【転倒】冬の赤城山で大型バイクがコケまくり【NC700S】
これね、転ぶのはこの人の
せいじゃないよ。操作ミス
とかの類ではない。
ここに行ってしまったという
のはこの人の判断ミスだろう
けど。
この道は、まず転ぶってば。
オフロードの世界チャンピ
オンでも100%転ぶでしょう。
全面アイスバーンだもの。
スケートリンクみたいなもの
でして。
動画でも、何度車を起こして
も何度やってももう立つ事さ
えできない。
これ、転倒と呼ぶのだろうか。
もはや滑ってるだけみたいな
気もする。
怪我無くてよかったす。
学生時代の後輩にツーリング
マップルというヒット出版物
を作ってる奴がいるんだけど、
本動画はそいつに声もしゃべ
り方もそっくりなので笑った。
まさか、本人じゃねぇだろな(笑
違うみたいだけど。
数年前の阿蘇行きの時、初日
夕方から台風通過となった。
夜にはかなりの暴風雨。翌日
は晴れときどき雨。さらに
3日目には転校も回復し、別府
の宿から再び阿蘇に向かった。
2泊3日の行程で阿蘇走り3発目。
三日連続で阿蘇を走る。三たび
阿蘇を周遊してから高速道で帰
還した。
途中、とんでもなく危険な場所
があり、私たちは知らんぷりせ
ずに通過するバイクに知らせて
やろうという事になった。
泥炭のような数センチの厚みの
泥が台風の雨水により道路に
流れ出て積もっていたのだ。
超絶危険路面。
一服した場所だが、ここの谷部
は超危険というので通行二輪に
知らせようとした。ゆるいカー
ブを下って来て登る直線の谷部
分にヌルヌルの泥が厚く堆積し
ている。
ブーツで踏むとくるぶし近くま
で泥に埋まる。これは危ない。
「ここに停めてたら、転倒した
二輪が直撃しない?移動しよう」
と私が言って、3人でそれぞれ
のバイクをさらにやや坂の上に
移動させた。
通過する二輪に何度もスロー
ダウンを身振り手振りで知ら
せたが、大転倒をやってしま
う二輪車が続出した。
四輪でも真横近く向く車両も
あった。
我々のバイクは3台とも坂の
上のほうまで移動させておい
て大正解だった。
二輪転倒者のうち1台は大滑走
して私たちがちょい前まで停
めていた位置まで数十メート
ル滑って来てガードレールに
ドカンと当たったからだ。
すぐに救助した。
ここの危険ポイントでは走行
者に知らせても、私たちが滞
在した時間帯だけでも自損転
倒事故が多発していた。
そろそろ行くか、としばらく
して移動したが、その後、私
たちが立ち去った後も自損転
倒事故は何度も起きていたの
ではなかろうか。
普通に走っていたら転倒する。
超減速で、路肩沿いの乾いた
部分を選んで超低速で進路を
取らないと。
モーモーさんが近くで見られる
とこのちょい先。
あれは危ない路面状態だった。
アイスバーンも転倒不可避に
なるケースが多いが、厚い泥
の堆積も極めて危険だ。
だが、何とか転倒を防げる事
もある。判断と走り方次第で
は。
DREAM50
実は事故ってバイク壊しました。
いわゆる「握りゴケ」。
フロントをプログレッシブ
ではなくいきなりガツンと
握る事により前輪がロック
してバランスを崩し転倒する。
2年前の動画だが、音楽活動
をする女性がまだ高校生時代
の時のバイクの練習風景での
一コマだ。
頑張り屋さん。
お父様がバイクに乗る事も
支援している。
この場合は、住宅街で男の子
が急に飛び出してきて、それ
を避けようとブレーキをかけ
て転倒している。
だが、転倒により男の子を
車両ではねる事は避けられた。
痛しかゆしだが、事故回避
行動としては間違いではない
と思われる。低速度であるの
で滑走による衝突もしていな
い。
もっと上手く操作できたなら、
車体を立ててフルブレーキで
ロックしても転倒はしなかっ
ただろう。
だが、転倒させた事により、
人身事故は避けられた。
この握りゴケの解消法として、
