映画『SP 革命篇』から。
旧警視庁庁舎がある場所に現
警視庁はある。組織は異なる。
都内在住時の虎ノ門までの通勤で
二輪もしくは四輪での通勤の時に
は、この桜田門交差点を右折した。
画像右手の国会議事堂方面から
皇居外周の坂を下り、この警視庁
前の桜田門交差点で右折して東京
地裁前を通って霞が関方面に向かう。
早稲田からの距離は6km。
それでも朝は45分ほどかかった。
地下鉄ならば、ドア to ドアで20分
以内。
警視庁の庁舎は、私が高校2年の時
に戦前からの旧庁舎の解体が始まり、
大学2年の時に完成した。
「なんだこりゃ?宇宙局か?」と
最初思った。
旧庁舎は桜田門外を歴史散策で見学
に行ったりした時にもなじみの建物
だった。戦前は内務省が入っていた。
旧庁舎。戦前。
この庁舎の右手側奥に江戸期には
井伊家の上屋敷があった。
江戸城登城の際には、まだ最後の
列が屋敷を出切っていないうちに
桜田門外での浪士襲撃があった
ようだ。
大老井伊直弼はこの撮影場所あたり
で大雪の日に暗殺された。
幕末の攘夷派佐幕派両陣営のテロ
リズムの時代は、1860年、時の
大老の暗殺に始まった。
今でいうと総理大臣暗殺よりも重大
な国政権力体現者の殺害である。
第二次大戦中時代の天皇を暗殺する
のに等しい。
旧庁舎。1931年。神戸税関が非常に
よく似た建築物だ。
1980年代。
東京の景観は大きく変わった。
警官は中身はさして変わって
いない。
特定上級幹部の見栄と体面ばか
りを第一義とする組織。
それは「警察」としてではなく、
別な官僚意識の発現の目的物と
して私物化機能している。
その内実は東京大学出身者によっ
て「本来がそうあるべきである」
として運用されている。
それゆえ、本筋本当本来本物の
機能は不全となっており、元総理
の現職議員が白昼射殺されたり
する事態が発生する。
今後も似たような案件は発生する
事だろう。
国家権力の中枢である警察がこの
先体質改善をする事は考えられ
ないからだ。
そして、警察庁長官が狙撃された
際にも、本腰本気で犯人を特定
逮捕しようとはしない。
そうした力が働いた。
あれは、どうしてもオウムを犯人
としたかったからだ。真犯人検挙
や真相解明などは警察権力にとって
はどうでもよかったのだ。三億円
事件もそれ。
とても分かりやすい。
闇が深すぎる日本の国家暴力装置。
腐った権力。
それは逆に「絶対的な権力」では
ない脆弱性を示してもいる。
私利私欲で国家と国家権力を私物
化せんとする闇の者たちが全権を
掌握しているが、決定的な脆弱性
の核はそれだ。
そして、国会議員というものは
選挙で選ばれた傀儡であり、内閣
であろうとも、それが実効権力を
有してはいないというこの国の構造
が厳然としてある。
この国の権力の実体は行政執行権力
であり、そして暴力装置と基幹産業
を掌握している層だ。
なので、田中真紀子が大臣になって
「伏魔殿」たる省庁を改革するメス
を入れようとしても、東大卒の実効
権力者である省庁官僚は従わなかっ
た。長たる大臣の命にも従わない。
それがこの国の権力の実態であり、
実体なのである。
当然、首がいくらでもすげかえられ
る選挙で選ばれた政治家の身体生命
などは、たとえ保守陣営であろうと
も本気で護衛しようとはしない。
田中角栄の自宅にポリボックスを
置いていたのも、それは体裁だ。
なぜか。
権力の実体の「本陣」は何も傷つか
ないからだ。
そして、その体質は皇宮警察にも
浸透しており、皇族を皇宮警察幹部
がごくフツーに平気で「くそガキ」
と呼んだり、「男を一人しか知ら
ないとああなる」などと公の場で
口にしたりしている。
それが実態だ。
警察としての職務意識などはゼロだ。
トップが揃いも揃って日本はそれで
ある。本気で職務のプロとして人や
国家を守ろうとする気持ちなどは
全く無い。皇族に対してさえそうで
