渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『国際秘密警察 鍵の鍵』(1965)

2024年06月24日 | open


(『国際秘密警察 鍵の鍵』)

ゴードンのジンをギムレット
ではなくトゥワイスアップで
飲みながら、『国際秘密警察 
鍵の鍵』(1965/東宝)をエィメ
ザンプライムで観る。

お目当ては、三橋達也の007
ボンドとの演技対比もあるが、
メインは21才時の浜美枝の演
技だ。

『黄金の七人』(1965)の主人
ロッサナ・ポデスタ以外とする
ならば、浜美枝さんが絶対に
モンキー・パンチ先生の名作
『ルパン三世』(原作1967~69)
の峰不二子のイメージベース
だろう。
作品完成発表連載の時代の時間

軸からみて間違いないと思われ
る。
「国際秘密警察」シリーズは映
画マニアしか知らないだろう

イナー作だが、海外では和製
007として意外と人気がある。

翌年1966年にはウッディ・アレン
本作「鍵の鍵」をパクって映画
を製作した。



そしてその流れに乗って、何と
浜美枝さんは本家本元の
英国の
著名映画007シリーズの日本編

のボンドガールに抜擢
された。
それが1967年。

史上初の日本人のボンドガール。
そしてそれ
以降は日本人のボン
ドガール
は現在まで誕生してい
ない。





日本美人タイプではないが、
1960年代当時の日本人とし
てはまるでハーフのような
面立ちでファニーフェイス
ながらとてもキュートな人
だった。



ただ、世の中、美人や可愛い
女性には一つの定理がある。


10代の浜美枝さん。


それは、美人や可愛い女性は
子どもの頃からカワイイのだ。
これ絶対不動の動かぬ定理。





特高警察健在

2024年06月24日 | open





いっそ赤地に白抜き文字の反戦
鉢巻したらどうだろう。気合い
入れて。
どうなるか。
まあ、目に見えてるけど。
この国にあって憲法遵守の精神
など国家権力には存在しない。
つまり、法は守らない。

どきなさい、と警察官が命令し
て退去しなければ不退去罪でい
つでも逮捕できる。
また、警察官に少しでも触れた
ら公務執行妨害で逮捕できる。
さらに、いつでも別件逮捕で身
柄を拘束できるし、いつもそれ
は今でもやっている。
さらにさらに、デモなどやると
私服公安が小さなダガーナイフ
でデモ隊を刺しまくる(70年代
明治公園での実話)。
権力の暴力装置はなんでもやる。
そのための組織だ。

一般盗犯や生活課や交通課は
国民の為に普段働いているが、
大元はそのような国家権力防衛
の為の組織なので、「おまわり
さんは悪い人を捕まえる人です。
いつもありがとう」と幼稚園児
のように思って言うとしたら、
相当な本物の間抜けだ。
個人個人の警察官は人は良い人
はいても、組織である。
組織の性質と成り立ちと機能を
見た場合、やはり本Twitter-X
での法執行者の行為は、違法性
に満ちている。
そもそも憲法などくそくらえだ、
という精神と思想に満ちている。
特高警察、いまだ健在なり。

 
 



都知事選ポスター

2024年06月24日 | open




ほんなこつ、こいつタチわるか~。
児童をだしに使ったり、犬猫を
利用したり。
「ビジネスですから」と言って
るが、金儲けの為に選挙制度を
利用してまでやりたいほうだい。

投票者で「犬」とか投票用紙に
書く奴が出てきそうな予感。


古典落語『井戸の茶碗』(五代目 古今亭志ん生)

2024年06月24日 | open

5代目古今亭志ん生『井戸の茶碗』-rakugo-


はしょりバージョンだが、この
高座の
志ん生の「井戸の茶碗」
が古今東西
最高だと感じる。
これが武士。これが侍。
だが、武士の真正直で一直線な
心根が
いろいろと行き違いを起
こす。
それを滑稽噺にまとめた演目。


稀代の名人五代目古今亭志ん生
本名美濃部といい、江戸幕府
の槍術
指南番の家柄だった。
維新後、家は零落し苦労をした
ようで、
幼いころから丁稚に出
されたりしていた。

