
スリークッションや四ツ球等の
キャロムビリヤードの基本的な
お手本となるフォーム。
下画像はアメリカンポケットの
フォーム。
懐を深く取って肩を前に下げず
後ろに引き、足の位置はキャロム
よりも直線並び気味のサイドスタ
ンスで構える。
これはキャロムとは種目が異なる
ので、実利的な意味から。
スヌーカーもやるトッププロ。
これはアメリカンポケットでの
フォーム。サイドオープン。
日本のプロの一例。アメリカン
スタイルのフォーム。
アメリカンスタイルのサイド
フォームの典型のトッププロ。
元全米王者。
現在。後ろ肩を落として前には
出さない。
不世出の天才、ウイリー・モス
コー二。世界チャンピオンを15
回奪取した。
ややサイドスローぎみながら
スタンスはサイドオープン。
肩は下がらない。
もう「横向き」という程に
サイドオープンフォームだ。
晩年のモスコー二。
アメリカンサイドオープンの
フォーム。
キュー出しをした時のフォロー
スルー。肘から下だけの振り
子運動では円軌道となりキュー
がしゃくり出しになるので肘
と肩は送る。モスコー二と同じ。
どの種目も強かったが、バンク
プールとワンポケットでは誰も
勝てなかった世界チャンピオン
のエディ・テイラーが解説する
アメリカンポケットビリヤード
での足のスタンス。キャロムや
スヌーカーとは全く異なる。
送りのフォロースルーの解説と
実演。アメリカン・プールでは
キューで玉を「撞く」事が実技
上必須となる。当て止め突きは
やらない。当然フォロースルー
も必須となる。そのためには柔軟
な肩と肘と手首と手の内の使い方
を習得しないとならない。
英国式ポケットのスヌーカーの
典型的なフォーム。
両足は正対気味にスタンスを取
り、前足の膝を曲げてバランス。
基本的に後ろの膝は伸ばし気味
にする。上体は極限まで下げる。
視点が低いのでループレストは
使わない。レールレストの時
のみ目線が高いので支障がない
為にこうしたレストの選手もいる
が、平場ではポケットのような
ループレストは用いない。
英国のスヌーカー・チャンピオ
ンの女性王者アリソン・フィッ
シャーがアメリカン・ポケット・
ビリヤードに1995年に転向して
全米を席巻してから、日本でも
このスヌーカー・スタイルの
フォームでプールをやる人が
激増した。
だが、実はアリソン自身は、全
米デビューの頃とは異なり、
どんどんアメリカンプール寄り
のフォームに改造して来た事実
がある。
極端なスヌーカーフォームは
取らないように彼女は進化した。
アリソン以降の女子選手はほぼ
キューに顎をベタ着けのスヌー
カースタイルになったが、男子
でもそうした両足ポジションと
キューへの顎着けフォームを
するプレーヤーが登場し、現在
でもその流行の延長にある。
例外的に日本のトッププロの
土方隼斗選手はオリジナルの
フォームだ。上体は下げるが、
両脚は左右両方とも膝を軽く
折り曲げる。これはキャロム
系では一般的なスタンスフォー
ムだがポケットでは珍しい。
しかし土方プロは上体はプール
方式、顔位置はスヌーカーの
フォームを取るスタイルで、
更にとても珍しい。三種目混合
のようなフォームにしている。
ビリヤードはどのようなフォー
ムでもよい。玉が当たり、玉が
入れば。
自分がやりやすいフォームで
やるのが一番良い。
ただ、物理的な道理が絡むので、
各種目でなぜセオリーフォーム
が存在するのかは考察したほう
がよいかと思われる。
例えば、スヌーカーではキャロ
ムのフォームで撞く人は一人も
いない。それには意味がある。
プールの場合は結構汎用型で
こなせるが、スヌーカーフォー
ムではキャロムはプレーでき
ない。キューさえ専用物なので
それぞれ違う。
キャロムはキャロム用、ポケット
はアメリカンポケット用、スヌ
ーカーはスヌーカー用のキュー
がプレーには適している。最適化
された進化をしてきたからだ。
さらに、最近流行のチャイニーズ・
エイトもそれ専用のキューが必要
かと思われる。
ポケットのキューでスリークッ
ションを撞けない事はないが、
やはり特化されたスリー用の
キューのほうが適している。
ここはゴルフのクラブと同じと
割り切って、各種目ごとの道具
を使うのがベターだろう。
フォームも実は然り。
その種目にはその種目に合った
フォームがある。基本的には。
An Eerie Look At American Pool Halls From 1963
1963年。昭和38年。
ティーンエイジャーから高齢者
まで、アメリカではビリヤード
を楽しんでいた。
それはポケットだけではなく、
