刀友の鍔。
これ、いいね〜。
猪の目に雪波。
外周は雪輪の紋を彷彿させるシル
エットで鉄地に波を丸毛彫り。
号「雪波」と命名してもよい感じ
の雅味ある意匠だ。
思うに、日本人の芸術的センスと
いうのは、世界史的に見ても古代
からの芸術の国イタリアに並ぶと
思う。感嘆する。
猪の目については、こちらもどう
ぞ。私の記事ですが。
西の小京都と呼ばれた(らしい)
広島県三原の城下町は、町が
できてから450年ほどで、京都
にくらべたら日が浅い。江戸
よりは古いが。
そして、城下の建物はまるで
京都のように隣家とくっついて
いて、敷地はウナギの寝床状態
の宅地が多い。
そして、京都と似ているのは
街並みだけではなく、通りの
名が似ている。
油屋小路や河原小路等、江戸期
の通りの名が今でも使われて
いる。
京都の油小路は新選組から分離
した高台寺党の御陵衛士の
伊東甲子太郎が新選組に殺害
された通り。
死体を通りに投げ捨てて餌と
しておびき寄せた新選組と
元新選組の脱退グループで
死闘の斬り合いとなった。
この時、試衛館寄宿者生え抜き
で伊東と共に隊を脱した藤堂
平助は斬殺された。
篠原泰之進たちは死地を脱出。
のちに乗馬中の近藤勇を暗殺
せんとアンブッシュして火縄銃
で狙撃。腕は正確で、銃弾は
近藤の肩甲骨を射貫いた。
近藤はこの負傷がもとで、江戸
に帰ってからも不具合が生じて
いたに違いない。肩甲骨粉砕
ですよ。ただでは済まない。
三原の油屋小路の坂を登って
行くと、左手に寿徳寺という
寺がある。
幕末の広島藩士に丹羽精三
(にわせいぞう)という武士
がいた。
三原の城内住宅街に住していた。
丹羽は慶応年間、京河原町で
新選組に斬られて死亡した。
丹羽精三の墓は、三原油屋小路
の寿徳寺にある。
墓石の近くには木賊(とくさ/
江戸期の紙やすりになる草)が
寂しく生えている。
kawasaki KR-1 試走 ~RML 下り~