破天荒を絵にかいたような人生
だった
が、晩年は脳梗塞で倒れ
た影響もあり、
呂律がよく回っ
ていなかった。

この昭和30年代初期の「井戸の
茶碗」
でもやや語りにその影響
はみられ
るし、途中で金額計算
を間違ったりも
している。
だが、この高座の「井戸の茶碗」
最高だ。
ここまで登場人物のキャラクタ
を明確
に演じている余人の落語
は聞いたことが
ない。
特に、息子の古今亭志ん朝の
『井戸の
茶碗』などは最悪で、
浪人千代田卜斎
の性格を「懇願
する」ように演じてし
まって
いて、浪々の身となれども高潔
さを
失わない武士の心を消失さ
せるような
そんな演じ方をして
いる。あれはいけない。


※ この高座の「井戸の茶碗」
において
志ん生が「にしんにし
ている」
と聞こえるように言っ
ているのは、これ
は「身、貧に
している=生活に困って
いる」
という意味の表現を正調江戸弁
言っているものと思われる。
現代ではなかなか通じない為か、
息子
の志ん朝においても、別
表現に言い換えて
いる。

※ 「天保」とは天保百文銭の
こと。

4000文が1両となる。1両は現在
レート
で化政文化期に約12万円。
幕末には
約3万円。1文は30円。
二八蕎麦が16文だとすると、か
けそば1杯が480円となり、現在
の立ち食い蕎麦とそう変わらな
い。
ちなみに新作刀は15両が平均的
相場であり、現在価格にすると
180万円となる。こちらもあま
り現在とは変わらない。中には
50両もする刀もあったりして、
それは前述のレート換算で約
600万円となり、これまた現代
新作刀の最高金額とほぼ同額と
なる。
幕末期を描いた司馬遼太郎の
小説『新選組血風録』では、
京都の刀屋が沖田総司に進呈し
た御番鍛冶の鎌倉古刀を近藤が
世間の体面上「買い受けるゆえ
値を申せ」と刀屋を屯所に呼び
つけて申し渡すシーンがある。
そこで刀屋は「されば一万両」
と言う。幕末は1両が約3万円。
1万両は現在の3億円に相当する。
「な!」と近藤と土方は気色ば
むが、現在国宝の日本刀が1口
5億円で取引されているので、
1口3億円の刀は非現実的で荒唐
無稽な文学表現とはならない。
刀屋は「てまえは沖田様のお人
柄に惹かれて心置きなくお使い
くださいと申したまで。お売り
するつもりはございません」と
斬られることを覚悟で近藤勇と
土方歳三に言上する。
あきんどにしては大した覚悟と、
近藤と土方は感心するというく
だり。


※ 「セイショウコウ」とは、
現在の
東京都港区白金の明治
学院大学付近の
清正公のこと
で、加藤清正の位牌が
置かれ
ている覚林寺のこと。

『井戸の茶碗』に出てくる細川
中屋敷の武家長屋も、明学大
のすぐそばにあった。現住所は
港区高輪西台町1番地。
細川家
とは肥後国54万石細川越中守家
のことであり、昭和時代に内閣
総理大臣を務めた細川護熙氏の
家のことである。

肥後細川家の武家屋敷長屋。
ベアト撮影。まさにこの建物と
道端において細川藩士高木と
くず屋の清兵衛のやりとりが
なされたという設定。この格
子窓の二階からザルかごを紐
に着けて道に下ろし、仏像を
カゴに入れて引き上げて格子
から部屋に入れたことになる。


この細川家中屋敷の侍長屋の
実物写真を見ると、落語『井
戸の茶碗』で出てくる仏像は
かなり小ぶりな仏像の設定
であったことがわかる。観音
像のような物であったか、大
仏さんのような座像であった
かは志ん生の落語では不明だ。
50両となると切り餅2個が仏
像の中に入っていたのであろ
う。
時代劇で一番多く舞台設定と
される化政文化期とすれば1両
約12万円計算で600万円程に該
当する。細川の殿様が茶碗を
召し上げて下しおかれた金子
は300両。落語の井戸の茶碗は
3,600万円ということになる。
現在、実在する細川家の井戸
の茶碗は重要文化財であり、
3,600万円でも買えない。第一、
市場には出ない。
ただし、重要文化財の細川の
井戸の茶碗は、戦国時代末期
に細川三斎が所有し、後に仙
台伊達家、江戸の豪商冬木喜
平次、松平不昧が歴代の所持
者で、現在は畠山記念館が所
蔵している。

