


映画『道頓堀川』(1982)に出てくる
ビリヤード場の店内は、すべて松竹
のスタジオセットで撮影された。
どう見ても本物の場末の撞球場に
しか見えないのは、映画製作スタッ
フの腕だ。
道頓堀商店街の中に玉田ゆきが新た
にビリヤード店を開いた。
古い建物だ。
店内に駆け込む武内政夫。
外のドアを開けっぱなしで内ドア
を勢いよく開ける。
外のドアが違うので、大阪ロケで
使われた建物ではない事が判る。
これは巧妙に建築されたスタジオ
セットなのである。
道頓堀ロケ地の「ビリヤード紅白」
の建物として使われた場所には、
現在、簡易宿泊ホテルがある。
政夫が1982年5月に走って来た路地。
この通りはピンクサロン等の風俗店が
並ぶ通りだった。
現在。
一切そのような店舗は存在しない。
すべて食べ物屋になっている。
だが、道頓堀界隈はこれだけホテル
がある。勿論、観光宿泊客向けの
ホテルではない。新宿歌舞伎町に
もごちゃまんとある「宿泊所」だ。
ラブホテルとも異なる。
実は玉田ゆきの玉屋の店「紅白」
の場所は、映画『道頓堀川』の
メイン舞台である宗右衛門町の
喫茶店「リバー」(撮影当時は
喫茶「小倉」)とも極めて近い。
そして、小料理「梅の木」のロケ
地ともとても近いのである。
映画『道頓堀川』の主たる舞台は、
この数百メートル界隈での出来事
を描いた作品だ。
それも、ほんのひと月ばかりの短い
期間の物語を。
映画の深作節の描き方に原作者の
宮本輝は大反発したという。
だが、深作版『道頓堀川』は、これ
はこれで一つの完結ドラマとして
毅然と成立している。
ただ、この作品での天王寺~道頓堀
界隈のビリヤード場がロケではなく
松竹撮影所のセットであるというの
にはやられた。
94年に大阪大会で師匠のお供で大阪
に宿泊した晩も、97年に東京から西
日本に転勤した際も、この道頓堀
界隈でその撮影ビリヤード場を探し
まくったもの。
結果、無い。
あるわきゃない。松竹の撮影所内
で作られた巧妙なセットだったの
だから(笑)。
かわりといってはなんだが、道頓堀
では良いビリヤード場を2000年代
になってから見つけた。
映画とは異なり、店の人も常連さん
もとてもフレンドリーで温かい人
たちだった。
TAD遣いの常連のバーテンダーさん
などは、「私が居ないときには貴方
は私の置きTADをいつでも気兼ね
なく使ってください」とまで本気で
言ってくれた。矢のインレイの今
だと100万円以上するTADだ。
「ゼニカネちゃうねん」という気概
が大阪には生きている。なにかとい
うとゼニや儲けや、というのはステ
レオタイプの大阪人へのうがった
見方だ。
心根は江戸っ子と強く通じるとこ
大いにあり。
大阪人、いい。
東京とはまた違った味と意味で、
とてつもなく良い。
大阪の街と大阪の人、最高だ。
やはり、人々が住む街、都会なんだ
よなぁ。すべてにおいて感覚が。
コセコセ、ジクジク、ウダウダ、
グダグダとしていない。粘着気質
ゼロ。それは東京も全く同じ感じ。
いろいろ人間関係は難しいとこも
あるけどね。でもサッパリしてる。
基本、「街」だから、陰湿な粘着
というのは、都会に住む人には
肌が合わないのだろうね。
この道頓堀の最高だった店も、今は
もう閉店してしまった。
旋盤やボール番などで軍手や手袋
を着用しての作業は厳禁だ。
これは工業界の安全対策の常識。
手袋をしていたために巻き込ま
れて指切断の事故等がこれまで
毎年のように何十件も発生して
いる。細かい糸のほつれが巻き
込まれたらもうおしまいだ。
動画サイトで、買った旋盤を
試運転で削り作業している動画
を観た。手袋をしたまま稼働さ
せて金属棒を削っている。
実に恐ろしい。というか工業界の
安全基準を知らない無知というの
は恐ろしいと感じた。
ナイフメイキングなどでボール
盤ドリルを使う人たちも、絶対
に軍手や手袋を着用しての作業
はやめたほうがいい。
これは私の意見ではなく、工業
界の常識。
指を無くした事故、ものすごく
多いですよ。
それは安全基準をきちんと守ら
ないから。
友人に造船所に勤務する人がいて
事故の話をよく聞く。
大抵は安全基準を守らず、造船中
の船舶の最上部から落下したり、
部材鉄板運搬中に真下にいて、
タモが外れて下敷きになってぺっ
ちゃんこになったり、規定時間を
過ぎてもまだいけると思い込んで
塗装を続けてガスで死亡したり等
の死亡事故が実に多いという。
それとか、安全義務を怠った為に
塗装のガンの圧力で掌を貫通させ
たり等々。
一般的な自動車の高圧洗浄機でも
直に肉体に噴射が中ったら皮膚
どころか肉も千切れるような事故
が発生する。適正な使い方をしな
いとそういう事故が起きる。
すべては、作業者が安全基準の
約束事を守らないから起きている。
塗装での死亡事故なども多いのは
スネークマンショーの「シンナー
に気をつけな」と全く同じで、
現実に何人もが死亡しているの
だから笑えない。
旋盤、ボール盤等で軍手はじめ
あらゆる手袋を着用するのは、
事故に対する安全防備策ができ
ていない、安全に対する意識が
薄すぎる、という事だ。
事故が起きて利き手の指が全て
無くなってから「手袋は言われた
通り外しておけばよかった」と
理解してももう遅い。
1982年5月時点の大阪の武内政夫の
キューは、米国から逆輸入のアダム
