渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

カワサキMS90

2024年06月17日 | open
 







オートバイに初めて乗せて
貰ったのは2才の時だった。
ヤマハYDS-1。
オートバイを初めて運転した
のは、ホンダのスーパーカブ。
12才の時だった。
オートバイの操縦を覚えたの
はヤマハのミニトレだった。
中学生の時だ。
オートバイを初めて自分で所
有したのはカワサキのMS90
だった。
16才で自動二輪免許を取った
が、免許取得前に1学年上の
イトコが私にくれた。
オートバイで初めて自分の力
で公道を走り、世界の広がり
を教えてくれたのはカワサキ
だった。

2才の時の生まれて初めての
ヤマハのオートバイによる世
界観の広がりの記憶は、今で
も鮮明に覚えている。
その時の状況も、景色も、風
景の色も、走ったルートも、
オートバイの音も、運転する
大叔父との会話も、大叔父の
態度も言葉も、あわてた母の
様子も。
その時から私の世界観が変わ
った。
そして私はその14年後の16才
の時に、カワサキによって自
分でロードを走る事の楽しみ
を知った。
自分の力で前に進む喜びを教
えてくれたのは、カワサキの
オートバイだった。
生まれた場所のすぐ近所に
目黒製作所があった事を知る
のは、ずっと後年の事だった。


カワサキ

2024年06月17日 | open
 


国産二輪車で車はヤマハが
一番良いのは分かり切って
る。
新型モデルの開発総責任者本
人がイタリアから私に連絡

てきて、私の日本刀に関する
見識から新型マシン開発に

度もヒントを貰ったと総責任
者本人
が語るXSR700の1型に
乗りた
いという気持ちもある。
(多分私の人生の最後の二輪
はXSR700)


しかし、私は16才の時からカ
ワサキが好きというのがある。
マシンはヤマハが一番だと思

っているし、自分が乗ったレ
ーサーも公道市販車もヤマハ
の走行性能は一番気に入って
いた。
(現在のカワサキは経歴
5台目)

だが、どうしてもカワサキと
いうメーカーが好きなのだ。
マシンはヤマハが好きで、メ
ーカーはカワサキ。
これはもう、「あの店のあの
鮨職人が握る握り鮨が最高だ」
みたいな好みの問題なので
仕方ない。
モノの良し悪しではなく、味
の好みの問題。
こればっかりは普遍性も妥当
性も関係ない。
二輪においても、戦績や性能
特性の優劣や客観的評価は存
在するが、こと人の好みとな
ると、これはもう料理と全く
一緒で千差万別であり、そこ
には世間の評価や評判や優劣
は一切介在しない。
むしろ逆に、そうした介在を
第一義としてのフィルターを
通して物を見るのは、それは
本当本物のその人の好みでは
ないだろう。
世間で評判がよく、好かれて
いる
人だから私も好きだ、と
かみ
たいなのには愛は存在し
ない。
そんなものはニセモノ
だ。

それは皆が好きなものだから
自分も好きとしたい
自分が好
きなだけであり、
その対象に
は真正面から接しようとはし
いない。
世間はそうした人たち=大衆
が殆どだが。

私はカワサキが好きだ。
これはどう転んでも。
これはいわば私が物心ついた
時から阪神タイガースが好き
だったのと似ている。
タイガースファンは生涯タイ
ガースだ。
こうした事柄はもう不動のも
なのだ。
そこには流行とかブームとか
大勢の人間が好きだから自分
もとか、そういう軽佻浮薄な
没主体性は一切不在だ。
ド芯から太く、その対象に心
を肉迫させる。主体的に、か
つ積極的に。受動は一切無い。

ホントのファンというのは
そういうもんだと思う。

ヤマハが車の出来は一番。
ホンダもスズキも魅力的な車
を作るメーカーだと思うし、
二輪作りを実行している人と
メーカーには私は敬意を持っ
てい
る。
だが、私はカワサキが好き。
冷酷な機械やロボットのよう
なところが無い人間味を感じ
させるカワサキが好きだ。
いうならば、「火の鳥」の
ロビタのようなのがカワサキ
だ。




 

ベスパLX125ie

2024年06月17日 | open
 
 


ベスパLX125ie。
購入して神戸から広島まで
乗って帰った
のがことしの
3月20日。

それから約3ヵ月過ぎて、実
走行距離は1,450kmちょっき
りだ。
月平均で約483km。
あんまし乗ってない。
でも、よく走るスクーターな
でとても気に入っている。
パンチマシンのヤマハ2スト
ビーノも
最高だったけどさ。
この4ストベスパもなかなか
いい
よ。いや、ほんとに。
外見とかではなく走りが良い。
昔かみさんが乗ってた2スト
ベスパ100も一時借りて乗
って
たけど、あれもまた味の
ある
二輪でとても面白かった
が、
このLX125ieはインジェク
ション
3バルブでなかなか面白
い。