落語『井戸の茶碗』は江戸期
すでにこうした数奇な来歴の
ある細川と銘された名器の井
戸茶碗をモデルにしているこ
とは容易に想像できるが、江
戸期の演目であるとすると、
武家文化や歴史に精通した人
物が原作を書いたと思われる。
教養なくばこの噺は作れない。
火炎太鼓や饅頭怖いや時蕎麦
とはかなり違う噺となってい
る。かなりできる仕掛人たる
ライターが江戸期に書いたこ
とになる。(あくまで初登場
が江戸期であるならば)
演目の登場が明治以降である
とすると、これはもう民間に
おいても知性涵養の時代であ
るので、文学はじめ文芸等は
大いに隆盛をみているので、
裾野は広がっている。それで
も名作を書ける人間はそうそ
ういない。

重要文化財。
茶碗「大井戸 細川」。
「天下三井戸」のうちの一つ
である。


国宝。「大井戸 喜左衛門」。
李朝期。


大学

2024年06月24日 | open



高校までは男女共学、男子校、
女子高と三種類の学校がある。
大学においては女子大はある。
だが、男子大学というものは
存在しない。
これは、女子大は女子高等師
範学校(東京女子高等師範学校、
奈良女子高等師範学校、広島女
子高等師範学校)や女学校高等
科の流れにあるという歴史背景
によるものだ。

だが、一般的な帝国大学や私立
大学は、元々女子に門戸を開い
ていない訳ではないが、進学者
は男性と決まっていた世相があ
り、「大学」は日本においては
男子の物だった。
これは「女などは勉強などせん
でよろしい」という社会風潮と
そうした気風を反映させた社会
状況が江戸期から昭和敗戦時ま
での日本社会だったからだ。
だが、女性が男性よりも下に

置かれた社会では、男女平等
の社会的概念も価値観も存在
してはいなかった。日本はそ
れだった。1945年の敗戦までは。
戦中戦前などは、女性は法律的
にも「無能力者」とされ、選挙
権どころか、一切の法律的権利
を認められていなかった。
その時代を懐かしんで現代人が
「美しい日本」などと言うのは、
大きく現代社会的規範性におい
て間違っているし、社会人とし
て大切な何かが決定的
に欠落し
ている。

女性を格下に置く概念は現代の
日本語の言葉にさえ現存してい
る。「男女」という序列がまず
そうであるし、「子女」という
序列がそれだ。
英語の場合は、英語圏も元々は
男性社会であったとはいえ、
Ladies and Gentlemen という
言葉で女性を立てる事をやって
いた。
最近ではその言い回しさえも廃止
し、Everyone というジェンダー
中立的な言語を使用するのが英
語圏では一般常識化している。
こうした事例が生じているのは、
すべての人々の生存権に関わる
「人権」についての日欧の意識
性の程度の違いに拠るものだ。
換言すれば民度の差。人間社会
の社会人として開かれた社会意
識を有しているか否かの差であ
る。

女性の人権が不存在だった1945

年までの日本は、男による男の
為の男の社会だったのだ。
人間の成す社会として不平等
この上ない。
さらに、厳然とした法的に明記
された「階級」が存在し、それ
は江戸期から継続するものだが
明治期に戸籍に記載され、その
様式は1948年(昭和23年)まで継
続した。
生まれながらにして国民は階級
を決められていたのが日本だっ
た。
万民の人権など不在で、不平等
と差別を是とする国、
それがつ
い先の戦争で敗北して国家体制
が戦勝国によって変革されるま
での日本だったのである。
日本は二千年の歴史を持つ不平

