渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

じげんりゅうの木刀(2021年9月8日記事再掲)

2025年01月10日 | open
薬丸どんの自顕流の小太刀
だ。
野太刀木刀と共に流派の方か
らの
頂き物。
私は流派が違うので、これで
実際に
稽古はしないが、かな
り気に入って
いる。木刀の研究にもなる。
野太刀木刀は丸太棒みたいだ。
武蔵の削った櫂の木刀のよう
に。
薬丸どんのとこの普段の稽古
では
ユスの木のただの太枝を
木刀とし
て、とにかく奇声
とともに横に束
にしたユス
の枝を連続してぶっ叩
き続
ける。
幕末に薩摩の殿様が「狂人の
術なのか?」と気分を害し
て席を
立った程に、常人らし
からぬ長く
高い叫び声を発し
叩き続ける。
薬丸自顕流では、音曲の笛と
琵琶
の稽古も稽古をする若者
の素養とし
て必須であり、
れにより武技の
拍子(リズ
ム)と長息の呼吸法の
要点
を覚える。薩摩琵琶は弾
くだけでな
く、声を出して
うたう。祇園精舎の
平家物語
ような悠長古雅なもので
はなく、まるで津軽三味線
のように
激しく、慟哭を響
かせるような音調
と勢いが
ある。現代風に言うならば、
弦調のアタクック感が極め
て強い。
 
一般的な日本剣道形で使う小刀
(しょうとう)木刀との比較。
 
昔、ある物切り大会に出た。
自由刀法演武の時、ある参加者
が、
真剣を蜻蛉(風)に構え(あれ
は取って
はいない。構えていた)、
「チェス
トー」とはっきりした
発音でバリト
ンの音階の大声
叫んでドタドタと走りな
がら畳表を切った。
会場からは感嘆のどよめきが
上がっ
た。
 
私は思った。
これは自顕流ではなく自己流
だ、と。
素人が生半可な知識のコレク
ション
を貼り合わせてこしら
えてやってる、
と。
それに対し、会場のこの賛
辞の
どよめきとは、みんな
腰に刀を差し
ていながら、
ど素人大集合なのか?
と。
本物の猿叫は「チェストー」
などと
は一切発声しない。
「キィーッ!!」
に近い甲高
い雄叫びだ。
今目の前で何か大声だしてド
タドタ
やってるのは真っ
赤なニセ
モンにごわんど
と思った。
 
そうしたら、その人が大会優
勝した。
ああ、物切り大会なんてのは
こんな
もんか、と思った。
爾来、そこの大会には出てい
ない。
今から30年ほど前の話だ。
世の中ナンチャッテは多いし、
それ
を見抜けない人も多い。
 
左:自作木刀。
自分が属する流派の手さばき
刀術も
稽古できるように造形
に工夫を入れ
た。
中:一般木刀。娘が中学の時
に剣道
二段取得の剣道形の稽
古で使用。
日本剣道形の稽古は私がつけ
た。
普段は木刀での稽古だが、一
人稽古
では真剣を振らせて刃
筋を覚えさせ
た。
右:一般の市販流派木刀。反
り強し。


厚みの違い。
左の私の自作木刀は、二天一流
の木
刀を参考に新陰流の木刀の
工夫点も
採り入れて、土佐英信
流の運刀さば
きに適した造形に
した。


鋒(きっさき)部分。


土佐いあいの真剣はまっつぐ
過ぎる
程にまっつぐだ。長さ
は定寸で短い。
あれは幕法を守りながらも、
土佐の
流儀の抜刀術を駆使で
きるように設
定しているの
ろうと推察する。
これは妄想ではなく、現実的
な現象
を見ての推察。
 
直伝英信流17代宗家大江先生
の刀。
現在は高知の英信流後継者の
先生が
所持管理している。
戊辰戦争での斬
り合い
痕跡がある。
大阪でのフランス兵との揉め
事で、
土佐藩士を介錯したの
が大江正路
(まさじ)先生だっ
た。切腹の儀は、
次々と潔く
果てるあまりに壮絶見事
な土
佐藩士たちの割腹ぶりに、

では懲罰にはならんと
フランス将官
が途中で中止
させた。
 
ちなみに、1970年市ヶ谷自衛
隊基地
での三島由紀夫先生の
介錯刀は
警察から遺族に返
却され、うちの
MCの者が
陸自二尉時代から
遺族より
委託されて所有者
登録
て本刀を管理している。


 
 


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