昨日、そして今日と、皆さんからのコメントを読ませていただきながら、また僕も色々と考えを巡らせておりました。とっても真摯なコメントの数々、本当にありがとうございます。
増え続ける核。
でも、実際に使っちゃまずいって事は、核を持っているどこの国の人間だってわかってるはず。皮肉なことに、それを実証したのは、広島、長崎。
膨大な時間と開発費をかけた新兵器の威力を、どうしても実戦で使ってみたかった。実験的な意味合いがとても強かった。投下後すぐに、米軍はカメラを持って広島、長崎へやって来て記録撮影をしたのが、その動かぬ証拠。実験の結果を知りたかった。そして、被爆者の肉体、解剖された死体なども、病院から接収して、研究材料として持ち帰った。
実際に使ってみたら、驚くほどの威力があったから、以後、核は、「抑止力」になった。
抑止力、つまり他国の干渉、武力行使に対する抑止力。「どうしてもって言うなら、こっちにはこれがあるぞ」って、いう、言わば、脅し。
でも、それにしたって、元々は自国を守りたいから、のはずなのに。皆で持ち合ってしまった。
そして、「こっちは○○発あるぜ」「なんの。こっちは△△発もあるんだぞ。」って、これで抑止し合ってるつもりなんでしょうか
・・・あほかー。
暴力をちらつかせたって、最終的に人の心は動かない。でも、やめられない、とまらない。えびせんならいいけれどね。こんな悪循環は、もうここらで断ち切らないといけません。
核実験は、抑止の為のデモンストレーションでもあります。「○○国が、核実験に成功」っていうニュースが随分流れましたね。でも反対も多かった。地球破壊ですから、当然です。気づく人は、すぐ間違ってるって、気づきますよ。ですから、さすがに1998年のパキスタンでの実験を最後に、最近は少し自重(?)されていたのに、2006年になって北朝鮮が行いましたね。そしてこの先も、まだまだわかりません。でも、常に監視、そして、反対をしていく必要があります。
アメリカは広島、長崎への原爆投下から約9ヶ月後の、1946年6月30日から、1962年までの16年間で、なんと100回以上もの核実験を繰り返しました。実験ったって、要するに、投下したのと同じですよ。そこらにあった木々は、生きていた生き物は、根こそぎ吹っ飛んだわけです。こういった実験の被害は人にも及びました。(←さきの回数は、『大気圏内核実験』の回数。他に地下核実験は、92年まで、なんと825回も行われました)。
例えば、1954年のビキニ環礁での水爆実験による日本のマグロ漁船・第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。戦争中じゃないのに、核爆弾によって、被爆させられたわけです。
しかも、100回もの実験があったわけですから、実はこのように海で被爆したのは第五福竜丸だけではなかったのです。
藤井節弥さん、という方がいらっしゃいました。
節弥さんは、小学生の時に、長崎の原爆で被爆しました。その後、母親とお姉さんと高知の実家へ帰りましたが、ままならない納屋暮らしだったんだそうです。高校を卒業した年に「お母さん、僕が働いてお母さんに家を建ててあげる」と、マグロ漁船に乗り込みました。そして、ビキニ環礁での水爆実験に遭い、・・・また被爆してしまったんです。「二重被爆」といいます。
節弥さんは、怖くなってマグロ船を降りました。でも、身体はやられてしまっているし、となれば仕事も見つからない。でも、お母さんに家を建てるって約束したんだから、と節弥さんは再度、マグロ漁船に乗ることにしました。そして、三浦沖で、・・・また核実験に遭います。そしてまた、被爆。節弥さんは、怖い怖いと、海に飛び込んだそうです。でも、その海は・・・。
節弥さんはその後、久里浜の病院に入院することになりました。被爆者特有の呼吸器障害、視力障害に酷く苦しみ、そして・・・。1960年8月の夜、節弥さんは、病院を抜け出して、近くの海に身を投げたんだそうです。まだ、27歳だったそうです。(藤井節弥さんについての記事。こちら、そして、こちらなど。また前回購入した「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」内の記事を参考にさせてもらいました。)
YouTubeから、核実験の映像をふたつほど(こちら、とこちら)。身体が震えるほど恐ろしい。でも、本当に恐ろしいものなんだって知らないと、それを知らない人が・・・また実験したくなったりしたら、困るのです。
こんなこと書いて、信じてもらえるかどうか分らないんですけど、先日、夢を見たんです。バンドメンバー数人と東京の喫茶店のようなところで、普通に話しをしていたんです。そしたら突然、何の前触れもなく、空がピカッ!って真っ白に光って、そして、ドーン!って、大きな、ズーンと響く音がして。
瞬間的に、分りました。僕は、目の前にいた圭ちゃんと目を合わせて、
「核爆弾だ。」
そして、
「あ、とうとうやりやがった。あーあ、終わりだ」
ってすっごく残念に思った、その次の瞬間、目の前に物凄い爆風が迫ってきて、
・・・目が覚めたんです。寝汗を一杯かいていて、まだ心臓がドキドキしていました。
21日、広島のホテル、朝8時半過ぎのことでした。
今日は献血に行ってきました。
帰りには、近所でもあちこちに桜が。
暖かいですものね。今年もいよいよ、春ですね。
ではー。