等差別国家だった。
戦後80年近く経とうとも、今

でも日本人は差別と不平等と
格差づけが大好きだ。
極めて国民性と国民の精神が後

進国のそれとして存在している。
日本は戦後80年過ぎようとも、

民権の確立した欧米に比すると
圧倒的な未開未発達の地である。
発展途上にさえ到達していない。


日本の教育の歴史においては、
女子教育はかなり立ち遅れて
はいたが、女学校自体は江戸期
に既に存在した。
そして、明治期に、まだ官立
学校が女子教育の立ち遅れを
克服できていない近代日本の
黎明期において、女子教育の
充実に大きな貢献をしたのは
外国人宣教師たちによる私立
のキリスト教学校だった。
キリスト教が日本の女子教育
の発展にもたらした貢献は著
しいものがあった。
残念ながら、日本の仏教界は
そうした女子教育にはノータ
ッチ、学校教育の発展などに
は興味なども示さず、動きも
しなかった。これは事実として。
日本人は教育の歴史において、
キリスト教から受けた恩恵は
多大なるものがある。

明治初期の女子教育:文部科学省

 


鍛造刃物 ~焼き入れについて~ (2012年9月記事再掲)

2024年06月24日 | open

ここ10年ほどで気づいたこと。
ナイフマガジンなどで鍛造刃物
特集が組まれたりしたせいか、
趣味で炭素鋼を使って鍛造刃物
を作ることが流行っているよう
だ。(2012年現在)
炭素鋼は簡易炉ともいえる七輪
でも焼入れが可能だ。
ただし、然るべき冶金の専門書
籍を熟読したり、確かな鍛冶職
から直接情報を得たりすること
をせずに、インターネットだけ
の情報で鍛造刃物の製作に手を
出す人が多いように見受けられ
る。
私は専門職の鍛冶屋ではないの
で偉そうなことは言えないが、
ネットだけで情報を得た人たち
に共通することは、絶対に外し
てはならないコトガラに対して
無頓着で、思いつきや無知のま
ま熱処理の作業などをしている
ことが指摘できる。
そして、そのような方々はどの
方も熱処理作業工程で失敗して
いる。
冶金学を専門的に学ばなくとも、
きちんと「法則」について知悉
していないと、必ず失敗する。
釘の打ち方も知らないのに家を
建てることはできない。それと
同じだ。

ネット情報は玉石混淆なので取
捨選択する「読む側の力」が必
要となるし、また、大切なこと
はあまりネットなどには出てい
ない。

ネットを見ていると、焼入れの
際の炭を備長炭で焼き入れした
り、私からすると薪のような考
えられない大きさの炭で焼入れ
を試みるなど、目も当てられな
いケースが多い。「炭切り3年」
と言われている意味が解って
いない。というかそういう言葉
も知らないのだろう。だから炭
を切らずにそのままバーベキュー
でもやるが如く丸投げで使う。
知らないことを思いつきでやり
上げても失敗の問題解決にはな
らない。
知らなければ知ろうとする意欲
がないと何事も目標には到達し
ない。
まして、炭素鋼でない軟鉄で焼
入れをしようとしている人たち
もいて、言葉を失う。
また、焼き入れにしても、「冷
却水」という言葉がよくないの
か、冷水で焼き入れして焼き割
れを起こしたり、逆に油焼き入
れで油を適温まで加熱せずに冷
油のまま赤めた鋼材を突っ込ん
だり、もうちぐはぐさに「どう
してそうするの?」「なぜそう
したの?」「それの意味は?」
などと正直言って思ってしまう。

