薬丸どんの自顕流の小太刀
だ。
だ。
野太刀木刀と共に流派の方か
らの頂き物。
らの頂き物。
私は流派が違うので、これで
実際に稽古はしないが、かな
り気に入って
実際に稽古はしないが、かな
り気に入って
いる。木刀の研究にもなる。
野太刀木刀は丸太棒みたいだ。
武蔵の削った櫂の木刀のよう
に。
に。
薬丸どんのとこの普段の稽古
ではユスの木のただの太枝を
木刀として、とにかく奇声
とともに横に束にしたユス
の枝を連続してぶっ叩き続
ける。
ではユスの木のただの太枝を
木刀として、とにかく奇声
とともに横に束にしたユス
の枝を連続してぶっ叩き続
ける。
幕末に薩摩の殿様が「狂人の
剣術なのか?」と気分を害し
て席を立った程に、常人らし
からぬ長く高い叫び声を発し
て叩き続ける。
剣術なのか?」と気分を害し
て席を立った程に、常人らし
からぬ長く高い叫び声を発し
て叩き続ける。
薬丸自顕流では、音曲の笛と
琵琶の稽古も稽古をする若者
の素養として必須であり、そ
れにより武技の拍子(リズ
ム)と長息の呼吸法の要点
琵琶の稽古も稽古をする若者
の素養として必須であり、そ
れにより武技の拍子(リズ
ム)と長息の呼吸法の要点
を覚える。薩摩琵琶は弾
くだけでなく、声を出して
うたう。祇園精舎の平家物語
のような悠長古雅なもので
くだけでなく、声を出して
うたう。祇園精舎の平家物語
のような悠長古雅なもので
はなく、まるで津軽三味線
のように激しく、慟哭を響
かせるような音調と勢いが
ある。現代風に言うならば、
のように激しく、慟哭を響
かせるような音調と勢いが
ある。現代風に言うならば、
弦調のアタクック感が極め
て強い。
て強い。
一般的な日本剣道形で使う小刀
(しょうとう)木刀との比較。
昔、ある物切り大会に出た。
自由刀法演武の時、ある参加者
が、真剣を蜻蛉(風)に構え(あれ
は取ってはいない。構えていた)、
「チェストー」とはっきりした
発音でバリトンの音階の大声
で叫んでドタドタと走りな
がら畳表を切った。
が、真剣を蜻蛉(風)に構え(あれ
は取ってはいない。構えていた)、
「チェストー」とはっきりした
発音でバリトンの音階の大声
で叫んでドタドタと走りな
がら畳表を切った。
会場からは感嘆のどよめきが
上がった。
上がった。
私は思った。
これは自顕流ではなく自己流
だ、と。
だ、と。
素人が生半可な知識のコレク
ションを貼り合わせてこしら
えてやってる、と。
それに対し、会場のこの賛
辞のどよめきとは、みんな
腰に刀を差していながら、
ど素人大集合なのか?と。
ションを貼り合わせてこしら
えてやってる、と。
それに対し、会場のこの賛
辞のどよめきとは、みんな
腰に刀を差していながら、
ど素人大集合なのか?と。
本物の猿叫は「チェストー」
などとは一切発声しない。
「キィーッ!!」に近い甲高
い雄叫びだ。
などとは一切発声しない。
「キィーッ!!」に近い甲高
い雄叫びだ。
今目の前で何か大声だしてド
タドタとやってるのは真っ
赤なニセモンにごわんど、
と思った。
タドタとやってるのは真っ
赤なニセモンにごわんど、
と思った。
そうしたら、その人が大会優
勝した。
勝した。
ああ、物切り大会なんてのは
こんなもんか、と思った。
こんなもんか、と思った。
爾来、そこの大会には出てい
ない。
ない。
今から30年ほど前の話だ。
世の中ナンチャッテは多いし、
それを見抜けない人も多い。
それを見抜けない人も多い。
左:自作木刀。
自分が属する流派の手さばき
刀術も稽古できるように造形
に工夫を入れた。
刀術も稽古できるように造形
に工夫を入れた。
中:一般木刀。娘が中学の時
に剣道二段取得の剣道形の稽
古で使用。
に剣道二段取得の剣道形の稽
古で使用。
日本剣道形の稽古は私がつけ
た。
た。
普段は木刀での稽古だが、一
人稽古では真剣を振らせて刃
筋を覚えさせた。
人稽古では真剣を振らせて刃
筋を覚えさせた。
右:一般の市販流派木刀。反
り強し。
り強し。
厚みの違い。
左の私の自作木刀は、二天一流
の木刀を参考に新陰流の木刀の
工夫点も採り入れて、土佐英信
流の運刀さばきに適した造形に
した。
鋒(きっさき)部分。
の木刀を参考に新陰流の木刀の
工夫点も採り入れて、土佐英信
流の運刀さばきに適した造形に
した。
鋒(きっさき)部分。
土佐いあいの真剣はまっつぐ
過ぎる程にまっつぐだ。長さ
は定寸で短い。
過ぎる程にまっつぐだ。長さ
は定寸で短い。
あれは幕法を守りながらも、
土佐の流儀の抜刀術を駆使で
きるように設定しているのだ
ろうと推察する。
土佐の流儀の抜刀術を駆使で
きるように設定しているのだ
ろうと推察する。
これは妄想ではなく、現実的
な現象を見ての推察。
な現象を見ての推察。
直伝英信流17代宗家大江先生
の刀。
の刀。
現在は高知の英信流後継者の
先生が所持管理している。
戊辰戦争での斬り合いの
痕跡がある。
先生が所持管理している。
戊辰戦争での斬り合いの
痕跡がある。
大阪でのフランス兵との揉め
事で、土佐藩士を介錯したの
が大江正路(まさじ)先生だっ
た。切腹の儀は、次々と潔く
果てるあまりに壮絶見事な土
佐藩士たちの割腹ぶりに、こ
れでは懲罰にはならんと
フランス将官が途中で中止
させた。
事で、土佐藩士を介錯したの
が大江正路(まさじ)先生だっ
た。切腹の儀は、次々と潔く
果てるあまりに壮絶見事な土
佐藩士たちの割腹ぶりに、こ
れでは懲罰にはならんと
フランス将官が途中で中止
させた。
ちなみに、1970年市ヶ谷自衛
隊基地での三島由紀夫先生の
介錯刀は警察から遺族に返
却され、うちのMCの者が
陸自二尉時代から遺族より
委託されて所有者登録をし
て本刀を管理している。
隊基地での三島由紀夫先生の
介錯刀は警察から遺族に返
却され、うちのMCの者が
陸自二尉時代から遺族より
委託されて所有者登録をし
て本刀を管理している。