後輪ブレーキを使えと教える
向きもあるが、それは間違い。
後輪ブレーキを使用しよう
とも、前輪をジワリギュー
ではなくガツンと握ったら
原付だろうが大型バイクだ
ろうが転倒する。
なので、問題の本質を見抜い
て指摘アドバイスするのでは
なく、間違った視点から操作
を教えると、間違った視点の
まま覚えた人は何度でも前輪
ロックの握りゴケをするし、
後輪に制動力を求めるので
車が止まらずに事故を起こす。
二輪での転倒自体は良い事で
はないが、悪い事でもない。
原因と対策を正しく見つめる
事ができるならば。
そうすれば、同じ間違いを犯
す事は無くなるからだ。
一番悪いのは、失敗の原因を
きちんと見定めず、甘い認識
で看過してしまう事だ。
そうすると何度でも同じ間違
いを起こす。
やがて、何かの拍子に取り返
しのつかない事になり、最悪
の場合、二輪の運転によって
死亡する。
立ちゴケを何度もやる人など
は、立ちゴケの原因と対策を
真剣に自分で見つめようとは
しないからだ。
そして、万一、交差点で右折
待ちの時などに立ちゴケして
そこに大型貨物トラックが通
過したりしたら、まず即死す
る。
立ちゴケは重大な事故なのだ。
だが、現代では不思議な事に
「立ちゴケなどはよくある事」
というとんでもない甘い認識
が蔓延している。
自分だけがそう思っているな
らば自分が一人で死のうが勝
手だが、それを「よくある事」
として他人に対して慰めるか
のように言う人がいる。
極めて無責任で出鱈目であり、
大間違いだ。
立ちゴケは死亡事故さえも
誘発させる可能性がある重大
事故なのである。
特に女性の立ちゴケやUターン
ごけに対して慰めるつもりな
のか「よくある事。気にしな
いで」とか言う馬鹿な男たち
がいる。
本当に無責任だ。
本気でその女性ライダーの事
を案ずるならば、立ちゴケは
危ないから、しないようにし
よう、と助言するのが本当の
二輪運転者の姿だろうに。
二輪の転倒には絶対に原因が
ある。
それをきちんと正しく冷静に
分析して、原因と再発防止を
考える真面目で真摯で素直な
態度を持たないと、二輪車と
いうのは本当に危ない。
身体がむき出しなのだから。
この女子校生の女の子、とて
も綺麗な乗り方をします。
シャツがめくれ上がってるけ
ど(笑
下半身でのマシンホールド完
璧、お尻のそっくり返り一切
無し、背骨真っすぐ伸ばしの
石像灯篭カカシ載り一切無し、
肩も肘も脱力、腕突っ張りの
ハンドル体重載せ一切無し。
顔上げ顎出し全く無し。実に
綺麗な乗り方です。
本当に綺麗な乗り方。
理想的なフォームで乗ってる。
現役高校生でもこれです。
世の中、出来る人は出来る。
女性ライダーでここまで綺麗
に完璧なフォームの人は滅多
にネット上では見ない。
シャツまくれ過ぎだけど(笑
実銃V S.車のドア!
この大阪弁のアメリカ人、なか
なか実証主義的にいいテストを
やっている。
映画やドラマの絵空事が明らか
になっている。
日本の時代劇でも多くある。
座頭市のような居合などは現実
には無い。
また、忍者もこの世にはいない。
「ニンジャ」という単語自体、
昭和の小説家の創作造語だ。
ただし、戦国期にはラッパ、ス
ッパという者はいたし、江戸期
にも諜報活動をする忍びはいた。
だが、戦闘はせず、主として変
装して情報探索を任務とした。
「忍者」がチャンバラをしたり
するのは映画やドラマの創作劇
の中だけの話だ。
実際には戦闘はせず、破壊活動
や強盗強奪火付け等を軍事任務
として実行した。
だが、外国人の多くは、日本に
はNINJAがいたと思い込んでいる。
映画『ラストサムライ』という
とんでも頓珍漢映画では、明治
10年に明治政府が放ったニンジャ
が出て来て侍の村?を襲った。
あの描写は、侍をアメリカイン
ディアンのように捉えて描き、
侍居留地(なんだそれ?)まで
登場させたトンデモ映画で、米