英語やフランス語は温度に関係
なく「水」でしかないが、日本
語は感覚的な温度により「水」
は「湯」という表現に変わる。
焼き入れの際の冷却水の「水」
とは広義においてのH2Oのこと
を指しているのである。
具志堅用高さんの好物は「ホッ
トアイスコーヒー」だそうで、
それをTVで紹介されたとき、
出演者たちは笑っていたが、
具志堅さんは不思議そうな顔を
していた。私は具志堅さんの感
性はいいなぁと思った。具志堅
さんはウチナンチューだが、日
本語の感覚としては英仏のよう
に「水」で大括りすることをし
ない。日本語には水があり、冷
水(れいすい/ひやみず)があり、
湯があり、ぬるま湯があり、煮
え湯がある。
炭素鋼の刃物の焼き入れに使う
水は「ぬるま湯」であるのだ。
焼入液に水を使った場合の温度
は10℃~30℃の範囲、油の場合
は60℃~80℃を保持する。この
温度こそが、古来から秘伝とさ
れた「湯加減」というものだが、
冶金学的に科学的な数値として
は上記のような温度粋になる。
これを外すと適正な焼きは入ら
ない。何らかの不具合が必ず出
る。

最低限、「炭素鋼」、「変態」、
「変態点」については理解して
いないと話にならないし、その
他にも沢山知っておくべきこと
がある。
作業を円滑に進める鍛造の手業
も大切だが、熱処理や鍛造その
もののに関する基本的な知識が
ないと、「何のために何をする
のか」ということが分からなく
なるだろうと思うが、生半可な
誤った知識のままエイヤッで
やってしまう人たちが多いのは
事実のようだ。

鍛冶鍛錬はすべての一動作に
「意味」がある。意味のない
ことは一切しない。
だから、「何のために何をする
か」ということが自分の中で整
理されていないと、やっている
ことが意味不明になる。
ゆっくりやるべきところを粗雑
にパッパッとやったり、逆に俊
敏に進めなければならない作業
工程をのんびりとのろまを決め
込んでいたりしたのではまった
く作るものは形にならない。
とにかく「勉強」が必要だ。
知識と実践という両面について
「勉強」が必要だ。
「愚者は経験に学び賢者は歴史
に学ぶ」というのがてきんめん
に現れるのが人が鉄と接すると
きだ。

焼き入れという熱処理において、
鍛造刃物の製作者ならば誰でも
知っていることだろうが、一応
図で最低限のことを示しておく。


鋼をオーステナイト化させる
変態点まで過熱し、急冷すれ
ば鋼の立方格子が一気に「変
態」して焼きが入る。鋼内部
ではいわゆるマルテンサイト
変態が起きる。
その際に、鋼は一度縮んでか
ら冷却時の変態点を過ぎて急
激に膨張する。日本刀などは
この変化を利用して「反り」
をつけている。
刀身は、一度刃側に縮んでか
ら後、棟側にグーンと反り返
っていく。

このときのストレスに耐えら
れなくなったら、亀裂という
焼き割れが入る。急冷した瞬
間には割れは出ない。マルテ
ンサイトが膨張する際に割れる。
これは何も日本刀だけではな
く、炭素鋼全般に当てはまる。
切先から先に湯に投入したら
切先から焼きが入るし、刃を
下にしたら刃側から焼きが入
る。
さらに、焼き刃土の置き方、
引き方によって、早く冷える
部分から変態が始まる。入湯
の角度によっては真横に90度
近くまで曲がる反りが出てし
まうこともある(私が主催し
たキャンプ場での鍛造刃物焼
き入れ会や刀工の鍛冶場で実
見済み)。
焼入れによる熱処理はある意
味鋼に急激な無理な動きをさ
せていることになるので、そ
の影響を受けやすい弱い部分
はもろにそのストレスに曝さ
れる。
鋼は焼き入れ後も焼き戻し後
も「元に戻ろう、戻ろう」と
して変化している。肉眼では
見えないところで鋼は動いて
いる。
微妙なところで鋼は「均衡」
を保つように人間によって手
が加えられた物だ。
だから、その均衡が崩れたとき、
焼き戻しから数日たった頃で
さえもピキンという音と共に
割れが生じたりすることもある。
刃物としての鋼が安定するには
数年を要するといわれているし、
千年経とうとも炭素鋼の刃物は
「元に戻ろう」と動いている。
日本刀の刃文(マルテンサイト
部分)は数万年で完全に消失す
ると学術的にはいわれている。