三つ玉等のキャロムビリヤード
も行なわれていた。
大型プールホール=ビリヤード
場へは自家用車で乗り付ける。
日本がこうなるには、この時点
からおおよそ10年以上待たねば
ならなかった。
1963年当時の日本では、自家用
車を所有しているのは国民のう
ち数える程であり、ごく一部の
大富豪以外には自家用車などは
誰も持っていなかった。まだ高
速道路さえ国内に無い時代だ。
新幹線さえも無い。テレビさえ
全家庭に無いので、街角にテレ
ビが備え付けてあって、その街
頭テレビに勤め人たちは鈴なり
だった。
日本では、ようやく都市部や
「白亜の御殿」と呼ばれた鉄筋
5階建ての公団住宅団地で初め
て洋式水洗トイレが登場した頃
だった。水洗トイレ自体が国内
にほぼ無い時代。
だが、アメリカは日本の数十年
程先を行くような「夢」の如き
生活環境に日本人には思えた。
ベトナム戦争激化でアメリカが
抱える問題が世に出る前、まだ
「アメリカン・ドリーム」が信
じられていた頃のアメリカの日常
生活がこの動画のようなものだっ
た。ビリヤードはアメリカ人の
生活に溶け込んでいた。
全米大学チャンピオンのミス・
サンドリン・メリック。
ビリヤードは年齢差、性別、関係
なく誰でも楽しめる。
実力さえあれば女性でも若年でも
USオープンで優勝できる。女性
部門リーグではない。男女混合
ノーハンデだ。
そうした平等な仕組みのボールを
扱うスポーツはビリヤードしか
存在しない。
ビリヤードにこそ、スポーツ競技
として真のボーダーレスの未来の
可能性がある。
戦前には1910年生まれのルース・
マックギニスというとんでも
凄腕女性撞球者がいた。
男たち、ストレートプールで
どんどん負ける(笑)。
彼女の後の女性女王は10代で
USオープンを制した天才ジーン・
バルーカスだ。こちらは存命。
強すぎて話にならない位強かった
のがジーンだった。
戦前~戦後の世界一の女性選手
はルースだろうなぁ。
彼女は「クイーン」と呼ばれて
いた。
身体を正対させるブリティッシュ
スヌーカーフォームではなく、
完全にサイドに開くアメリカン
プールの典型的なフォームだ。
両足のスタンスはキャロムの
ように三角形で前足を頂点に
持って行かない。
まるで両足が真横に揃うように
スタンスを作るのがアメリカン
ポケットのスタンダードセオリ
ーフォームだ。
私もこのフォーム。
日本では四つ玉が主体だったの
で、1980年代中期までのビリヤ
ード教則本などではキャロムの
フォームが基本と書かれていて、
私がアメリカンスタンダードで
構えたら「身体が開き過ぎだ」
とか上級者に言われた。
だが、どの道でもそうだが、餅
は餅屋。プールにはプールの
セオリーがある。
戦前にすでに女性のルースや
男のモスコー二がやっていた
フォームがアメリカンポケット
のセオリーフォームといえるだ
ろう。
ごくここ最近のポケットビリ
ヤード業界では英国式スヌーカ
ーのフォームでプールをやる
ことが「流行」しているようだ。
私はトラディショナルなルース
系だ。いくらでもキューは出る。
結果、キュー切れ撞きを簡単に
やれる。この写真のルースもそう
だが、キューはぶら下げるだけ
だ。絶対に握り込んで構えない。
彼女やエフレンもそうだが、タツ
ノクチも開いている。握り込んで
構えないからだ。
これ、抜重保持の基本中の基本。
日本刀も全く同じ。でないと切り
の冴えは一切出せない。
世界チャンピオンだったアリソン・
フィッシャーとアール・ストリッ
クランドも使っていた米国ブラン
ドのキューテックのキュー。
昔は日本のアダーチで作っていた?
謎。
私はアダーチの木製キューを1本
持っているが、作りがしっかりと
している真面目な製品だ。
廃業間際には生産拠点を日本から
韓国に移したという話を風の噂で
聞いた事があるが、詳細は不明。
アダーチ製のチョークもノリが
良くてなかなかの製品だった。
1980年代には、アダーチ製のキュー
は、作りがしっかりしていながら
アダム社製よりかなり安かったの
で、コスパ重視の人たちはアダー
チを選んだりしていた。
こういうタイプのテーブル最高だ。
ポケット・ビリヤードのボールの
色は私はこのバージョン時代の色
が一番好きだ。
ブランズウィックのボール。
製品名センティニアル。
数十年間に亘り使われ続けた伝統
的なボールだが、現在は公式戦で
使用されることはなくなった。
消滅。






神。エフレン。







そのリズムの違いと玉筋の違いの
後年に世界チャンピオンになる





先日、家飲みでいっぺぇやんべと