鉄フレームから来る独特の乗
り味は2スト
時代と変わらない。
これは規制速度以内の走行で
あってもその挙動特性はたち
どころに感知できる。
それくらい個性の味を出して
いる。板前の料理を味わう
ようで非常に美味。
それがトラディ
ショナルな
ピアジオベスパの
乗り味だ。
実に面白く魅力的だ。

4ストなのにまた音が良い。
太い系統の2ストの音みたい
なサウンドで走る。
回頭性も悪くない。
良いモーターサイクルだ。

ところで、右下のこの鉄フック
ってなんだべ?
よぐわがんね。

 



 

オートバイのチェーン調整のやり方

2024年06月17日 | open



オートバイのチェーン張りの
時の前輪と後輪の軸線の合わ
せ方。
それはかつて昭和平成時代に
は、前輪を真っすぐに前を向
けた状態でマシンを直立させ、
前から目視確認して、タイヤ
の重なり出幅で後軸の左右の
ずれを把握して補正して行く
方法を採っていた。

スイングアームの刻印目盛り
などはかなりズレているので、
それが一番正確な方法だった
し、レーサーにおいてもそう
した方法で軸線合わせをやっ
ていた。
目視方法は両眼で見て、また
片目でも見る。
そしてずれの出幅を確認して
左右の引きを調整して行くの
だった。

今は水平器のようにレーザー
とかを使うのかも知れない。
今の方法はよく知らない。
とにかく、スイングアームに
刻印された目盛りはあくまで
凡その目安であり、それのみ
に頼って後輪の左右を合わせ
ると、前後の軸線がズレズレ
になるのがほぼ100%だった。
目視確認での補正調整が一番
効率も正確度も高かった。
日本刀の反りの歪みを刀工や
研ぎ師が目視確認したり、
大工さんやビリヤードキュー
職人が目視で直線の歪みを確
認したりするのと同じ。
人間の目は、ほんの微細な歪み
もきちんと脳が捉える。

モーターサイクルは自転車と
同じで、真上から見て前輪の
真ん中、フレーム中心、後輪
の真ん中がずれなく一直線で
ないとまともに走れない。
フレームの芯が出ているとは
どういうことか。

 


ヤマハのモーターサイクル

2024年06月17日 | open



TD-3。250市販レーサー。

RD05A。ワークスレーサー。


1973年には全日本選手権ロード
レースで旋風
が巻き起こった。
ワークスマシンを抑え、プライ
ベーターの25才の根本健選
手が
市販レーサーTZ350で全日本チャ
ンピオンとなったのだった。


ヤマハは1957年のレース参加
当初から突き抜けた速さを見
せた。
1960年代から2010年頃までは
世界の二輪開発の歴史の中で
ホンダ、スズキ、カワサキも
大健闘した。

スズキは伊藤光男選手が1963
年に日本人で世界初WGPマン
島TTレースを制した。
モーターサイクルレースの世
界にあって、日本の二輪メー
カーが世界の頂点に君臨し
始めたのが1960年代だった。

その一角で常にヤマハはトッ
プ域を占有していた。
スズキも速かったがヤマハは

さらに速かった。

ヤマハのマシンが優勝を続け
たのは、1960年代後半に確立
したハンドリングの特筆的優
位性によるものだった。
国内二輪メーカーでは、ヤマ

ハのみが開発において独自路
線を歩んだ。
ヤマハ2ストスポーツは世界
で初めてレーサー開発の
ノウ
ハウを市販車と共通化さ
せた
のだった。
初期の全日本選手権は
市販車
ベースのレース車両で
ないと
参加ができない規定だ
った事
を射程に入れたマシン開発を
ヤマハは実行したのだ。
他のメーカーはレーサーと

公道市販車はきっぱり区別し
た別々開発だった。
ワークスマシンと同じ部品構
造を持つヤマハの市販二輪は、
公道用の低パワーエンジンに
おいては市販フレームでも充
分なマッチングを見せ、逆に
操安性の向上をもたらし、グッ
ドハンドリングをさらに補助
した。
ヤマハはレースと公道市販車
を高次に融合させる二輪開発
に世界で唯一成功したメーカー
として世界トップに君臨した。
1987年にホンダがその手法を
模倣して市販公道車にNSR
250Rを登場させた。
1985年度WGP世界チャンピオン
マシンをベースに公道市販車
を開発して1986年に完成させ
たのだった。
1986年当時、国内では公道市
販車ベース
のレースF3(フォー
ミュラ3)が純レーサークラス
のGPマシンレースよりも人気
あったからだろう。
そして、HY戦争という80年代
市場
争奪戦の中でホンダが王
ヤマハを撃墜するためでも
あった。