焼き入れの際の割れについて
は、事前にほんの少しの加工
を焼き入れ対象物に施してあ
げることで、変態によって起
きる影響を極力少なくしてや
ることができる。
角が立っている部分は、変態
による影響を受けやすい。だ
から、焼き入れ前の整形で丁
寧に丸くツルツルに仕上げて
やる。しかも均一に丁寧に同
じ比率の丸味をつけてやる。
焼き入れ前の整形した刃物(こ
れから刃物に変身する物)の
刃先に「焼き代」を作るのは
常識だが、ここを丸く綺麗に
仕上げてやるだけで焼き割れ
は大幅に防げる。

舟と呼ばれる水桶(実は水では
なく20℃前後のぬるま湯。古来
よりその温度は「湯加減」と呼
ばれ、熱処理における大切な条
件のひとつだった)に冷却のた
めに入湯させる際の刃物の進入
角度も焼きに大きな影響を及ぼ
すので細心の注意を払う必要が
ある。
槍のような長い物で反りをつけ
たくない物は竹のような筒に湯
を張り、真下に投入したりの工
夫が必要となる。
本当は焼き入れ前の整形の形状
以外に多くの要素が複合的に影
響しあって「割れ」は起こるの
であるが、コーナーの角を丁寧
に取るだけである程度割れは防
げる。
ただ、「残留応力」の影響も多
分にあるので、ベルトサンダー
などで片側のみ削りまくったり
した場合は大抵失敗する。
刀工が刀を整形する際に手作業
でセンをかけることには大きな
意味が含まれている。

鍛造や熱処理については、最低
限の基本的知識が必要だ。
最近は、英単語の動詞 go の
過去形を知らなくとも(つまり
英語の過去形そのものも知らな
い)入学できる大学があるよう
だが、それでも卒業したら文科
省が認める「学士」だ。
だが、中学一年の英語力がない
者と宇宙船を飛ばす仕事に就く
者が学歴としては一緒というの
は、やはり何かがおかしいよう
に思える。
学歴ではなく、実力としてどう
なのか、学識として中身がどう
なのかが大切な本質のような気
がする。学識を学力と置き換え
てもよい。
鍛造刃物の熱処理の場合はどう
か。
新潟の故岩崎航介刀工のように
大学の工学部で冶金学を学ばん
と東京大学に入学しなおすケー
スというのは特異だが、そこま
でしなくとも最低限の知識は
「物作り」の際には必要となる。

かといって、専門職の鍛冶屋が
すべて冶金学的に適切な処理を
適切な知識によって行っている
かというとそうでもないケース
もある。
かつて、こんなことがあった。
私はビリヤードのキュー先の
タップを整形するために使う
「皮裁ち包丁」を「町の鍛冶
屋」に頼んだことがある。
使う鋼の種類を尋ねたら「鋼
だ」としか答えない。
まあ、これはこれでもいい。
自分が使う鋼の性質にさえ精通
していればいいと思った。
できるかできないか尋ねたら
「できる」と言うので3丁作っ
てもらうことにした。
でき上がった皮裁ち包丁でキュー
のタップを切ったらボロリと刃
がかけた。
他の2丁は友人に進呈していた
が、不安になり電話したら「刃
こぼれして使えない」とのこと
だった。
軽率に出所不明(不明ではない
のだが)の刃物を人にあげるこ
との愚かさを恥じて友人に詫び
た。
市内の町の鍛冶屋に文句を言う
つもりもなかったが、後日、鍛
冶屋の前を通った時、別な作業
をしているのを見た。キンキン
に鋼を加熱しまくって(溶ける
寸前まで)から叩いていた。
こりゃ駄目だと思っった。
デッドスチールにしてしまって
いるからだ。