国白人の根っこの人種差別と偏
見が色濃く反映された映画だっ
た。米国人白人特有の知見の浅
さで、歴史的事実も学識的所見
も皆無の度外れトンデモ人種差
別作品の似非ヒューマニズム大
資金消費駄作。
あれに感動しとる日本人はアホ
やで。
こういうまっつぐな道路を
二輪で走って面白いのかなぁ
とは思うが、さにあらず。
ここは特別な魂のロードなの
だ。
この1985年に国道としては
廃線となったロードはアメ
リカ人の心の支柱でもあっ
た特別なロードなのである。
国道 ROUTE 66としては廃線
になっても道路は残っている。
私の母はここをトラベリンバス
に揺られて全行程旅をした事が
ある。カリフォルニアのサンタ
モニカからイリノイのシカゴま
で。「きつい旅だぜ(by 永ちゃん)」
とは言わなかったが、かなりの
長旅だったようだ。
砂漠の中でバスがエンコして、
代替車両が到着するまでそこ
で乗客たちと過ごしたという
場面もあったようだ。
このルート66は1800年代に初め
て電信通話ワイヤーが敷設され
たロードで、西部開拓とアメリ
カ発展の象徴でもあった。
かつてはワイヤーロードという
愛称もあった。
舗装される前は、もろに西部劇
の世界。遥か彼方から駅馬車が
土煙を上げて走ってきそうだ。
全行程3,750km(笑
なげえのなんのって。
現在はルート66は廃道となり、
ヒストリックロード=旧道と
して存在している。
実際の交通網としてはインター
ステートハイウェイが大陸横断
の国道66号と取って代わった。
世界の中で高速道路を走る
のに受益者負担で通行料金
を取るのは日本くらいなもの。
あと日本を猿真似した某国
とか。
橋や特殊道路ではない幹線
道路を通るのに通行料を取
るのはおかしいのだという
頭は日本人には無い。
閉鎖島国で保守派議員が創
作した特殊構造が当たり前
だと洗脳され切っているか
らだ。
モーターリゼーションの発
達した欧米では、国内を結
ぶ高速道路であっても、通
行料などは取らず、別な税
収から建設から維持管理ま
でを計画的にまかなってい
る。
日本でも唯一無料の高速道
路が存在した。
それは東京高速という。
だが、その後の公団と建設
省の汚職と天下り先確保の
ために、日本では高速道路
を通るのに金を取る制度が
成立した。
さらに、償還した区間は無料
にする事が決められていたの
に、プール制という詭弁を用
いて日本全国の高速道路はな
し崩し的に有料のままにされ
た。日本の高速道路は裏切り
のロードであり、決め事は
権力サイドのやりたい放題
だった。
1980年代に二輪乗りたちの
有志による行政訴訟(原告
16,000人)の原告側の勝利的
展開により、二輪車の通行料
金枠が初めて設定された。
裁判闘争だけでの勝利は難し
く社会運動として展開する事
で広範な国民の利益問題とし
て提起し、運動開始の1983年
から6年間、提訴時期の前後
の年などはほぼ連日のように
マスコミが報道していた。
二輪に乗る多くの芸能人や
文化人たちも賛同して参加
した。原告団の母体の連絡会
は日本初のバイクデモも主催
して敢行した(合法許可)。
500台のバイクが明治公園で
集会を開き、合法的にデモ行
進した。
それまでは1人乗りの二輪
(高速は二輪は二人乗り禁止)
と29人乗りのマイクロバスが
同じ料金だった。
料金設定は「車重による」と
していたので、これも公団は
違反を犯していた。
やりたい放題。
だが、心ある二輪乗りたちが
起ち上がって法的決着を公的
につける社会運動を起こした
事により改善された。
黙って言いなりだったら、現
代においても二輪車は四輪車
と同じ枠の料金設定だっただ
ろう。
日本には国道66号は存在しない。
国道は飛び番、欠番があるから
だ。
では県道は?
わが神奈川県に県道66号は無い。
欠番だ。
なら、広島県は?