カスタムですね。子持ち8剣の。
映画作品の中でもプレー中に佐藤
浩市さんが芯撞きした時に「キン!」
という甲高いクリアな音を響かせ
ています。
アダムは1970年にキャロウェイ・
ゴルフの重役だったリチャード・
ヘルムステッター氏がビリヤード
界にも参入しようと設立した米国
資本の会社でした。製造は日本。
やがて間もなく、マスプロライン
ながら日本製の高品質アメリカン
カスタムキューとしてアダムの
キューは世界に台頭します。
アダム製のキューが国内で販売が
開始されたのは1986年から。
会社法人が日本法人として独立
してからの事でした。
当時はアダムのキューは「アダム
カスタム」とか「アダムス」と
呼ばれていました。
日本のトッププロが米国に遠征し
て出来の良い素晴らしいキューを
日本に持ち帰り、アダムに「この
ようなキューを作れないか」と相
談したら、それはアダム製だった
というのは有名な話。
私がアダムのキューで初めて購入
したのは1986年国内販売シリーズ
の第一弾製品群の一つ86-9S(Sは
ステイン)で、定価¥63,000程で
した。今のレートだと14万円位の
あたりか。
その後、57万円(現在レートだと
130万円程)のリチャード・ブラッ
クのブシュカモデルも買ったので
すが、アダムのほうが入れは強か
った(笑)。
ただ、私の個体のアダムはシャフト
が硬すぎて棒みたいでイマイチだ
った。そのシャフトはある都内の
試合の時のブレイクで折ってしま
い、淡路亭でスペシャルシャフト
を作ってもらったのですが、その
淡路亭赤木シャフトが抜群に良く
て、今でも私のオリジナルカスタ
ムのメインシャフトとして現役で
活躍中です。
その淡路亭シャフトは1987年製な
のでことしで35年目になります。
今でも動きが頗る良い。曲がり
無し。音はカキーン音。
バットのフォアアームのみアダム
粕谷氏のハギ。ステインは剥がし
てクリア仕上げで再生。
(Luke Landwalker No.6)
一番上が原型。アダム86-9S。
上からアダム・ヘルムステッター
86-9S、ボブ・ランデ・ショーン
R21、ポール・モッティ・ザンボッ
ティモデル、ルークNo.4オリジナル。
アダムのキューは今でも独特の味
があります。
アダムから独立して1995年にキュー
をリリースし始めた三木はMezzと
いうブランドで展開していますが、
アダムとは方向性と色を変えた
製品開発をしています。
アダムのキューはトラディショナル
な職人技を大切にし、Mezzは最新
技術をふんだんに投入する方向性で
製品群の区別化を図っている模様。
なお、アメリカンカスタムに代表
される個人ビルダーの作品キュー
を「カスタムキュー」と呼称する
概念は、1990年代以降に登場しま
した。
それまでは、たとえバラブシュカで
あろうとも、ただの「キュー」。
キューに特別な格式呼称も概念も
存在しませんでした。
でも、それが本来のキューの姿だろ
うと思います。
「カスタム」とは本来は自分の為
にワンオフ製造された製品や改造を
施された物の事を指します。
企業法人ではない個人ビルダーの
製品の事を「別格超高級品」として
別枠概念化する事は、商業的目論み
の中で誕生した新呼称だったのです。
本来キューはどんなキューでもただ
のキュー。それが本質です。
「美術刀剣」などという見てくれだけ
の表層視覚「美」意識を煽る風潮が
創作されたのと同じ路線で、ビリヤ
ードのキューにおける「カスタム」
概念も、あたかも超高額を支払わ
ないと買えないような高尚な芸術品
であるかのように作り上げられた
虚構なのです。
具体例を出すと、1987年時点での
ガス・ザンボッティなどは45万円
で米国では購入可能でした。これ
が実態であり実相であり真相。
今やガス・ザンボなどは1,500万円
でも買えるかどうかの価格帯です。
リチャード・ブラックのブシュカ
などは米国で買えば80年代当時は
本当の金額は1,800ドル。
それが日本でのブシュカの販売金額
は日本の業者国内販売価格で57万円
だったのです。
何か、カラクリが見えてくるでし
ょう?
バカバカしい話です。
世界的なキューコレクターである
元プロ選手だった菱沼巌氏が立ち
上げたアメリカンキューの販売会社
のラッキーインターナショナルが、
2000年代に入っても、ポール・モッ
ティ作などを30万円代で販売して
いたのは、度外れた良心的な販売
形態だったと断言できます。
ラッキー菱沼さんの場合は、販売業
の販売利益が第一義ではなく、ご
自身の人間関係で製作オーダーした
ご自分の持ち物のキューを購入者に
分けるという趣旨だったから、法外
な儲け利益を乗せるというような事
をしなかったのだと個人的には思い
ます。
今ラッキーさんご自身はキュー製作
者になっています。娘婿である
「息子」さんたち二人もキュー製作
者としてプレーに使えるキューを
作っています。実戦実用品として。
本来のビリヤードキューの姿はそれ
です。
見てくれの見た目を鑑賞する為だけ
にあるものではない。
切れない日本刀、使えないキュー
などは、金満主義の好事家たちの
私的欲求を満たすだけの物体です。
使えない得物は得物として持つに
足りない。
理由は、見かけ倒しの物など持つ
と、一切戦えないから。