だが、レーサーから公道市販
車への技術ノウハウの落とし
込みという手法はヤマハが
すでにレーサーTD-3を公道
市販車DX250開発に投入する
事で
1970年に既に実行してい
た。

ホンダはそれから遅れる事
16年後に、対ヤマハ戦略とし
てヤマハと同じ方法を採った
のだった。
あまり二輪の歴史を知らない
人たちは、1980年代後半の
ホンダNSR250Rの登場はレー
サー開発技術を公道市販車に
採用したものとして狂喜した
が、その方法はヤマハが遥か
昔から採っていたマシン開発
のやり方だったのだ。

速く安全で操安性の高い二輪、
それは唯一ヤマハが作り続け
て来た。
「レーサーレプリカ」という
単語が登場したのは1980年代
だが、ヤマハは1960年代末期
から既にレーサーも公
道市販
車もほぼ共通の構造と
部品構
成だった。

2ストスポーツマシンはヤマハ
が世界一だったのである。
とりわけ250/350クラスでは、
ーサーも市販車もヤマハが
世界
頂点に立ち続けた。

だが、1970年代中期頃から一
市販車では4スト大排気量モ
デル
が人気となり、軽量超速
の2スト
中排気量クラスと4スト
大排気量
クラスの人気が二分化
して行く。

そして21世紀に入り、2ストが
消滅するに至り、4スト全盛時
となった。
同時に1996年以降の限定解除
制度の廃止による大型二輪免
許超絶簡易化により、人々の
人気は4スト大型バイクに集ま
った事も相乗効果となり、大型
4スト二輪が日本国内では人気
の中心となっ
た。
新制度大型二輪免許は1975年
免許制度改正前と同じく最初
から大型
二輪に乗れる制度だ。
1975年以前は、最初はライト
ウエイトクラスからミドル
クラス、そして大型クラスに
移行乗車する人が殆どだった
が、免許取得後いきなり大型
車で、しかもかつてない750cc
縛りさえも無くビッグバイク
に乗れるようになった。
当然、運転技術が乏しく未熟
で事故を起こす人がかなり増
えた。跨ったまま二輪車を
倒してしまったり、自分で
起こせないというそれまでに
は見た事も無い前代未聞
の事
態が1996年以降日本国内に多
発した

日本の二輪文化の健全な発達
はそれ
らにより消滅に向かい
始めた。

また、乗り方について大嘘教
えの勢力が官民
共に登場し始
め、悪貨は良貨
を駆逐するの
如く蔓延しだし
た。
結果、それが二輪事故増加の
潤滑剤となり、多くの無知で
不見識なライダーの嘘乗りに
より事故が多発増加するに至
って
いる。

閑話休題。
日本の二輪メーカーは世界の

モーターサイクルを牽引して
きた。つい2010年頃までは。
その中で、ヤマハこそは日本
の二輪産業と世界の二輪文化
の礎の中心幹だった。

YAMAHA as number one.

Yamaha Handling Vol. 2 –
The Birth of a Legend.

 


世界王者のヘアピン!神回!?Jonathan Reaの操作をじっくり見たら凄かった!

2024年06月17日 | open

世界王者のヘアピン!神回!?
Jonathan Reaの操作をじっくり
見たら凄かった!


これこれ。
この乗り方。
後輪を外に出す乗り方。


ごく普通の喫茶店

2024年06月17日 | open



1968年(昭和43年)からやってい
ごく普通の喫茶店だ。
広島市南区宇品の「海岸2丁目」
バス
停の真ん前にある。


めちゃくちゃ行きたい。
ごく普通の喫茶店だが、その
普通の喫茶店が実は現代では
ドライブインと並んで絶滅危
惧種なのだ。


広島市内の宇品界隈は古く
からやっている喫茶店がま
だ多く残っているエリアだ。
海あり、島あり、港あり。
路面電車
も通る古い街
私は広島市内でもかなり好き
なエリアだ。


