最近、コンビニなどで売られ
ているコミックで復刻された
『子連れ狼』の愛蔵版がある。
1971年原作の第1シリーズの
作品が40年ぶりに新刊本で復
活した。
(全7巻)
だが、この最新版には、ある
回で消されているトビラ絵が
ある。
それは、「首斬り朝右衛門」
の章のトビラ絵だ。
この章は、幕府の命をうけて
御様役(おためしやく:刀剣
の試刀をする役)の山田朝右
衛門が拝一刀の討手となって
対決する話だ。山田の手によ
って拝一刀を討たれることを
阻止する裏柳生の妨害を切り
抜けて朝右衛門は馬で拝一刀
を追う。
そして、ついに拝一刀と対決
するのだが、互いに「斬り屋」
であるので、石仏3体を交互
に試斬してからの立会いとな
る。
拝一刀の差し料は胴太貫、対
する山田朝右衛門は鬼包丁が
愛刀であり、刀の利鈍につい
ても焦点化された回で、全話
の中で私はかなり好きな回だ。
萬屋版のTVドラマでは原作を
忠実に再現し、さらに一歩進
んで原作の真意を深く描いて
いた。
実は幕府を支配している自分
らの裏での動きが公になるの
を防ぐために山田朝右衛門の
任務を阻止しようとした裏柳
生だったが、山田に刺客を切
り伏せられたので、苦肉の策
として両者を互いにつぶし合
わせようとした柳生烈堂は、
石仏に鋼の首輪を仕込んだの
だった。
拝もしくは山田の刀を損傷さ
せるためだった。なぜならば、
彼らの刀は鉄も石も切断して
しまう比類なき刀だからだ。
だから鋼を以って折損を狙っ
たのである(よく考えるとこ
れも論理的におかしい話)。
TVドラマでは裏柳生の総裁で
ある柳生烈堂が鉄輪をはめた
丸太を試斬し、ことごとく鉄
輪ごと丸太を切断していく。
そして、最後の一本のみ烈堂
の刀が折れ飛ぶ。
即座に烈堂は言う。「うむ。
これぞ鋼の中の鋼。よくぞ練
り上げた」
この鋼の首輪を石仏に仕込ん
で両者どちらかの刀を折ろう
と企むのだった。(どうやっ
て石仏に鉄の首輪を装着した
のか物理的に理解不能。
どなたか教えてください。笑)
この烈堂の試斬シーンは原作
にはない。ドラマでは丸太と
鉄輪を切断する時の効果音は
「ピギュウ」という物で、中
学生の時には「そうかぁ~。
鉄を斬ったらあんな音がする
のか~」などと思っていたが、
後年実際に日本刀で鉄を斬っ
たら全然違う音がした(苦笑)。
実際には「ガィン」という音
がする。(私が切りつけた鉄
板は滝田栄さんも切っており、
テレビ番組で紹介された)
さて、現在新刊発売されてい
る復刻愛蔵版のファーストシ
リーズ『子連れ狼』の「首斬
り朝右衛門」の回には、1971
年版と1981年復刻A5版愛蔵版
にあった興味深い画が削除さ
れている。
そのトビラ絵は原作の原本で
はこんな画だった。
いや~、中学生の時はこれに
騙されちゃったんだよなぁ。
「胴太貫」という刀が架空の
刀だとは知らなかったから、
九州肥後菊池の同太貫のこと
かと思っていた。
ところが、拝一刀の刀は「清
水甚之進信高」作であると劇
画『子連れ狼』で知った。
「へ~、胴太貫の作者は清水
甚之進というのか」という具
合に。信高は尾張三作の一人
だ。
ところが、二重三重にこれは
誤りというか、錯誤を描いた
図ということを知るのに数年
かかった。
清水甚之進信高は姓を藤原と
し、尾張で鍛刀した江戸期の
刀工であり、肥後同太貫一派
とは全く関係がない。戦場刀
なども一切作っていない。
この絵はまったくの創作であ
るのだ。
まして、胴太貫(どうたぬき)=
肥後同太貫(どうだぬき)ではな
い。
