今日は暖かでしたね。
起きた朝はそれなりに寒かったので、コートを着て行きましたが、途中暑くて「ええぃ、いっそ裸に」とまで思いましたが、捕まるのでやめましたー。
でも、ほんとポカポカ妖気でしたねー。
さて、そんなわけで、久しぶりにせんせーした帰りに、ちょと寄り道。
この、「無印良品」というブランド(・・・でいいのかな。もともと、「アンチブランド」がその発祥精神なのに(笑))が出来たのは、1980年の冬。まさに今と同じ12月のことでした。
今から28年前といいますと。僕は・・・えー、12歳(←小学6年生。はい、あったんですよ、僕にもそんな頃がね、普通にね(笑))。
1983年、初めて青山にお店がオープン。その年だったかは分からないけれど、この青山店には行った記憶がありますし、他のお店にも結構行った気がします。
なんかこの感じが珍しかったし、好きでもありました。
あ、といって、別に家中、部屋中が無印な感じ、というわけでは全然ありませんのです。シンプルにしてはいるつもりですが、それなりに色々とモノはあるわけで。
でも、今見回してみますと、そんな中にもこのお店でお買い上げしたものが結構ありました。アレも、アレも、あ、コレもそうだし。
無印の良いところは、無印な所。
でも、無印のちょっと寂しいところは、・・・無印な所。
勿論、今やこのショップにはこのショップのしるしがあると思います。一目見て「あ、無印っぽいね」と思ってしまうくらいに。
では、本当に「しるしが無い」、というのはどういうことなんだろう。
先日、友人のミュージシャンと、こんな話になりました。
どこで仕事をしてても(これは音楽に限らずきっとどんな仕事であっても)、「どこかに自分のしるしを残したい」、って思うよね、って。それが意図的なものではなくとも、やっぱり、きっと、結果的にそうなっているんだと思います。人間って、そういうもんだよね、って。
例えば・・・こうして書いている僕の文だってそう。そして、皆さんが残して下さるコメントだってそう。もう、その人なんですよね。
人それぞれ、個性があり、しるしがあります。
人は、誰しも無印ではなく、無印でなんて、どうやっても、いられないんですよね。
いや、それって、すごい事で、素晴らしいことなんだよな、と思うわけです・・・と、
・・・明太子パスタの下準備をしながら(←またか(笑))考えてました。
さて、作りますか、食べますか(←それカレー)。
ではー。