数年前33回忌法要を済ませた義母、一言でいえば3人の娘の婿(爺を含む)、2人の息子の嫁を大切にした人で、晩年は孫の顔を見に交互に泊まり歩くのが楽しみだったようで、「老いては子に従え」と言う諺どおりに過ごした人でも。
昭和34年頃、同じ職員アパーの2階に住むT氏、酒を飲んで帰宅の際は、決まって3階の我が家のドアをノック、施錠していない時は、玄関に入り込んだり、普段は、栄養豊かだった奥方に忠実な恐妻組合員のお一人であったが、風聞では現役時代の早めに石の帽子をかぶられたとか。
爺が職場の末席に座っていた頃の先輩と言えば、大部分が大正生まれ、偶然だろうが、ユニークなご仁に多く出会ったように思える、野球で振ったバットにボールが当たり3塁に向かって走ったI氏、調理用のボールで下着の洗濯をするH氏、就寝時には柱時計を止めてしまうO氏、あれから50年以上になるが、いずれも見ることも聞くことも無い話し。