手玉を思うように動かせるキュー
というのは武器になる。
切れ味鋭くキューを切らせて行く
のは技術だが、元々全く切れない
能力の低いキューでは、やろうと
する事が実現できない。
昨日は左側の熟成シャフトを720
分連続使用した。極めて快調。
昨日、こうした配置で、キュー切れ
のみの押し抜きでビタリと出す。
この撞き方は大会などでも多くの
シーンで観られる撞き方で有名だ。
これの変形版はとても多く観られる
が、転がし玉をやっていると全く
この出しはできない。
できないと「逃げのセーフティ」
などというくだらない事をやる。
クリアできれば難なく取り切りだ。
この図のような手玉の出し方は
キューを切らす人はよくやる。
奥田プロの5:28からのショットが
これと系統は同じ玉筋。
強くは撞かない。キュー切れのみで
撞く。
昨日はこういう出し方もした。
これはリボイスでダブルレールで
ネクストに出したいが、邪魔玉が
あるので、リボイス気味に縦に直
線的に戻し出しをやる撞き方。
相方はハハハと笑っていた。
二人とも時々やる出しだからだ。
これも玉転がしをやっていると
できない。
TAD遣いたちは常識的にスキューン
と撞いて普通にこれを使う。
私もその人たちと同類系の撞き方
をする。理由は同族だから(笑)。
スコーンとキューは出す。
チョン突き転がし玉はやらない。
この出し方も、TAD遣いの人の動画
にも時々出てくるが、よく使う。
両方のシーンでは取り切りだった。
それでないと意味ないんだけどさ。
取り切るためにネクストに手玉を
運ぶ。
ポケットビリヤードもキャロムビリ
ヤードも、玉撞きというのは手玉を
意思通りに動かす種目のゲームで
ある。
ポケットビリヤードで的玉を入れる
のは当たり前。
その当たり前の事を連続して実行
する為に手玉をネクスト、その次、
その先、さらに先まで考えて出す。
ビリヤードは手玉を動かす競技で
あるのだ。
ポケットの場合は的玉を入れる為
に手玉を自在に動かす。
キャロムでは手玉自体を的玉に正確
に当てる為に手玉を動かす。
ビリヤードは手玉を撞いて動かす
競技なのである。
玉転がしはメイスを使っていた時代
に終了している。
(キュー登場以前のメイス時代)
1860年代にキューが一般化して以降、
さらにチョークとタップが発明され
て以降、こんにちに至るまで、撞球
は玉を「撞く」のである。
(キューとメイスの混在時代。1860
年代初期まで)
現代。
現在。転がし玉のみでの玉突きを
絶対にやらない代表的なアメリカ
人プレーヤー。
ここ最近のビリヤード界の変化に
ついて少し。
現在の世界大会等での大きな歴史的
な変化の一つにドレスコードの変化
がある。
かつてビリヤードは紳士淑女のスポ
ーツであるので、正式大会の正式
着装には厳格な規定があった。
男子は黒スラックスに黒い革靴、
白い長そでのシャツに蝶ネクタイ
を締めてベストを必ず着用する。
それが長そでが緩和されて半そで
でもよくなり、続いて順次正式の
フォーマルウェアが大会では廃れる
ようになった。
現在では、ビリヤードの世界大会
等では、上は半そでのスポーツ
シャツが主流となっている。
だが、襟付きのゴルフシャツのよう
な物であり、Tシャツは禁止。
さらにズボンと靴は従前からの
色指定、素材指定がまだ生きて
いる。
しかし、ポケットビリヤードでは
上はスポーツシャツが主流となって
来ているのが現段階のプールシーン
だといえる。
キャロムとスヌーカーは伝統を
重んじるので、今でもフォーマル
ウエアは従前通り長そでワイシャツ
の紳士服だ。
アメリカン・ポケット・ビリヤード
のみがスポーツシャツ着用の新しい
流れがある。
これは非常にプレーしやすいのだが、
仮にフォーマルウエア全廃という
措置になったとしたら、それはあま
りにも寂し過ぎる気もする。
伊与余麻須万須 加奈之可利家理。
地球人加瀬真治の体に乗り移った
宇宙人は、「愛」についてよく
理解できないので、キリスト教会
で牧師に愛について説かれる。
だが、教師が言う愛が何のことで
あるのかまったくサッパリ解らな
い。
教会を出た真治に宇宙人の「ガイド」
にされた妻の鳴海が尋ねる。
「奪ったの?!」と。
地球人から概念を写し取ると、その
地球人からはその概念が消失する副
作用がある事を宇宙人は実験により
知っていた。「写し」のつもりで
やっても「移し」となり、地球人の
脳内からはその概念が完全消滅する
のである。
鳴海から訊かれた真治は答える。
「いや、全然だめだった」
このシーンはこの作品の重要な
テーマの布石となっている。
この教会での一件は二つの意味
の可能性がある。
それは第一に、「愛」とは、宇
宙人には移し奪い取ることが
できないものであるという事。
だが、これはラスト間際の人類
滅亡の直前に妻鳴海が夫真治に
乗り移った宇宙人にすべての愛
をささげ移し与えたので、当然
否定される。
第二の可能性として、これが真
相だろうが、「宗教者には愛は
本当は存在しない。愛の実体を
有していない」という事。
奪い取るものそのものが存在し
ないので、全ての概念を移し
奪える宇宙人も予定が外れて
まったく奪えなかったのだ。
このシーンは人間社会の実態の
えぐり出しであると同時に、人
類への警告となる描写でもある。
東京都民や神奈川県民にはお馴染み
の国道246号。
東京人は「ニーヨンロク」と呼ぶ。
東京の大都会の都心部をズドンと
抜けて西に進む。
Route246が東京の皇居の所から
出発しているのは知っているが、
終点はどこだか知らなかった(笑)。
調べたら静岡県の沼津のようだ。
千代田区の皇居脇から沼津まで
125kmの国道が246だ。
私の印象は、都内も神奈川県内も
いっつも混んでるんだよな、とい
うイメージがある。下手したら
一番空いてるのは皇居周辺じゃ
ない?という程に。
国道246号。
顔の上にあるのは頭ではなく
地球征服を狙う恐怖の侵略者。
宇宙人二名とロボット二体。