【昭和アニメ'70~'86】
救いようのない残酷編
【悲劇的な残酷回】
【1970/1974/1980/1986】
釣りキチ三平/チャージマン研/
火の鳥 鳳凰編/Mojo 渡辺典子
深いね。1970年代~80年代。
いつ頃からだろう。
アニメがオラオラで自己顕示
と相手をぶちのめしてドヤ顔
する連中が主人公になったの
は。
今の日本とは全く違う思惟が
作品にも反映されていた時代。
それは「人」を常に扱う作品
群だった。
相手を暴力で打ちのめして、
そして踏んずけて偉そうに
する姿が英雄視される感性
はかつての日本には存在しな
かった。
それは恥であり、卑怯であり
人としての在り方を問われる
という大多数の日本人民の心
があった。
これは、大きな間違いによる
戦争の敗戦によって、戦後か
らずっと「人とは何か」を日
本人が見つめ直した時代だっ
たからこそ、そのような「人」
を常に思う世の中が形成され
ていた。
それは上からの意図的な作為
をも人々の無意識の中での
感性が否定していた日本と日
本人があったからだ。
今は無い。
消滅した。
主体たる人民の人を思う感性
は完全に外力によって消滅さ
せられた。
さらに、その流れに対し、人
民は疑問さえ抱かない。
脳にすべて操作回路を埋め込
まれ、首の後ろに見えないバ
ーコードをスタンプされた人
間もどきばかりが日本人を構
成する世の中になった。
手塚治虫先生は、このような
世の中を想像しただろうか。