秋葉原が好きでした。
高校に入学した時に、学校帰りに秋葉原に寄れるから、っていう理由で、最寄りの地下鉄の駅じゃなくて、ちょっと離れたJRの駅から通ってた事もあります(友達と一緒に帰りたくて、三ヶ月で最寄の駅への定期に変えてしまいましたが)。
と言っても、もう20年も前。今みたいないわゆる「アキバ系」みたいな文化は影も形も無く、様子は大分違っていました。
当時は、本当に純粋な「電気街」だったんです。ビッグ○メラやヨド○シカメラみたいな家電量販店なんてまだ存在しなかった時代。電気製品を沢山見比べたり、安く買うなら秋葉原に行くしか無かったんです。賑やかで、明るくて、見てるだけでも楽しくて。それに、所狭しと細かいパーツが並ぶショップが何十と入っている、「ラジオ会館」なんてマニアックなところも、なんだか妙にワクワクして好きでした。一体何を売っているのか、さっぱりわからなくてもね。
そして、オーディオや音楽の街でもありました。今のようにタワレコやHMVのような大型レコード店なども、やはりまだ無くて、唯一秋葉原にだけ、石丸電気の「レコード館」とういのがあって(ビル丸ごとレコード屋、というのは当時は画期的だったんです)、僕は学校帰りに、そこにレコードを「見に」行ってたんです。今では当たり前になった「洋盤」(お店が直接、海外から輸入した盤、帯とか、日本語の解説とかが無いやつ。三割位安いんです)、は秋葉原でしか買えなかったんで、お小遣いの節約の為にも、買うならやっぱり秋葉原でした。ちなみに、レンタルレコード屋さんも、ギリギリ出始めたころでしたが、やはり欲しいものは買いたかったものですから。とにかく、電気製品とレコードを買うなら、秋葉原、だった時代です。
ほんとに今は様変わりしてきましたが、それでもまだ安いお店が沢山あります。さすが世界の秋葉原。日本に来た外国人は、まず必ず行くのではないでしょうか。「アキハバラ」は世界的に有名な街なんですよね。結局のことろ、家電量販店では、やっぱり底力としては敵わないかもしれません。通販で安いお店は、今でも大抵あのあたりにお店がありますもの。今回の52インチキテレビも、秋葉原のショップからの通販でした。
そう言えば今、このブログを書くのに使ってるパソコンも、やはり秋葉原にパーツを買いに行って、自分で組み立てたものです。
ブラブラしに行ったついでに、献血をしたこともありました。
美味しいトンカツ屋さんもあってね。
上野に遊びに行ったついでも、アメ横を抜けて御徒町、そしてそのまま秋葉原まで、とよく歩いたものです。あの辺りは、大好きな、賑やかな、下町ですから。
・・・と、つらつらと僕の秋葉原の思い出を語りましたが。
事件がありましたね、あそこで。
ニュースを見ても、僕にはどこだかが、はっきりとわかります。イメージできます。あの交差点。昔あそこの角のビルに友人が勤めてて、何度か行った事もありますし。
コンサートやイベントの業界に入りたかったという女子学生さん。映画が好きだったという若者。写真が趣味で、海外に行ったりしてはパソコンに画像を溜めていたという元歯医者さん。今僕が教えてる学生達と同じ歳の子も犠牲になりました。他にも、沢山の人が。
そして、その家族に、友達に、知り合いに、あの日通りがかっただけの人達の心にだって、一生消える事の無い深い傷を負わせた、許しがたい犯行。
あまりの事に、皆まだ現実として受け入れられないのか、遺族の方々や友人たちの、比較的落ち着いたコメントが報道される中、
「・・・よくもおれの子供を殺しやがったな」というコメントを残されたお父さんがいました。
自分に置き換えてみたら(僕には子供はおりませんので、想像するしかありませんが)、このコメントに本当に、心から同調できます。
許せない、とか、信じられない、とか怖いね、とか。こういう事件の時にはいつも思うのですが、もはやそんな次元の話ではないと思います。
今回は犯人が生きて捕まったので、これから色々と取調べられて、動機は、とか、原因はどこにあったのか、とかが明らかになってくるでしょう。
しかしまたこれで「犯人はこんな不幸な生い立ちなので、情状酌量の・・・」なんて言い出す弁護士が出てきて、煮え切らない裁判が行われでもしたら。僕が被害者の親なら、「もういいよ、僕がこの手で・・・」と、正直なところ思うと思います。たとえそれが、社会的には間違った気持ちだとしても。
勿論、この事件だけではありません。しかし、人を殺し、しかも「誰でもよかった」というのは、虫にも劣ります。蚊だって刺す人を選びます。
自分勝手な考えも、ここまでくると何をかいわんや。想像力の欠如、なんていう生易しい言葉では、とても表現しきれないですよ。キレやすかった、とか、挫折があった、とか、見栄っ張りだったとか、ナルシストだったとか。そんな人、いくらでもいますよね。みんな、どんな人だって、心に闇を持っているんです。でも、それでもみんな頑張って生きているんです。歯を食いしばって、生きているんです。頑張ってない人なんて、一人もいないんですよ。
人には、どんなに辛くても、踏み越えてはいけない一線というのがありますよね。
これは、人間性の問題だと思います。・・・その意味において、はっきり言えば、彼は、もはや人ではなくなってしまっていた。人間性を失ってしまっていた。「ひとでなし」、という言葉がありますが、まさに「人であって、人で無し」。
ただ・・・。
誰か、彼の消えかかった心の灯りに気づいてあげられる人は、いなかったのでしょうか。
パチパチと頼りない音を立てながら、点いたり消えたりしている蛍光灯を見ていたら、なんだかその音が、悲鳴に聞こえてきました。
被害者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、残されたご家族、関係者の方々の心の灯りが、どうかどうか、消えることのありませんように。
そして僕達は、この事件の記憶を、風化させてしまわないようにしないといけません。
そうだ。
さっき、出先で今日の夕刊を読んだんですが。犯人の写真、ピースサインをしているものが使われてました。写真が他に無かったとしても、今の時代、いくらでも修正は効くはずです。一面の記事を読んだ後に、社会面であの写真を見た瞬間、凍りつきました。新聞社の、配慮の無さに。殺人事件の犯人がピースサインをしている写真なんて、僕は新聞では初めて見た気がします。
今までもちょっとズレてるな、と思っていた朝○新聞社ですが、本当にもう少し考えた方がいいと思います(・・・他の新聞は見てないので、ちょっと先走り気味に特定の会社だけに毒を吐いてしまいましたが、それでも)。
ではー。