海岸通りという名称の通りも
ある。これが電停名では海岸
通と書く。
フォークデュオ風の伊勢正三
さんの名曲に「海岸通」とい
いう曲があるが、あれはよく
「かいがんつう」といじられ
たと伊勢さんは昔語っていた。
ただ、ストリートは「通り」
の送り仮名を記さないのが本
当は地名としては正解なので
は。「人とはなした」は「話
した」と書くがそれは「はな
した」なのか「はなしした」
なのか一見分からないが、日
本人なら文脈から即理解でき
る。
そして地名は元来「とおり」
には送り仮名を送らない。
浅草の言問通りも元来は「言
問通」が正解だろう。なぜな
らば、用法として「言問い」
とは書かないからだ。
地名の「通り」には本来は送
り仮名
をふらないのが正解と
思える。「送り仮名」の「送
り」とは品詞が異なる。
(但し、法曹界での法文表記

法では「問い合わせ」の事を
「問合せ」と書くような表記
方法
が一般的)

なお、住所表示において、法
律上は「~丁目」までが地名
であるので、「浅草一丁目」の
ように漢字で丁目の番号を記
すのが正しい。これは法的に。
なので算用数字と併用すると
「浅草一丁目1番1号」という
住所表記が法律上は正規の記載
方法
となる。かつての登記書類
などはすべてこれ。

こうした事が理解できない外国
人にいくら説明しても、「麻布
十番」の事を "Azabu 10 Ban"
と書くオーストラリア人がいた。
「麻布十番」というのは地名な
ので、英文表記ならば ”Azabuju
ban” が正しいと説明しても、
私たち英語圏の人間は10 Banと
書くのだ、と譲らない。
困ったもんだ(笑
それ、根本的に違うから。
地名に番号がついていても、そ
れは地名なので漢字表記であり、
英文記載でも読みのままアルファ
ベットで記載するのが正しい。
六本木は6本木ではないし、四日
市は4日市ではないのだから。
廿日市なんてのも20日市にはな
らないのだから。
都内でも「5日市街道」なんて
書く事はあり得ない。
地名発生当初の原意はナンバリ
ングであっても地名は固有名詞
なので付与番号概念で数字を記
載するのは日本語として誤りだ。

「とおり」に関しては現在は
「通」と「通り」の二種類が
事実上使用されている。
なお、「ひとり」を漢字で書く
際に「1人」というのも間違い
で、日本語では「一人」と書く。
「2人」で「ふたり」とは読ま
ない。「ふたり」は「二人」だ。
「2人」の読み方は「ににん」。
「さんめい」はナンバリング
読みなので「三名」でも「3名」
でも通用する。「みめい」とは
読まないからだ。
だが、「1人」を「ひとり」と
は読まない。
日本語はややこしい。



 




ヤマハのオートバイ

2024年06月17日 | open


左からヤマハ、ピアジオ、
スズキの125二輪車。

共走りしてみて、ヤマハの
バイクがよく走るので、今
更ながらだが改めて感服した。
124cc SOHCエンジンの馬力

は10PSに満たないが、乾燥
重量116kg、4バルブで俊足。
実によく走る。
やっぱりヤマハ発動機だ。
エンジン屋さん。物が良い。

尤も、よく走るのはオーナー
さんが愛情を注いできちんと
よく整備しているからという
のもある。車の本来の能力を
引き出すように維持管理して
いるから。
これは基本だが、その基礎、

基本をおろそかにすると、
械ものはたちどころに正直

即反応を示す。

車両は走れなくなる。
エンジン
すらかからない。
中には、状態が最良であるの

に、余計ないじくり倒しをし
てマシンを壊すケースも世の
中にはある。


私のベスパは125cc(ぴったり)
SOHCの3バルブ11馬力、
乾燥
重量114kg。

実はこれまたよく走る。
私の2stビーノも整備ばっちり
でポンポンウイリーの瞬発力
マシンだったが、ベスパは通
常基本メンテ(駆動部への必
要油脂補給等)のみでド快調
だ。
とりわけ、初速から中速域
まではヤマハ125よりも速い。
中速から高速域にかけては
ヤマハがグンと伸びて来る。
これは過日地元の友人と並
走したり乗り換えた時にも
著に現象が感知できた。
スタートダッシュはベスパ
のほうが速いが、流れに乗
ってからのヤマハはグーン
と加速する。
最高速度域での走行性能は
ヤマハもベスパも大差ない。
ただし、ハンドリングとブ
レーキは圧倒的にヤマハが
優位だ。
ベスパのほうは伝達がダイ
レクト
リーで路面状況が把
握しや
すい。

原付2種枠の街乗りスクーター
はかなり面白い。
ホンダOEMではなく、ヤマハ
のオリジナルエンジンを搭載
したレトロスタイルの125の
スクーターなどは、走りもス
タイルも非常に良いのではな
かろうか。