ある。
なかなかのロードだ。
休山(やすみやま)半島警固屋岬
(けごみさき)の30Rヘアピン
を通る呉環状線が広島県道66号
だ。
音頭(おんど)大橋の真下を通過
する。
このコーナーで二輪で飛んだら、
戦艦大和も通った狭い瀬戸=
海峡にドボンだ。
大和波止場と戦艦大和
Battleship Yamato of Kure
私はある事実を知っている。
それは、学生運動を経験した
多くの人がバイク乗りに転じ
たという事を。
しかも、デモ参加程度の経験
ではなく、活動家レベルの
積極的な主体的参加者たち。
この現象は社会的に極めて不
思議、かつ興味深い現象に思
える。
学生運動での抵抗とオートバイ
に乗る事は共通項が確実にある
のだが、現代においては無思想、
感覚ネトウヨ大好き人たちばか
りが跋扈する時代なので、その
本質に気づく人は尚更少ないだ
ろう。
漫画家東本昌平はその本質に
気づいている一人で、二輪乗
りを描いた作品中に、主体の
視点の問題としてよく学生運
動シーンを登場させている。
学生運動といってもいろいろ
あるが、反日本共産党=反代々
木系のノンセクトや新左翼の
学生運動を描く。
そして、東本の視座は鋭く、
正鵠を射る。
絵空事ではない現実を描いて
いるからだ。
そもそもゲバラがバイク好き
で、医大生の頃、バイクで南
米を縦断している。
抵抗と闘いと独立。
このテーマは二輪と社会運動と
共通する人間の魂の発動だ。
発動機(笑
1986年と2024年をタイムス
リップで行き来する中学教師
が、世相の違う時代の社会で
人としての大切な事は何かを
両時代の人に訴える。
ライトタッチながらも、深い。
思わず目頭が熱くなる。
途中おちゃらけミュージカル
もあるが、基本はシリアスで
悲しく切ない物語だ。
1986年1月時点で25才だった
私にはタイムリーに経験した
事が本作品で描かれる1986年
の人間模様であるので心が
揺さぶられた。
また、現代の2024年の人々の
心の冷たさ、際限の無い陰湿
さも正確に克明に描かれてい
る。
本作テーマに肉迫するシーン
では涙腺が緩む。
宮藤官九郎、天才。
そして、俳優陣たちの熱演と
演技力が極めて冴える作。
特に主人公小川市郎(阿部サ
ダヲ)の娘の小川純子役の河
合優実が最高に良い。
原田知世さんと上戸彩さんと
石原さとみさんが合体して降
臨したような感じ。
演技もぴか一だった。
さすがは賞を総なめの実力派
女優だ。
これは名作。
ただ、作品の中では時代考証
が甘い部分もある。
1986年から2024年に行って、
また1986年に戻って来たツッ
パリ娘の小川純子は、髪を
切り、真面目になって大学進
学しようと勉強を頑張る。
そして、教師との三者面談で
偏差値30から61に上がった
純子は父にほめてもらおうと
する。
だが、父はすでに純子の未来
を知っていたので大学には行
かないでほしいと言い出す。
受験に関するシーンのみリア
リティがないが、それは「頑
張れば伸びる」という真実を
まだ忘れていなかった時代の
描写として捉えたほうがよい
だろう。細かいリアリズムを
求めるよりも。
そもそもがSFファンタジー
であり、コメディであり、
シリアスな人間ドラマだ。
総じて1986年よりも2024年の
人間のほうがはるかに冷酷で
残忍である事も現実社会の膿
として真正面から描かれてい
る。
脚本家クドカンに手抜かりは
無い。
純子も父市郎もその周囲の者
たちもタイムマシンで1986年
の過去と2024年の未来を行き
来するが、その途中の年代の
1995年に未曾有の出来事で純
子と市郎は実際の歴史では死
んでしまう。
その事は、純子だけが知らない。
娘純子と父市郎は1986年から
あと9年だけしか生きられない
という歴史の運命を市郎は未来
の2024年にタイムワープする
事で知ってしまう。
父市郎は、純子の大学合格や
女子大生芸能人になって人気
が出る事や結婚や出産という幸
せな未来を知ったので、その
最期は純子には教えなかった。
主人公はあくまで父小川市郎
だが、本当のこの物語のテーマ
は娘純子の目線で人間の在り方
と大切な事が語られる。
父市郎は、娘の存在によって
過去も未来も変わらぬ人間の
大切さに気付き、行動して行く。
本作、名作。
亡くなってしまう運命の親子
二人が主人公として社会を見
つめて行くという作品だ。
1986年は乱暴な時代ではあった
が、人間の冷酷さ、自己中心さ、