趣味で鍛造刃物を作る人は本職
ではないにしろ、最低限の知識
は持っておかないと、失敗の可
能性が限りなく高くなる。
以下の書籍をおすすめする。

このうち、左の『熱処理のお
はなし』(大和久重雄/日本規
格協会)だけは最低限読んで
おくことを切にすすめる。

一部引用紹介してみよう。
「1100℃以上に加熱するとたい
ていの鋼は粗粒となるので,こ
れを加熱(オーバーヒート)と
いい,これは避けるようにして
います.オーバーヒート以上に
加熱すると,結晶粒界が溶解し
始めます.こうなると鋼の表面
から火花が出るようになります.
この状態を燃焼(バーニング)
といいます.これでは鋼は使い
ものにならず,死んだと同様な
ので,死鋼(デッド・スチール)
といいます.
 オーバーヒートした鋼は火造
りしたり,熱処理によって回復
することができます.
オーバーヒートしたと思ったら,
いったん火色がなくなる温度
(黒づく温度,約550℃)まで下
げてからA1変態点以上に再加熱
すればよいのです.これを結晶
粒の調整(グレーン,リファイ
ニング)といいます.」

この後、「鋼の結晶粒に及ぼす
熱処理の影響」の図を示しなが
ら、鋼の火造加工の「外しては
ならないこと」について分かり
やすく解説している。
他にも、全204ページに渡り、
大切なことを簡易な文章で、図
や写真を示しながら熱処理につ
いて網羅して解説している。

たぶん、多くの鍛造に関わる人
たちはこの書を読んではいるの
だろうが、趣味で鍛造刃物を作
ってみようとしている方々には
必読の書なのではないだろうか。
1982年初版。私は1994年発行の
第21刷を持っている。
鍛造刃物を手がけない方でも、
刃物や日本刀に興味がある方に
は読み物としても十分に面白い
書であるので、ぜひ推奨したい。
(定価1200円/税別)

Amazon 『熱処理のおはなし』


衝撃の歴史を解説【ヤマハ発動機】

2024年06月24日 | open

【ゆっくり解説】ヤマハの
コピペは本当!?
衝撃の歴史を解説【ヤマハ発動機】


私はヤマハは好きだが、ヤマハ
のアコースティックギターの音
は好きではない(笑
オートバイと同じく、音が優等
生過ぎるのだ。
アコギの音に限っては私はギブ
ソンが好き。
これは好みなので仕方ない。
ギブソンのギターの音の世界と

存在はカワサキの存在にとても
よく似
ている。
ヤマハのギターの音質の世界を

クラシック音楽と例えるならば、
ギブソンはブルーズだ。


ヤマハ発動機が初めて全米選手
権に参加した時、「楽器屋が
作ったモーターサイクルなど
まともに走るのでしょうかね(笑」
と散々アメリカ人に嘲笑された。
その後不動の世界トップに君臨
し続けるレーシングマシンを作
るとは、その時のアナウンサー
は想像もしなかっただろう。
ヤマハのオートバイは世界最高

の完成度を持つ。世界一のハン
ドリングの二輪をヤマハは作る。
ヤマハにはそれができた。

人間に一番近い乗り物を作って
いたからだ。
今はよく知らない。



 


瀬戸内海の海岸線

2024年06月24日 | open



瀬戸内海の海岸線って、結構
ワインディングロードが続く
のでかなり面白い。
路面は勾配が無いフラットな
ので走りやすい。
ただし、海っぺりのため、路
面に砂が浮いている事が多い
ので、要注意。
しかし、ロードレイアウトは
最高といえる場所が実に多い。
あまり風景が良いからと景色
ばかり観てると転んじゃうけ
ど、道路の形状はかなり良い。
この点は神奈川県や千葉県の
まっつぐな海岸線とはまるで
異なるので、相当に楽しめる。
地形は最高にいいよ。
 
千葉県はこんな感じ。
道路は基本直線。


こちら神奈川県湘南エリア。


海岸道路はこんな感じ。
防風防砂林で覆われてます。
道路は基本まっつぐ。
江の島から鎌倉にかけて以外は

海の見えない所が多い。




1986 日本グランプリ GP500 平忠彦 vs. ワイン・ガードナー

2024年06月24日 | open

1986 日本グランプリ GP500 ① 

1986 日本グランプリ GP500 ② 

1986 日本グランプリ GP500 ③ 

1986 日本グランプリ GP500 ④ 



1980年代初期から中期の日本
国内。
それはヤマハの平忠彦選手の
時代。

鈴鹿東コースと西コースでア

ナウンサーが交代しながら実
況中継している。
豪華な時代。
ホンダNSRは熟成が進んでは

いたが、まだまだハンドリン
グに難を抱えており、ヤマハ
のマシンと互角に渡り合えた
のは、これはライダーの腕に
よるものだ。
NSRは1989年にローソンによ
ってハンドリングが激変して
最速マシンとなる。
1985年にフレディが優勝でき

