私の現居住地の市内住宅街の
ど真ん中に洒落たアメリカン・
ガレージ・ハウスがある。
これはある企業の社屋なのだが、
アーリー・アメリカン・テイスト
でとてもカッコいいと感じる。
こういうガレージハウスが自宅
敷地内に欲しい。実に欲しい。
市内にはもう一軒、アーリー・
アメリカン調の建物がある。
まるで1880年代のアメリカの
学校みたいだ、と思っていたら
外語学院という専門学校の校舎
だった。
オサレす。
西部劇の建物みたい。
この学校の建物があるのは全く
知らなかった。
ごく最近知った(笑)。
アメリカン・テイスト。
ちゃうがな。
これはおいらが入学した神奈川県
湘南地方の小学校だ。
1956年校舎完成時の撮影らしい。
生徒は私の15歳年上の人たちあたり。
もろに団塊の世代。
この世代は高校進学率も低く、大学
進学率は6%程、女子大学生などは
全生徒の2%以下程度だった。
一回り下の世代の私の時代で大学
進学率はようやく6割を超えた程度
だった。
これは給食室。
この写真は私が生まれる4年前の
写真だが、私の頃もこの給食室
でおばちゃんたちが給食を作って
くれていた。
この子たちが6年生だとすると、
私の16歳年上であり、戦時中
生まれの子どもたちとなる。
昭和19年生まれ世代だ。
よくぞ生きていてくれた。
オギャアと生まれた時には、日本
国内は空襲と飢餓と精神錯乱の
ヒステリーと暗黒告発吊し上げ
国民殺戮の世の中だった。
国家権力軍部が決める事に少し
でも疑問などを呈したら、特高
に逮捕されて拷問で殺される。
そういうのが戦時中の日本だった。
この校舎は私が1967年入学の時も
この校舎だったし、1989年に過去
を訪ねての二輪走りで行った時も
この校舎があった。90年頃にも確認
されている。
私が生まれたのは戦後15年目。
未曽有の世界大戦争が終わって
たった15年しか経っていない。
だが、私が生まれた時、日本の
国民の8割以上が平和を求めて
日本のアメリカ軍事同盟化に反対
する行動に起っていた。
本気で「戦争はもう嫌だ」と思っ
ていたからだ。
21世紀が20余年過ぎた今はどう
やら違うらしい。
世の中のほとんどがネトウヨと
戦争賛美の保守や右派だ。
仕方ない。
今はもう日本に平和がようやく
到来した戦後ではなく、「戦前」
なのだから。しかも侵略同盟戦争
を準備しようとしている。
侵略戦争をするもしないも、国民
次第だ。
ゼネラルストライキになったら、
国権を発動しても戦争など遂行
できない。生産拠点、流通拠点
他基幹産業すべてが労働者により
操業停止となるから。
国民の最後の武器はゼネストが
ある。
攻撃的武器ではなく、守りの武器
だ。
その際には国家権力の国民殺戮
部隊が投入されて来るから国民
側の武装防衛隊も必要になる。
戦争に反対して本気で平和を求め
るのは、そういう覚悟が必要。
お花畑でピーチク言っても平和は
来ない。
平和の為には(防衛)戦争を準備
せよ、というのは本当の事なのだ。
これ、人類史の定理。
方法は国家権力が掌握している
国軍を割って国民軍とするしか
ない。
それと武装民兵の組織化だ。
無論武装民兵は国民軍の遊撃隊と
なる。
国家権力の暴力装置としての常備
軍ではなく、武装せる独立暴力=
人民の人民による人民の為の軍隊
である。of,by,for だ。
だが実現は簡単ではない。
権力に国民が洗脳されてドボンが
ずっと継続している。
結果、今あり。今の世が。
しかし、裏の裏の裏裏の裏の裏が
あるから、世の中は変わらない。
無論、見えている表の「政治」
などでは。