騎士と一言ではいうが、西欧の騎士
映画『道頓堀川』(1982年)より
映画『道頓堀川』のメインとなる
大阪でのロケシーンは1982年5月
10日から20日までの10日間で撮影
された。
主要スタッフが大阪入りしたのは
5月12日正午。主役は15時に大阪
着。
そしてその日の19時から梅田東映
裏の小料理屋を借りての撮影開始
となった。
この時、勤め帰りのサラリーマン
が本物の客として小料理屋にいた
のだが、そのまま客役としてエキ
ストラ出演する事になった。
ママまち子を見て、
「なんやぁ、おったんかいな」
等、大阪弁でママをからかうオヤジ
セクハラ発言が続くが、それが極め
て自然で本職の役者の演技のよう
に見える。大阪人パワーおそる
べし。
道ですれ違う見知らぬ人に「バーン」
と言いながら指で銃を撃つ真似を
したら、ほぼ全員がリアクションを
してくれるのが大阪人だ。これホント。
それと、道行く中年以上のおばちゃん
やおばーちゃんに「おばちゃん」と
声をかけても誰も振り向かない。
無視。
だが、「おねーさん」と声をかけると
3人以上が同時に振り向く。
これも私の外国人の友人は来日して
すぐに通訳からその大阪独自文化
について注意され、その場で試した
らその通りだったという。
巷間人口に膾炙されている大阪人の
「バーン」のリアクションと「おね
ーさん」振り向きはほんまもんだ。
あと、「飴ちゃん」ね。
あの飴は新規に買った物ではない。
貰った飴が硬貨のように回り巡って
いるのだ。
大阪は日本国内の独立国だ。
大阪にしか存在しない大阪でしか
通用しない文化がコアにある。
東京とか広島で「バーン」をやった
ら頭おかしい奴がいるとして通報さ
れそうだ。
いや、広島は「なんじゃおどりゃ、
ゴルァ」と言って来て殴りかかる
かも知れない。
それかネチネチといつまでも何年
経ってもネットで揶揄中傷を書く
かだろう。
日本全国、土地それぞれに土地柄
お国柄があるが、大阪は日本に
あってラテンの気風の土地だ。
つまり、大阪ロケの最初のシーンは
「梅の木」のママまち子(松坂慶子)
の飼い犬の小太郎がいなくなって、
邦彦(真田広之)が助けに来る場面
からの撮影だった。作品の時間軸は
前後する。
この『道頓堀川』は非常に短い
期間で撮影され、上映された。
クランクアップが1982年6月初め
であり、そして公開は6月中旬だ。
製作スタッフはほぼ不眠不休だ
った事が想像できる。
たぶん、そこらの床で死体のよう
にスタッフが順次眠る漫画家の
アトリエのような修羅場だった
のではなかろうか。
映画会社と漫画家スタジオに
勤める人たち全員が人間的な
睡眠時間を取れていなかった
時代。
今もそうかも知れないが、アイドル
歌手なども、一日の睡眠時間が
2時間とかザラだった。
通常、どんな職種でも人の三倍
働いたら大抵は身体を壊す。
今のようななんちゃっての口パク
でごまかすのではなく、本当に
声を出して歌う70年代~80年代
アイドルという人たちは、かなり
強靭な肉体の持ち主たちだった
といえるだろう。
俳優、映像作品製作者も然り。
ただ、この『道頓堀川』では、
売り込みキャンペーンは愛の物語
で主役は松坂慶子であるのに、
出演する男たち(賭け玉師の渡辺、
ヤクザ、武内親子、安岡邦彦)の
抜き差しならぬ演技のぶつかり
合いの作品撮影現場となり、松坂
慶子はその中に入れず、「役者の
生理」としての不一致の為、自己
喪失感にさいなまれてうつ病に
なってしまったという。
そうした裏秘話はDVDにのみ収録
されている。
小料理「梅の木」で武内と邦彦と
まち子が乾杯をするシーンは、
小太郎探しの初日撮影のあとに
収録されたものだ。
だが、乾杯のグラスのビールの
泡が次のカット(物語上の流れ
では1秒後)では泡が消え去って
いたりする。
何度もOKテイクが出ずに、松坂
慶子が悩み切ったといわれている
のだが、それは作品の映像にも
残されてしまっている。
この客のおっちゃんたちは本物の
小料理屋のその場の客。役者以上の
演技をしている。玄人裸足とはいう
が、いうなれば客の玄人本物である
ので、役者以上の本物感が出ている。
こうした事は映画『ワイルド・
ギース』(1978)でも見られた。
本物の傭兵が何人も出演していて、
それはすぐに台詞がゼロでも本物で
あると判る。
これは己の存在を全うしている。