヤク
ザな所業を指したが、多くの者たち
はそれをやって来ていた。
日本でもビリヤード場はスポーツの
場でなく鉄火場そのものだった。
ほぼ全員の「上級者」たちはバクチ
玉しか撞かなかった。
ひどいのになると、バクチ玉をやら
ないと上手くならない、と指導する
ような「上級者」ばかりだった。
そして、都内一等地のビルの権利が
移転する程のバクチが裏の世界では
実行されていた。
今でもまだ5-9、ジャパン、ピン
倒し等の博打玉を好むキュー持ち
たちも多くいる。
バクチ打ちを推奨しているビリヤー
ド場経営者もリアルに多く存在す
るし、恥ずかしげもなくネットで
賭け玉を自慢げに紹介している年
配者もいる。ほら、楽しそうでし
ょ?と。
5-9の4人撞きなどは、裏握りの
回し玉でいくらでも一人を狙い
撃ちにしてムシる事が出来る。
調子こいていたフィリピンの態度
悪いプレーヤーが囲み5-9でスボコ
に都内でムシられたりもする。
まあ、裏握りは八百長でもあるの
だが、5-9での囲い玉はそれがで
きるので本来はバクチとして成立
さえしない。麻雀で他3名が手牌
を合図で示し合わせているような
ものだからだ。
若者たちは、そうした賭博玉の種
目は一切覚える必要はない。
撞球者になりたいのであり、バクチ
打ちになりたいのではないならば。
スポーツの世界にバクチを介在さ
せるのは、スポーツのその種目の
存在そのものを否定するからだ。
スポーツマンは、勘違い種族とは
関与しないほうがよい。
そして、賭博は犯罪なのだと自覚
しよう。
賭け玉をやりたがるのは、犯罪者
になりたがる事なのだ。
先日、友人たちと「手玉以外で何番
の色が好きか」という話になった。
オレンジの5番が意外と人気だった。
一人、「紫の4番」と言う人がいた。
渋いとこ来るね〜。
今は使われていない色番だ。
私は3番の赤玉が好きだ。
手玉と二つ並ぶと紅白、日本の色、
みたいで。手玉は真っ白のもあれ
ば、象牙色になっているのもあるが。
それと、スリークッションは紅白と
黄色玉なので、私の中ではそれが
撞球三原色みたいな印象がある。
それでも、花式台球という位で、
アメリカンポケットビリヤードは
カラフルなところがいいなと思う。
これ、ロシアンポケットのように
全部白玉とかだったら、なんだか
かなり違和感ある。
アメリカンポケットは1875年に
インドより渡英したスヌーカー
よりも歴史が古い。
南北戦争以前の西部開拓時代には
既に合衆国で行なわれていた。
1869年に世界初のプラスティック
の実用化が成されるまでは、クレ
イボールという焼き物の玉だった。
その頃の4番は紫ではなく黄緑色
だった。
(クレイボール4番)
1900年代に入り、可燃性のセルロ
イドではなく安全なベークライト
が発明されて、合成樹脂はそちら
が主流になった。
そして、いつからかアメリカンプ
ールボールの4番は紫となり、それ
が2003年頃まで使われた。
その後、公式玉は4番がピンクとな
り、10数年使われて、今全米選手権
では4番ピンク、5番薄紫となり、
9番は黄と黒のストライプとなった。
ボールの大きさは同じだが、重量は
何度か公式玉は変更されている。
玉の色は うつりにけりな
いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
かつてねーちゃんはこう歌った。
いつのまにかプールボールの色は
変わってしまった。
20年ほど前にテレビ写りの際に
2番のブルーと4番の紫が区別が
つきにくいからと4番が新色の
ピンクに変更され、それが公式
ボールとなった。
同時期に手玉もワンドットボール
から複数のドットボールに変更
された。元々は回転が判る練習用
の手玉。
それの色が20年近く運用されたが、
最近また大きな変化が見られる。
なんと、理由は分らぬが、オレンジ
ボールの5番が廃止されて紫になっ
た。鮮やかなオレンジ消滅。
紫を復活させるならば、ピンクを
やめて4番を紫に戻せばよいのに
と思うが、オレンジが消滅させら
れた。意味不明。
さらに、ナインボールは黄色と白
のストライプではなく黄色と黒に
なった。なんだそれ(笑)
ハイボールは白とカラーのストラ
イプなのに9番だけ特別な色。
工事中かっつーの。
見た目もなんだか爽やかさが無く、
どうにも好きになれない。
プールの王様ストレートプールで
は一つ一つが同じ点数であり、
その一つをラストボールとする
ショートゲームだったところに
ナインボールの妙味があったのに。
9番だけ別色にしたら、テンボール
ゲームの時にも論理的に不整合が
起きる。テンボールでは9番は
特別なボールではないのだから。
というか特別ボールですね。
2000年頃の伝説の殿堂同士のセブン
ボール対戦でも7番玉のみ黒との
ツートンになったボール使ってる。
このゲームも特別玉でしょう。
私が馴染み深いのはこの色。
90年間位この配色だったのでは
なかろうか。