東京にもこういう場所が
残っている。
敷地の一角の道路に面した所
に毎年咲く薄紫の可憐な花。
アガパンサスだ。邦名は紫
君子欄。洋名ではアフリカン
リリー。南アフリカ原産だ。
今たまたま住んでいる市内は
非常に盗人が多く、住宅敷地
内に成る柑橘類や柿や花など
を盗んで行く。しかも大量に。
ある年などは大事に育てたレ
モンを80個丸ごと盗まれた事
がある。
目撃者によると、盗んだのは
主婦らしき風体の女性だった
そうだ。
また、大きな安政柑も八朔も
よく盗まれる。当然敷地に入
って来て盗んで行く。門扉な
どは関係ない。
そういう土地なのだろう。
うちのムラサキクンシランは
毎年何者かによって盗まれる
ので、ことしは早めに摘んだ。
そして生け花にした。
(参考画像。こんな感じ)
それにしても盗っ人が多い
土地だ。
窃盗だけでなく、時々、着
ぐるみ剥がそうとするヤカ
ラも出没する土地のようだ。
花を盗んで、心が潤うのだろ
うか。
不思議に思うが、関係ないの
だろう。
そういう土地だからそういう
土地なりに、多くの盗みが発
生している。現実に。
そういう人間が大勢(数え
られない位)いる土地、とい
う事なのでしょうね。
良くない事は良くないと思う
のだけどなぁ。
そういう事を言うと、言った
ほうを悪者にしたがる土地柄。
変わった県だよ、この県は。
戦前の人柄の様子は『はだし
のゲン』で描かれていたけど、
80年後の今もあのままなのよ
ね。
国際犯罪都市横浜育ちの私か
らしても、エゲツナ過ぎて
唖然とする。
横浜の場合は、悪い奴らや悪
人は一般市民とは異なるのが
すぐに判る。
しかし、広島県の場合、普段
良市民ぶっている主婦やおっ
ちゃんや教師やスポーツ指導
者たちのいわゆる「普通の人」
らが悪事を働く。
そして、彼らにとってはパワ
ハラでの恫喝や排除は悪事と
は思っていない。時に恐喝に
より着ぐるみを剝ごうとする。
正義の使者みたいな英雄気取
りで。
はっきしいって、この土地の
ジモチーたち、かなり変。
こういうロードを見ると、
どこをどう安全に円滑に
通るかというのにすぐに
目が行ってしまう。
これはもう癖だ。
例えば、この画像のこちら
から二つ目の左コーナーを
抜ける際に、キープレフト
で歩道寄りに曲がって行く
のはとても危険だ。
その物理的な意味は運転者
ならばそれぞれ考えが至る
事だろう。
速い速度で抜ける事を別と
すれば、このロードはこの
ように走り抜けるのが安全
だろう。
理由は多くある。
このように、「道を読む」
のだ。
そういうのをずっと続ける。
何十年も。
路面を読んで考えながら=
脳を働かせて走る。
そうすれば、数十年間無転
倒、無事故という結果につ
ながる。
なにも速度を落として左側
をトロッコのように走るの
が安全運転なのではない。
メリハリよく、道路を読ん
で走行させる事により、二
輪は安全を確保できる。
運転中に録画配信の為にずっ
としゃべりながらとかでは
こうした走り方はできない。
卓球をやる時には卓球に集
中し、バスケの時にはバス
ケに集中する。
どんなスポーツでもそうだ。
二輪は公道を走る時も四輪
よりもずっと神経を集中さ
せてロードを駆けないと、
とても危険な乗り物だ。
だから二輪は乗る事自体に
スポーツ性があるといわれ
るのだ。
移動レジャー感覚で二輪を
運行させると、きっとその
うち取り返しのつかない事
態が待ち受けている。
これは確実に。
もし仮に、VICTRINOXまでもが
大陸中国で製造されるようにな
ったとしたら、本当に世も末だ
と感じる。
ロレックスの時計が中国製にな
ったりとかも。
梅雨明け時期の予想は例年通り。
梅雨入りが遅かった分、ことし
の梅雨の期間は短い。
再来週には日本列島ほぼ全域で
梅雨明け予想となっている。
となると・・・
ことしの夏は各地で水不足が懸
念される。
『遠すぎた橋』を観る。
何度観ても良い。
だが、欧米では興行成績は
振るわなかった。
なぜならば、連合軍が失敗
した大作戦「マーケットガ
ーデン作戦」を描いた作品
だからだ。
極限状態の自分たちの失敗
は欧米人は好まない。
しかし、この作品と同じ作
はもう二度と作る事はでき
ない。
とてつもない顔ぶれのキャ
スト、実物WW2航空機や
車両を使用した撮影。完璧
な時代考証による軍装とオ
ープンロケセットと実際の
ヨーロッパでのロケ撮影。
すべて実写である。
古い橋まで爆破している。
この1977年作品以降、この
規模の映画の製作は実行され
ていない。不可能だからだ。
私は個人的には素晴らしい
作品だと思っている。
本作を初めて観たのは、公開
前に高校の学年映画鑑賞会で
観た。学年全生徒が毎年テー
マとなった映画作品を観る催
しだが、学年単位(1学年55人
7クラス)全員で観る。巨大
スクリーンの都内の大劇場を
貸し切りで。
なので、私と同時期の1977年
に高校に在籍した同学年385名
は本作品を確実に観ている事
になる。
毎年1回、映画鑑賞会があり、
3年間の在校期間に映画を観る。
他にも日本の伝統芸能を鑑賞
する催し等もあった。それは
音楽や古典芸能等。
そうした芸術文化に触れる催
しがあった事は、実によい教
育の一環だったと思う。
そして、実際に感性豊かな人
材が多く巣立って行った。
梁山泊のような学校だった。
この1977年の『遠すぎた橋』
で英軍ベレーを観る事によっ
て、私は軍用ベレーの如何に
目覚めた。
元英軍兵士から直に実践的な
ミリタリーベレーのかぶり方
を習うのはその2年後だった。