渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

アメリカン・スタイル

2022年07月28日 | open



私の現居住地の市内住宅街の
ど真ん中に洒落た
アメリカン・
ガレージ・ハウスが
ある。
これはある企業の社屋なのだが、
アーリー・アメリカン・テイスト
でとてもカッコいいと感じる。
こういうガレージハウスが自宅
敷地内に欲しい。
実に欲しい。

市内にはもう一軒、アーリー・
アメ
リカン調の建物がある。


まるで1880年代のアメリカの
学校みたいだ、と思っていたら
外語学院という専門学校の校舎
だった。

オサレす。
西部劇の建物みたい。


この学校の建物があるのは全く
知らなかった。

ごく最近知った(笑)。

アメリカン・テイスト。

ちゃうがな。
これはおいらが入学した神奈川県
湘南地方の小学校だ。


1956年校舎完成時の撮影らしい。
生徒は私の15歳年上の人たちあたり。
もろに団塊の世代。
この世代は高校進学率も低く、大学
進学率は6%程、女子大学生などは
全生徒の2%以下程度だった。
一回り下の世代の私の時代で大学
進学率
はようやく6割を超えた程度
だった。

これは給食室。
この写真は私が生まれる4年前の
写真だが、私の頃もこの給食室
でおばちゃんたちが給食を作って
くれていた。
この子たちが6年生だとすると、
私の16歳年上であり、戦時中
生まれの子どもたちとなる。
昭和19年生まれ世代だ。
よくぞ生きていてくれた。
オギャアと生まれた時には、日本

国内は空襲と飢餓と精神錯乱の
ヒステリーと暗黒告発吊し上げ
国民殺戮の世の中だった。
国家権力軍部が決める事に少し

でも疑問などを呈したら、特高
に逮捕されて拷問で殺される。
そういうのが戦時中の日本だった。


この校舎は私が1967年入学の時も
この校舎だったし、1989年に過去
を訪ねての二輪走りで行った時も
この校舎があった。90年頃にも確認
されている。


私が生まれたのは戦後15年目。
未曽有の世界大戦争が終わって
たった15年しか経っていない。
だが、私が生まれた時、日本の
国民の8割以上が平和を求めて
日本のアメリカ軍事同盟化に反対
する行動に起っていた。
本気で「戦争はもう嫌だ」と思っ

ていたからだ。
21世紀が20余年過ぎた今はどう
やら違うらしい。

世の中のほとんどがネトウヨと
戦争賛美の保守や右派だ。
仕方ない。
今はもう日本に平和がようやく
到来した戦後ではなく、「戦前」
なのだから。しかも侵略同盟戦争
を準備しようとしている。

侵略戦争をするもしないも、国民
次第だ。
ゼネラルストライキになったら、
国権を発動しても戦争など遂行
できない。生産拠点、流通拠点
他基幹産業すべてが労働者により
操業停止となるから。
国民の最後の武器はゼネストが
ある。
攻撃的武器ではなく、守りの武器
だ。
その際には国家権力の国民殺戮
部隊が投入されて来るから国民
側の武装防衛隊も必要になる。

戦争に反対して本気で平和を求め
るのは、そういう覚悟が必要。
お花畑でピーチク言っても平和は
来ない。
平和の為には(防衛)戦争を準備
せよ、というのは本当の
事なのだ。
これ、人類史の定理。
方法は国家権力が掌握している
国軍を
割って国民軍とするしか
ない。

それと武装民兵の組織化だ。
無論武装民兵は国民軍の遊撃隊と
なる。
国家権力の暴力装置としての常備
軍ではなく、武装せる独立暴力=
人民の人民による人民の為の軍隊
である。of,by,for だ。

だが実現は簡単ではない。
権力に国民が洗脳されてドボンが
ずっと継続している。
結果、今あり。今の世が。

しかし、裏の裏の裏裏の裏の裏が
あるから、世の中は変わらない。
無論、見えている表の「政治」

などでは。


補修

2022年07月28日 | open


部分コーティングして乾いたら
研ぎ上げ、またコーティング。
これの繰り返し。

原理はこのようなもの。

これは、ケースの底が取れてアス
ファルトの上にキューが飛び出し
て、擦過打痕で疵だらけになった
キューを部分クリア補修でリペア
した物。光っている部分が打痕部。
木部まで露出する疵だったが、
ほぼ識別できない程にコート
できた。これはフォアアーム。

バットスリーブ部。
クリアコートと水研ぎとポリッシュ
で疵の上に保護透明コーティング
が上手くいくと、全体スプレー塗
装でなくとも綺麗に仕上がる。
なんとか完璧にリペア出来ている。
ここまで持って行きたい。

