宇宙の大きさを体感してください
こりゃわかりやすい。
アンドロメダ、おまえだ。




ランデ・ショーンを除けば、
私の所有四剣の中で最も冴
えているのがこの四剣。
(ボブ・ランデは別格)
撞くとキンキン音がする。
涼感があるキュー。
良いキュー作るなぁと感心する。




クラスに位置するキューといえ
る。いわゆる普及品の中のちょい
上あたりのライン。
感じさせるが、1970~1980年
る。

横浜の焼肉屋でロースターを囲む
宍戸錠、小林稔二、藤竜也、草刈
正雄。(『プロハンター』第15話)
1981年当時の焼肉最前線はこれ
だった。
夏場だろうが冬場だろうが焼肉。
これはかなり活力がつく。
暑気払いでも冷やしソーメンより
も焼肉のほうがパワーが出る。
この1981年当時には、今は常識の
無縁ロースターなどは存在しない。
煙モクモク。
従って、焼き肉屋などに行く女性
はほぼ存在しなかった。店にいる
のはおっちゃんばかりだ。芸能人
さえも行かない。
芸能人の打ち上げなどで焼き肉屋
が定番になったのは80年代中期に
無煙ロースターが普及してからだ。
それはほぼ温泉ブーム到来の時期
と重なる。
温泉旅行なども、年配層しか行か
なかった。それが若い女性に爆発
的ブームになったのは80年代中期
以降だ。
焼肉ブームと温泉旅行ブームは
バブル開始の前兆の1986年頃か
ら始まった。
ただ、焼き肉屋は1980年代中頃
までは今のように高い店ではな
かった。
いわゆるホルモン屋であり、京
浜工業地帯や京葉、埼京エリア
の労働力集約地区には多くの焼
き肉屋が存在した。
神奈川の川崎や埼玉の川口など
は焼肉店だらけだ。
パチンコ屋と同じく、ほぼ殆ど
が在日朝鮮人が経営していた。
さほど高級店は少なかったので、
私たちのような学生も金が入れ
ば焼き肉屋に行っていた。高級
店ではないが定食屋よりは高い。
なのでバイト代が入った時など
に仲間と連れ立って焼肉だった。
店にあるのはアサヒビールが多
かった。
室内キャンプのように煙モクモク。
今こういう煙モクモクの店は殆ど
無い。
JR板橋駅のそばに一軒こうした
昔ながらのロースターの店がある。
そこが殊の外美味い。ここ10年以
内でも何度か行ったが、相変わら
ず美味しかった。店内はいつも
満席だ。
煙モクモクで店内見渡せない程
なのに女性客もとても多いのが
印象的だ。
武士の時代が終わり、明治維新以
降に工業都市化されて来た広島県
の城下町三原には焼き肉屋が多い。
あちこちにある。
これはかなり楽しめる。お好み焼き
屋と並んで店舗の多さは楽しめる
のでグッドだ。
炭鉱町と同じで、工業地帯は労働
力集約が実行されてきた歴史がある
ので、焼肉文化もそのような土地
では全国的に各地で同様に定着し
ている。
農村地帯にはあまり焼肉屋がわん
さかあるケースは無い。あまりと
いうかほぼない。
「精肉加工業者」「精肉販売業者」
「焼肉をやる人」が集まった土地
に焼肉屋は多い。明治以降の三原
などはまさにそれだ。
それとこれも近代工業地区の現象
なのか、三原には異様に理容店美容
院が多い。通りの200mくらいの間
に8軒が並んでいたりする。めちゃ
くちゃ散髪屋パーマ屋が多い。
そして病院だ。
個人医院などはドクターストリート
のように建ち並んでいる。乱立。
それらはすべて、工業地帯の特徴だ。
現行の三原人の独特の気質も、神奈川
県川崎や東京山谷、大阪西成、福岡
田川、飯塚等々といろいろな面で共
通する事項が土地柄の気質を形成し
ているのかも知れない。
最近はチェーン店に押され気味だが、
個人店舗を応援したい。
夏こそ焼肉屋でビール。これよ。
日曜日に焼肉屋で良い事を
知った。
それはニンニクを丸ごと(粒
ごと)小さなステンレスのカッ
プに入れ、そこに切ったバタ
ーを入れて、鉄板の上に乗せ
てグツグツと煮るのだ。
元広島カープの野球選手に
教わった。
10分以上煮て、バターが無く
なったら出来上がり。
これが殊の外美味しい。
また、ニンニクの臭みがほぼ
消える。
これは野外料理でいける!
こういうメスキットの小さな
カップでもいいだろう。
ニンニクの臭みを消す理屈と
方法については ⇒ こちら



ビアガーデンなんていいぜ〜。










ノーマル台は穴幅が玉2.4個分な
も穴に向かえば入ってしまう。


をやりたいのである。

自作毛鉤=フライに食いついた子。