そして、原作中の鬼包丁もし
かりで、これは史実としては
泰光代の作を柳生連也が好み
「鬼の包丁」と名づけたこと
に由来している。
しかも政勝という武士が好ん
で作らせて「鬼の包丁」と名
づけたその作者はなんと清水
甚之進なのである(!)。
つまり、この画に出てくる清
水甚之進が作るのが「鬼包丁」
なのであり、無論「胴太貫」
とは一切関係がない。
そもそも同太貫というのは刀
の号ではなく、戦国時代の肥
後菊池に住した延寿一派の末
裔が集団名として同太貫を名
乗ったものであり、尾張の清
水信高は全く関係ないどころ
か清水こそが光代と並んで鬼
の包丁の作者であるのだ。
どうやら、創作というか、実
名を出しているので、原作画
者は刀剣知識が乏しいか、あ
るいは知悉していて巧妙なト
リックを仕込んだかのどちら
かと思われるが、現在の復刻
版では完全にこの図が削除さ
れているので、「誤り」とし
て抹消されたものだと思われ
る。
それはそうだよなぁ、二重三
重の錯綜が見られるもの。
ところが、現在連載中の『新・
子連れ狼』では、胴太貫は同
太貫として改められ、しかも
「上野介正国」であることま
で描かれている。
完全に実在する刀工をもって
きた。というより、世の中が
誤認していた「胴太貫=同田
貫」という認識を現実化させ
るように、後付けで「同太貫」
としてしまった(苦笑)。
劇画は創作だから自由でよい
とはいえ、第一シリーズ原作
においても時代背景が100年
ほど前後することは読者から
も指摘されており、これは吉
川英治の『宮本武蔵』のよう
に「パラレルワールドなのだ」
として理解されてきたが、創
作物である小説や劇画やドラ
マという文芸作品がフィクシ
ョンでなくノンフィクション
だと人々が思い込むことは往々
にしてある。吉川によって創
作された宮本武蔵が作州岡山
県の出身だなどというのは典
型だろう。行政も人々も本気
にして、岡山県人は「宮本武
蔵」という鉄道の駅まで作っ
てしまった。
それと同じで、柳生家には裏
も表もないのに、「裏柳生」
が本当にあると思っている人
もかなりいるようだ(苦笑)。
これなどは水戸光圀が諸国を
漫遊したと信じきってる人が
多いのと同じ現象だ。史実と
しては諸国漫遊はしていない
し、「副将軍」という幕府の
役職は一切存在しない。すべ
て創作なのである。
そして、拝一刀の幕職であっ
た「公儀介錯人」という役職
も存在しない。
存在しないことを知らずに創
作を真実だと思い込むのはと
ても危険なことに思える。
劇画『バリバリ伝説』では、
主人公グンがコーナーを曲が
り切れないときにガードレー
ルを足で蹴ってターンをして
「ガードレールキックターン」
と称したが、これを現実世界
でやって足を骨折したお馬鹿
な連中が1980年代には何人も
いた。
当たり前だろ、足骨折するの
は!(トホホ)
知り合いにもいたから唖然と
したけど・・・。
世の中、見る側の判断力が操
作されないように気をつけな
いとね。
創作フィクションとして楽し
むのが本筋だろうが、創作に
も限度があろう。
西部劇の6連発のピースメー
カーが10数発も撃てるのはア
ウト!みたいな。(ケビンコ
スナーの映画『ワイルドレン
ジ』は久しぶりの硬派な本格
ウエスタンだったのに、ワン
シーンでこれをやっている点
が最大のアウチ!だった。作
品を台無しにしており、とて
も残念だ)
1981年の『子連れ狼』愛蔵版
はカバーの絵も書き下ろしで、
なかなか視覚的にも映えます。
大判だし、迫力もある。