しかし、16年使い続けて汚れた
TAD糸の巻きを新品リネンに巻
き直したいというのもある。
その時には、全体をリフィニッ
シュクリア塗装しようかとも思っ
ている。


TADタイプのアイリッシュリネン
は入手済みだ。

その際には、ハンドル部の下地
処理をきちんと丁寧にやって、
このように綺麗に巻きたい。
Buddy's巻きのTADキュー。

私の巻きの自作キュー。


これも私の巻きの60'sキュー。


乾くと塗膜が痩せる。
それを均して研ぐ。
そしてまた塗る。
これの繰り返し。


手間暇はかなりかかる。
だが、通常リフィニッシユも、塗膜
全体が完全に乾くのは数ヶ月後だ。


どうだぬき

2022年07月28日 | open



かみさんが覗き込んで「なになに?
どうぬき?」と言う。
ちゃいまんがな。
そりゃ子連れ狼でんがな(笑)。
肥後の同田貫はドウダヌキ。

これも、ドウ+タヌキで覚え易いから
思い込むんだろうなあ。子連れ狼の
ドラマの影響もあって。
あと、似たようなのにUFOがある。
あれは1977年のピンクレディーが
「ユッフォ!」と歌うまでは、日本
人は正確にユーエフオーと発音して
いた。1970年の英国ドラマの「謎
の円盤UFO」はきちんとユーエフ
オーと言っていたし。
しかし、ピンクレディー以後は日本
人は軒並みユーフォーとか言い出し
た。
ほんとに、信じられない事ばかり
あるの、もしかしたらもしかしたら
そうなのかしら、てやつだよ。
世の中えてしてそんなもん。
そら変でしょに。世界で日本だけ。
英語ではごくたまーにユーフォー
という事はあってもそちらがレア
だ。
そういう和式略ならCIAはシアな
のか?
FBIはエフビなのか?マクドみた
いやな、みたいなことになっちゃう。
NASAがきちんとネイサでなくナサ
とかもだけどさ。

日本刀界ではその手ではでけえの
があるよ。
山浦環源清麿を「きろまろ」なん
ていつからか読んじまってる。
あれはスガマロだ。パトロンの窪田
清音がスガネなのだから。
それと清麿の兄貴の真雄ね。
あれはサネオなのにマサオなんて
読んでしまっている。

またまだあるよお〜。(ジャンキー
大山風)

好き嫌い 好み

2022年07月28日 | open

ジスの絵日記

ジスの絵日記

定年後に始めた水彩画と墨彩画、完成したらここUPしています。しかし、最近はなかなか更新出来てません。 【ジスの絵日記】

goo blog

 
人には好き嫌いがある。
これは絵画や音楽などは典型的だ。
私はこの方の絵がそこはかとなく
好きである。

好き嫌いの理由は何ぴとたりとも
説明はできないと思う。
感性に関わる領域の問題だからだ。
音などもそれそのもので、同じ
曲を弾いても、演奏者により聴く
側は好き嫌いが分かれる。
文学における文体や表現手法も全く
それだ。
プロットは良いのだが、どうしても
好きにはなれない小説などもある。
私の場合は福永武彦や藤沢周平の
文体と表現描写には心が鷲掴みに
される。
また、美文の長は三島文学だと思っ
ている。
方向性において破滅的な悪魔の作
を書くのが赤江瀑だ。
麻薬のように読み耽ってしまう。

絵は風景や対象物を描くのでは
ない。
その描く人がそこに現れる。
当然、好き嫌いはキッパリと分か
れる。
主体的かつ能動的感性を以て絵画
に接するならば。
それが芸術だからだろう。

ローソン

2022年07月28日 | open


だいぶ前からだが、ローソンで
Wi-Fiに繋ぐとスマホのウイルス
バスターや他のセキュリティが
警告して回線を遮断する。
ネットから個人情報ダダ漏れに
なるとの警告。
他のコンビニや店舗ではそうでも
ない。
どうなってる、ローソン。
競合同業他社のサイバーテロか?(笑

ローソンといえばエディ・ローソン。
そして、エディといえばこれ。


"Hey! I'm back." だ。
buck じゃないよ。
balk でもない。

ニューヨーク

2022年07月28日 | open



ニューヨーク、マンハッタン。
人間社会のありとあらゆるモノ
が揃っている世界一の都市だ。
差別と貧困、富と栄華、平和と
暴力、何でも揃っている。
地球上のすべての国が自由主義
国となった時、こうなるであろう
一つのモデルケースのような都市
だ。


