昭和36年~37年頃だと記憶しているが、当時N小学校教頭で僻地勤務が長いT先生 (後に校長昇任) 本当か、冗談か、判断できないほど話し上手で何を喋っても面白い、受け持たれた生徒たちも、さぞ楽しく勉強できたであろう。
昭和30年代の山間僻地と言えば、冬季は、半年近く雪の中に閉ざされ、徒歩以外に交通手段も無く、どんなに僻地でも、人が生活している限り、学校(先生)と駐在所(おまわりさん)は、あるといわれた時代。
石炭ストーブを囲みながらT先生が笑わせた僻地での体験話の一こま。
○新聞は一日から二日遅れで配達される。
○魚の絵を書かせたら目玉を赤く塗った生徒がいた。
○青い目の魚は、気持ちが悪くて食べない者もいた。
○魚は海で生活しているから「しょっぱい」と思っている。
今では想像のできない素朴な話題のあった当時の僻地も、少子化、高齢化、過疎化、限界集落化など明るい言葉が見当たらない。