あるのだから、政治家たち「国民
の代表」に対してなども根底の意識
は推して知るべしだ。
ゆえに政治家の殺害事件も起きる。
警察権力は防ぐ気は全く無い。
大切なのは責任逃れと体面繕いと
出世の道に傷がつくか否かの心配
だけだ。
政治家をいくら暗殺しようが、何も
変わらない。これは保守だろうが
革新だろうが。
浅沼さんを刺殺しようが、安倍さんを
射殺しようが、世の中は変わらない。
社会構造の改変の面では何の意味も
ない。テロでの変革は存在しない。
権力の実体は揺るぎないからだ。
そして、それは「軍事行動」では
ないからだ。(軍事行動では構造
の変革は起きうる。これは人類の
歴史から)
「不動構造」が存在する限り、テロ
では何も変わらない。
世の中、テロリズムを指して「民主
主義への挑戦」とか言ってる寝言も
滑っている。保革両陣が異口同音に
それを言う。
テロルとは何か。
いろいろある。
白色テロル、赤色テロル、宗教テロル、
利潤追求産業テロル、無差別テロル、
e.t.c.
「標的」を誤ったテロとさえ呼べ
ない暴力で殺された浅沼さんや
安倍さんは浮かばれない。
それはたとえ被害者がどんな陣営の
派であろうとも、浮かばれない。
『アメリカン・アウトロー』(2001)
久しぶりに観た。
南北戦争で南軍ゲリラに加わり、
終戦後には農民の土地を乗っ取
ろうとする北部資本の鉄道会社
の横暴と戦ったアウトロー、ジェ
シー・ジェームスの物語。
実在のジェシーは、最期は仲間
に裏切られて射殺された。
ジェシーはアメリカで「勝者の
歴史」では極悪犯罪人とされて
いるにも拘わらず、ビリー・ザ・
キッドと並んで大変人気がある。
アメリカにも判官贔屓のような
感覚があるのかも知れない。
日本では鎌倉幕府の歴史からする
と源義経は大罪人である。
また、戦後間もない頃までずっと
新選組は「極悪人」と規定されて
いた。特に明治大正戦前までが
ひどく、まさに「勝者の歴史」が
それだった。
久しぶりに本作を観たが、なか
なか良作。評論で飯食う連中には
評価が低いが、それはそれ。属性
の問題。
そして、アメリカン・ウエスタン・
ムービーの定番。
いい女が必ず登場する(笑)。
史上最高は『荒野の決闘』(1946)
の看護婦クレメンタインのキャシー・
ダウンズだ。清楚で知的で慎ましく
気高く、かつ気丈で、そして美人だ。
本当の原題は「マイ・ダーリン・
クレメンタイン」である。誰だ
「荒野の決闘」などというド野暮な
邦題をつけたのは(笑)。
大昔は原題のままで、「荒野の決闘」
が副題だったが、いつの間にか、
「荒野の決闘」だけになってしま
った。
知的ながら平手造酒や眠狂四郎の
ような死を自覚してニヒリズム
に自虐的に生きるドク・ホリディ
と彼を慕うクレメンタインの心の
やり取りがメインテーマなのに。
そして、クレメンタインに一目惚れ
してしまうが、その思いを胸にしま
う男我慢のワイアット・アープの
慕情物語であるのに、OKコラール
での決闘がメインであるかのような
題名にいつの間にかなっちまった。
町はずれの牛の取引一時牛置き場
のコラールの事を「牧場」と翻訳
した最初の人もアララだが、荒野の
決闘という題名も何だかなぁ感が
強い。
主人公はドクとクレメンタインだ。
アープは俯瞰的立場にいながら
裏方の主役のような役どころだ。
やせ我慢の清冽な心の役どころ。
とにかくクレメンタインだ。作品
を観たら惚れる。てか、惚れた(笑)。
そして、とても奥が深い映画作品
であるのだ。
いいよ~。西部劇。
結構、恋愛&人間ドラマ活劇なのよ~。

金属パーツがくすんで来たので、

#3000の研磨剤で磨き後。

各部をオイルアップして組み立て。


金属パーツはこんな感じ。

だがメッキではなく亜鉛合金の

作動確認。

フロントサイトは削り落として

過日、摩耗したシリンダーは新品