そのマンハッタンの南端にある
チャイナタウンのすぐ北にバク
スター通りという狭い路地がある。
そこにこのビルがある。


まるでウエストサイド物語に
出て来るような建物だ。
あれは1961年公開なので、あの
時からすでに61年が過ぎている。
しかしこの建物はそれよりも遥
かに古いだろう。
そしてこの場所には、1902年
3月20日時点で
J.A.RIEPER MANUFACTURING Co.
というビリヤード用品の総合ディ
ーラーが存在した。
ブランズウィック社の製品等を
扱っていた。自社ブランドの
キューも販売しており、製造元
はブランズウィックだが自社銘
をキューのフォアアームに刻印
して販売した。







そのリーパー社は日本でいうならば
日勝亭や日本玉台や淡路亭のような
老舗ビリヤード用品ディーラーで、
戦後も1960年あたりまで続いていた。
位置的には日本で例えるならば、
目黒自由が丘のアルファ・インター
ナショナルに近いかも知れない。
アルファは一時ジョスの国内代理店
等を担った一時代を築いたディーラー
で、多くの事業功績を歴史に残して
いる。TADタップの革はアルファが
TADさんに供給していた。
80年代後半からは赤坂のコスモが
ニュー・ディーラーとして勢力を
示した。特に西尾さんから磯本氏
に経営権が移動してからがメディア
等を駆使した企画を大々的に展開
した。しかし、コスモは80年代
中期~末期にかけて全米から女子
プロや多くの男子プロを招聘して
日本にアメリカの本場の選手を
紹介した先駆者の一翼を担って
いた。西尾さんはビリヤード協会
の会長も務め、子息は撞球店舗の
赤坂グリーンテーブルを経営した。
コスモは私は公私ともにお世話に
なった。
私が勤めていた法律事務所の忘年会
で東京会館を貸し切ってJAZZバンド
を呼んだり、ビリヤード台を設置
したりしたが、その時に台を会場
に設営してくれたのがコスモさん
だった。
プールバー「グリーンテーブル」
のオーナーは私の2学年上の歯科
技工士だった。西尾会長の子息だ。
私とは親友のような関係だった。

日本だけでなく、もちろん本場の
アメリカ合衆国にもビリヤードの
栄枯盛衰の物語がある。
ブランズウィック社は今でもある
が、大手メーカーのパーマーは
すでに無く、またペンレイやリー
パーといったディーラーも消滅し
た。
このキューはそうしたアメリカの
ビリヤードの歴史の中に刻まれた
老舗ディーラーのブランド製品だ。
ニューヨークバクスター通り生まれ
である。70~80年前のキュー。
1940年代もしくは1950年代製。
製造はブランズウィックでまず間
違いない。タイトリスト等と造り
込み、材料が同一だからだ。
ブラジリアン・ローズウッドの本
ハギ四剣フルスプライス。
先角は本象牙あるいはブランズウィ
ックの標準だったビッグホーンの
角で出来ている。打球音は高音。


このビンテージキューは驚く事
に曲がりが一切ない。
また、撞球性能も今でも十分に
「使えるキュー」として有して
いる。
驚愕以外の何ものでもない。
バットエンドのネジは古いコルト
に使われているようなマイナス
ネジだ。SAAのネジに似ている。

こうしたキューがネットオークション
で落札価格1000円だ。考えられない。
それの60-100倍あたりが本来の適正
価格だ。
多分だが・・・今の日本の若い人
たちは物を見る目が無いというか、
あまりに事物について無知過ぎる
事と、目先の目の前の現行品のみ、
ほんの目先の現行社会現象にしか
興味がなく、洞察的知見が一切働
かないのではなかろうか。

唯一オートバイの世界のみは、現在
の若者でも旧車を好む人たちが多
い。案外ものの良さを解ってる。
でもビリヤードの世界はてんで✖。
流行に乗るのが大好きで、目先の
事しか見ようとしない。
当然、ビンテージ物も特ダネ掘り
出し物がオークションに出ても、
ただの薄汚れた古いキューにしか
見えないのか、一切入札が無い。
また、ビンテージ品を見ても、
換金したらいくらになるか、と
いうような目でしか見ないのだ
ろう。
当然、金員交換価値の目先の事
しか脳が機能していないので、
本当の価値、歴史的価値や希少性
については理解が及ばない。
結果として、超貴重なビンテージ
の本物正真がオークションにたま
たま出ていても見抜けないから
入札ゼロ。つまらない現代最新物
の安物粗悪品に多数入札があった
りする。
「古いボロ?イラネ」というあたり
なのだろうか。

こうしたクラシック台の良さなども、
その台をわざわざ探して撞きに行く
行動力が無いと、その良さに直に
接する事はできないし理解は及ばな
い。真の理解は脳内妄想だけで片付
けて成立しやしない。ネット脳は駄
目なのだ。人間の大切な部分を破壊
する。
そして、目の前の状況に甘んじてい
ては、自分の世界も世界観も広がら
ない。
若者よ、突破せよ。今を。