こちらはハイブリッド車。
これはまたオシャレばい。


ヤマハが作る二輪には一つの
特徴がある。
それは排気量関係なくデザイ
ン的にどの二輪
も洗練されて
いて、ダサいオ
ートバイがヤ
マハには1台も
無いという事。
これはヤマハ発祥当時
から現
在までヤマハの印象を特徴づ
ける一つの傾向性だ。

国内4社の中ではヤマハが一
番造形力
が卓越している。
意外なところでは、スズキが
時々ポンと飛び抜けて良い
デザインの二輪を出す。ダサ
ダサ極め付きを出すのもスズ
キだが。

ヤマハのバイク。
造形が素晴らしい。
エンジンも良い。
ハンドリングも良い。
良い事ずくめ。
ただし、二輪車を選ぶのは
完全に個人の好みだ。
優れたデザイン=人気車種

という事でもない。
どう転んでもインダストリ
アルデザイン的にも造形美
学的にもダダ滑りのデザイ
ンのバイクでも大人気とい
うモデルも存在したりする。

 
 

 




消えた自転車

2024年06月17日 | open



昔、といっても1970年代の
大昔。
こういう自転車、小学生男子
の間で流行した。

私は仰々しくて嫌いだったの
で、ママチャリだったけど。
私の愛車はミモレだった。
こんなの。これの白いのに乗
ってた。


あのフラッシャー付き少年用
自転車はどこに行ったのだろ
う?
いつのまにか消えた。
今考えると、あれは何だった
のだろうと思う。
日本でアメリカンクラッカー
が流行った頃の話だ。
あの自転車、灯火類を外せば、
デザインはそこそこイケてる
自転車だと思うけどね。
1980年頃にマウンテンバイク
が流行ってからは完全に消滅
した模様。


バランス

2024年06月17日 | open




このナナハンはフロントが
重すぎた(笑
それはCB750FBの特徴だと
はしても、フロント荷重は
重すぎると感じた。
初期のメーカーノーマルの
カウルって、重量がかなり
あったのよ。フェアリング
というよりボディの一部み
たいな程の厚みと剛性と重
量。
高校時代から見慣れていた
純レーサーのカウルとはあ
まりにも物が違うので、な
んだかなぁ感は正直なとこ
ろあった。
これはその後、
83年発売の
スズキのガンマ1型に乗った
時にも感じた。
カウル厚いっ!やはりこれ
なのか!と。

ただ、やっぱしオートバイは
2ストが抜群に面白く感じた。
特にライトウエイトクラスの
軽量な2ストモデル。
おもちゃのように自在に扱え
て、かなり楽しかった。
全速パワーバンドを使って走
れる楽しみ。
車自体が面白かった。
だが、車の能力を引き出す走
りを公道でやってると、その
うち免許が消えるという事に
もなるケースも世の中多かっ
た模様。
よくない。
しかし、現代のコンプラ警察
良市民ぶりっこの蔓延は社会
的に異常。
社会全体が集団姑・小姑の嫁
いびりみたいだ。
精神が歪んでいる。

 

 
 


GN125Hがどれだけ良くなるか実験!

2024年06月17日 | open

【エンジンカスタム】
中華バイクGN125Hがどれだけ
良くなるか実験!


手際よく手順を追って調整し
ている。
また判断も適切的確に下して
いる。
こういうのがチューン=調律
だろう。

アースを接続せずに外したまま

でセルが回らないからこのバイ
クおかしいと言ったり、ネジを
別な場所の物を無理やりねじ
込もうとしたり、ネジ山潰して
無理やりねじ込んだり、工具を
斜めに突っ込んで回そうとした
り等々、そういうのは論外。
整備云々以前の話で、いわゆる
オハナシにならない。
そういう不適切な仕儀を数えた
ら40以上
重ねて、更にまだ重ね
続けたりす
るのを見ると、バイ
クなどは永
遠に直らないと断定
できる。

整備とかメンテとか改造とか
カスタムとかの遥か以前の人的
資質の問題。
二輪も四輪もいじらないほうが
いい。
しかし、整備士免許を持ってい
る人間でも世の中そういうのが
いたりする現実がある。
俄かには措信し難いが、事実は
事実であり、現実として目の前
に横たわるのが人の世だ。
人間の世の中、いろいろある。
いろんな人間がいる。
ただし、向き不向きというのは
確実にあって、オートバイや
四輪をいじらないほうがいい
人間は確実にこの世に存在する。
それは、整備等に関して、基本
的な箸の持ち方もきちんとでき
ないような類型の人たちだ。
整備と称してやる事の内容以前
に根本的なところでまるで駄目。
そして、そういう人間がいじっ
た車両は、不具合の解消は永遠
やって来ない。
それは、車を直しているのでは
なく、壊しているからだ。