「ウサギとカメ」というお話は、皆さんご存知のことと思います。
ウサギが山で芝刈りをしていると、マサカリ担いで鬼退治をしている親指ほどの大きさのカメに出会ってビックリして老け込む、というお話で・・・はありませんね(笑)。
最近では、寝ているウサギを起こさずにゴールしたカメを「スポーツマンシップに反する」などと、卑怯者呼ばわりする声までありますが、これを書いたとされる紀元前6世紀の黒人奴隷、アイソーボス(=イソップ)さんが、よもやそんなことを考えて書いたとは僕には思えないのですが、いかがなものでしょうか。
あえて一言、この問題について言わせてもらうならば、僕は「ウサギがどのように寝ていたか」が、一番の問題ではなかったかと思うのです。
天気もいいし、木陰でちょっと一休み、なら「ウサギくん、さぁ、そろそろ起きて一緒に走ろう」と起こしても差し支えないでしょうが、もしも、ウサギが「まるで仮死状態であるかのように」眠りを貪っていた場合、これはむしろ、起こさずに寝かせておいてあげたカメの思いやりを讃えるべきなのではないでしょうか(笑)。
だってね、連日の深夜にわたるレコーディングの際などでは、作業の合間に「あ、ごめん、ちょっと、5分だけ・・・」と、ソファに座り込み、即座に落ちてゆく仲間に、それが例え10分に伸びていようとも、「さあ、もう起きて!一緒に歌おう、踊ろう!」などとは絶対に言えないものなのです。ああいった極限状態での眠りは、もはや眠りなどという生易しいものではなく、まさに、どうにか夜を生き抜くための、束の間の「蘇生の為の儀式」なのですから。・・・なんのこっちゃ(笑)。
・・・まぁ、そういうわけで(笑)、カメは決して悪くはない、と。僕はそういう立場を取ることにしております。ってか、元々カメの足が遅いのをウサギが揶揄したのが事の始まりですしね。これはいけません。
でもね、この「ウサギとカメ」にはもう一つ、アナザー・ストーリーがあるのをご存知ですか?1800年代半ばのアメリカのジャーナリスト、ジョーエル・チャンドラー・ハリスによる「リーマスじいや」という物語の中に、この「ウサギとカメ」の寓話と同じ素材を基にしたもう一編のストーリーが残されているのです。
こちらのお話では、本当に亀が悪者です。なんと、用意周到な計略を用いてウサギを騙すのです。でも、これはこれでなかなか面白いので(笑)、あらすじをご紹介しますね。
「ウサギとカメが駆けっこをすることになる。しかし、カメはウサギが走る道ではなく、そばの藪の中を走ると主張する。ウサギはこれを了承する。
さて、翌日スタート地点にウサギが来ると、そこにカメが待っているが、実はこれはカメの妻であった。ウサギにはその見分けがつかない。実はカメは家族に指示して、コースの要所要所に彼らを隠れさせ、ウサギが声をかけたら返事するようにしておき、自分はあらかじめゴール地点付近に隠れたのである。
スタートするなりウサギは道を走り出す。カメの奥さんは藪に潜り込み、そのまま家にかえってしまう。ウサギがしばらく走って『カメさん、どんな具合だ』と声をかけると、そのたびにカメの家族の誰かが『汗水垂らして走ってるよ』などと返事をする。
はじめは先行していることを喜んでいたウサギも、いつまでたっても引き離せないので苛立ち、やっとのことでゴールにたどり着くと、なんとすでにカメが待っていた、という話である。」
これは、・・・完璧に詐欺行為ですね。ウサギがサギにあいキツネにつままれたような表情で走る様子が目に浮かぶようです(笑)。
しかしどの道、本当のウサギやカメは、揶揄も競争も策略も詐欺もしないでしょう。そんなことをするのは、たぶん、人間だけですよね。
さて、思いがけず長くなりました(笑)。今日のお写真は、憶えている、という方もいらっしゃるかもしれませんが、そう、約一年前にご紹介した、あのクララ君(仮名)です。しばらく見ない間に、子供を生んでました(君、ではなかったのね(笑))。良く見ると、二匹とも口のまわりに薄っすらと緑が(笑)。「かあちゃん、あそこの草、ウマーだったね!」「そうだね、ウマーだったわねぇ。」そんな感じでしょうか(笑)。・・・可愛いですよねぇ。
「ちぇー。なんだい、皆してカメカメ、って。あ、あんたの場合は、カメラカメラ、か(苦笑)。」
・・・お後がよろしいようで(笑)。
ではー。