たのはフレディの腕による特
異なものであり、1984,1986,
1988,1989年と4年連続世界
チャンピオンとなったエディ・
ローソンが1989年に限りホン
ダに移籍した事でマシンを
大改良してバトルマシンに
仕上げた。
殆ど転倒者が出ないヤマハに
対して、ホンダはフレディと
エディ以外は乗る者がほぼ
転ぶ車だったのは事実だ。
ひどかったのはホンダの純
市販レーサーRS250が発売
されたばかりの年のシーズン
前の新年コースでの下しの時。
FISCOでのスポーツ走行の際
にはオフィシャルから場内
放送が何度も流れた。
「ホンダRS250ユーザーの
方は充分に走行には注意し
てください」と。
そんな放送は1970年代から

その時まで聴いた事がない
ので、何だろう?と思って
私が少し遅れてピットから
コースにパララーンと出た
ら、1ラップ目にぶったまげ
た。

コース上にはまだ未塗装で
真っ白のままのホンダRS250
純レーサーがあちこちに累々
と白い屍のように横たわって
いたのだ。
インターバルの時にホンダ系
チームの人から聞く
と、それ
までのヤマハTZ250
のつもり
でコーナーに入って
行くと、
いきなり前輪足払い
をくらっ
たようにすっ飛ばさ
れる、と
いうのだ。


そうしたホンダの特性は、レー
シングマシンだけでなく市販
公道マシンにもその後反映さ
れていた。
NSR250Rなどはまるで史上最
強モデルのように神話化され
ているが、実は国産4社の中
で一番曲がらない二輪だった。
そして最悪ハンドリングゆえ
旋回性能中の操安にも問題が
あった。
さらに、神格化虚像化の頂点
である88NSR(MC18)に至って
は、
中速域までの加速は圧倒
的に
何度計測してもカワサキ
KR-1
のほうが速かった。これ
事実だ。ハンドリングもカ
サキのほうが遥かに上。ヤ
ハはさらにその上を行って
た。

この1986年の鈴鹿でのレース
は、ワイン・ガードナーの突
き抜けた腕
の良さが見られる
貴重な映像
だ。もう職人技。
ただし、レース開始直後から
ハンドリングに苦しんでいる
様子は映像に収められている。
未完成な物でも何とかしてい

るところに非凡な職人技的な
次元の技術を見て取れる。
この時のヤマハワークスYZR
はホンダよりも最高速が出て
いるのが判る。
この時のヤマハ最強の状況に
ついてはあたりは、パワーの
ホンダが最高速でヤマハの後
塵を喫する屈辱を浴びたとし
て劇画「バリバリ伝説」でも
ホンダワークス監督の梅井が
涙ながら唇を噛みしめるシーン
でも描かれている。
ヤマハのマシンを作ったのは
河崎シャケさんと平忠彦選手
だ。ケニー・ロバーツやロー
ソンにも同じセッティングの
マシンを供給していた。
そして、レースを見ていると、
シャケさん#5のマシンが一番
安定している。

観客の数を見てほしい。

ギッシリ鮨詰めだ。


これはファイナルレースだから

ではなく、シーズンを通して毎
回こうだった。プロ野球の球場
以上
の観客が集まってロードレ
ース
を観戦していた時代だった
のだ。

現在とはまるで異なる。
全員二輪か四輪の自動車で来る。
これがディズニーランドのよう
に鉄道や仮にモノレールとかの
公共交通機関がサーキット駅ま
で開通していたら、観客数はど
うなってしまうのだろう、とい
う程の観客動員数があったのが
1980年代中期の国内のロードレ
ース状況だった。1985年の鈴鹿
8時間耐久レースは18万人が現
地で観戦した。