残虐さは2024年にはごく普通の
事として蔓延していた。それを
主人公二人は見る。
それもきちんと描かれている。
その表現描写はウルトラリアリ
ズムで、どす黒い現代人の心の
闇として描写されている。
コンプライアンスという暴力
によって苦しみ傷つく人がいる
事も。
2024年の「晒し上げ」風潮によっ
て人が笑っている事に1986年か
ら来た純子は心の底から激昂する。
しかし、2024年にも良い事もあ
るというのを、過去と未来を往
復した純子は俯瞰視できる成長
をやがて見せて行くのだった。
だが運命は、過去に戻った純子
に2024年を見せる事はしないの
だ。
この悲しさ。
本作は、死者が死する前の時間
とあり得ない未来を見る事で物
語のストーリーが展開され、そ
の体験をする主体存在を主人公
にした作だ。
タイムトラベル物の作品は映画
やドラマ、小説等にも多いが、
本作品は異色の作。
タイムパラドックスにおいても、
登場人物は過去の幼く若い自分
と出会って自分が過去の自分
と会話したりするシーンを多く
盛り込む。
だが、主人公の親子二人のみは
自分とは出会わない。自分の
孫と未来で出会いはしても。
2024年には親子二人は真の
歴史では存在していない。
だから、2024年から1986年に
戻るタイムワープしても、未
来にまた行っても、2024年
では自分には出会わないのだ。
2024年にはいない人なので。
他の人たちは老け込んだ存在
として1986年の38年後とし
て2024年に登場したりするが、
親子二人のみは常に1986年の
ままなのだ。過去の自分とも
未来の自分とも出会わない。
過去である1986年では自分ら
は現実の存在であるので当然
自分には出会わない。2024年
では自分たち二人は存在しな
い時代なので未来の自分にも
出会わない。
作品は「無い」存在として、
別な自分たちは登場させない。
だが、それは説明的に描写さ
れるシーンはない。
ここにも悲劇的未来の伏線が
「映さない表現」として描か
れている。
一つだけある。
未来に行ってデジカメでひと時
の思い出を撮影した純子は、過
去の1986年の自分の時代に戻り、
未来から来た居候中学生に「楽
しかった」と写真を見せようと
する。
だが、過去においては2024年に
撮影した画像は全て消去されて
しまっているのだ。
純子は操作ミスで消してしまっ
たと思い込んだが、実はこれは
歴史が不存在を存在として過去
に現出させる事は許さない、と
いう恐ろしさを表現している。
2024年には純子も父の市郎も
現実にはいないのだ。
ほんの一瞬の場面だが、クド
カンの技法とプロットが光る。
この美容師のゆとり世代のチャ
ラ男は2024年人らしく巧みに
純子を誘ってデートするが、
ある騒動となった時、自分だけ
はとっとと無関係者を装って逃
げる事をする。
2024年人らしい行動だ。
純子は警察官の腕に嚙みついて
まで抵抗し、逮捕されて留置場
に入れられてしまう。
2024年人と1986年人の人間的
質の違いがもろに描かれている。
純子は1968年生まれであり、
1986年1月時点では17才の高2
の女子高生だが、この美容師
の男は1986年時点では生まれ
ていない。
1986年人と2024年人は、社会
全体でまるで別な種族のよう
に人間性が異なる事も本作では
きちんと描かれている。
たまたま偶然、1986年1月時点
で25才で、2024年1月時点では
63才の私は両時代を現実に体験
する事ができた。
このクドカンの作品で描かれた
両時代の人間たちの質の違いは
現実に存在する。まるで別物。
だが、本当は同じ人間、同じ
日本人であるので、別物という
のはおかしい事なのだ。
人が人を差別したり、あるいは
集団的いじめ等で人を傷つけて
よい訳はないので。
そうした事は時代を凌駕する。
2024年の現代は「正義を装った
暴力」が蔓延している。それと
陰湿な排除排外意識と言動。
本作ではそうした社会問題も
登場人物の体験として描写し
ている。
1986年も2024年も、湘南の海
と太陽は変わらない。
変わったのは人間たちが変容し
たのだ。
このチャラ男にとっては、この
海はありきたりの今の風景だが、
純子にとってはあまりにも変わ
った未来を見続けたあとに見た、
「変わらない未来」に触れて感
動した瞬間でもあった。
だが、自分の未来は2024年には
無い事を純子は知らない。