kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

モダニズム建築の代表作として知られていた「大阪中央郵便局と旧局舎跡」

2023年04月22日 | 大阪
大阪中央郵便局 旧局舎

旧局舎は1939年(昭和14年)に完成。
写真に撮っていましたが見つからず、写真はお借りしました。

当時の逓信省の建築家「吉田鉄郎」の設計によって
モダニズム建築の代表作として知られていた建物でした。


2015年2月 撮

大阪市北区梅田の旧局舎の建て替で、近くの 大阪駅前第1ビルに移転していた大阪中央郵便局 が、跡地に仮局舎としてありました。


跡地には、イベント広場「西梅田スクエア」が整備され
仮局舎はその一角にありました。

2023年4月16日 撮

大阪駅前に行くと、旧局舎跡地に平成27年末から着工していた新しい建物「KITTE大阪(JPタワー大阪)」が見えました。

JR西日本は、マリオットと提携するのは初めてで
JR大阪駅西側の旧大阪中央郵便局跡地で建設中の高層複合ビル(地上39階、地下3階)に、米マリオット・インターナショナルの高級ホテル「オートグラフ コレクション ホテル」が、2024年7月の開業を目指しています。

マリオットが展開するブランドでは、上から2番目の「プレミアム」に位置し、約40㎡を中心とした418の客室がビルの30~38階に入るほか、宴会場やレストランもあるそうです。


「旧局舎の保存箇所」2020年11月

解体に反発する専門家らが国に対し、旧局舎を重要文化財に指定するよう訴訟を大阪地裁に起こしていたのですが、却下され惜しくも解体されましたが・・・(写真はお借りしました。)

保存運動の結果
旧局舎の一部が残されることになり、かつてのロビー部分を含む玄関廻りの3階まで(幅18m×奥行き18m×高さ16m)でした。

大阪駅周辺では25年の大阪・関西万博に合わせて、米ヒルトンの最上級ブランドなどホテルの開業が相次いで予定されています。
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郵便制度の発祥地の「駅逓司(えきていし)大阪郵便役所跡」

2023年04月21日 | 大阪
昨日は郵便の「ご不在等連絡票」からQRコードを作成の記事に
なりましたが、今日は・・・

日銀大阪店旧舘前「駅逓司 大阪郵便役所跡」

いま郵便物が家に届くのは当たりまえのように思っていますが
この場所が郵便制度の発祥地で大阪中央郵便局の草分けです。

【碑 文】には
明治4年わが国で初めての新式郵便がおこなわれたとき
市内の書状はここに設けられた郵便役所へ集められ
当居までの各地に発送された。

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江戸時代の通信は
もっぱら伝馬と飛脚に頼っていましたが費用が高く日数もかかるので、明治政府は郵便官営に踏み切り、租税権正兼駅逓権正の前島密に命じて飛脚制度の改革に乗り出したそうです。

明治4年(1871)月1日に
東京~大阪間の郵便業務が開始され、大阪では中之島の土佐堀川に面した 「島原藩蔵屋敷」 に郵便役所が置かれました。

ポストに投げ込まれた手紙は
初日から3日間で53通だったそうですが明治10年には大阪郵便局と改称して、もとの近畿郵政局に移っています。東京までの所要時間は約75時間だったそうです。 (大阪市役所HPより)

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日本銀行大阪支店  旧舘

日銀大阪支店 旧舘は、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島にあり
御堂筋をはさんで大阪市役所の向かい(西側)に位置します。

明治36年(1903年)に建設された「ネオ・ルネッサンス様式」と呼ばれる石造りの重厚感ある建物レトロな外観で、設計者は19世紀末から20世紀前半にかけて、赤レンガ造りの東京駅丸の内駅舎の設計を手がけたことで有名な、建築家の「辰野金吾氏」です。
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堺・南宗寺史に書かれていた「徳川家康のお墓」

2023年03月15日 | 大阪
いま松本潤さん主演で、徳川家康の生涯を描く大河ドラマが放送されていますが、徳川家康で思い出されるのは・・・2016年にテレビを見ていて行きたいと思ったのは、徳川家康のお墓があるという堺の「南宗寺」です。

2017年2月

南宗寺へは、チンチン電車「御陵前」で降りました。

駅名の「御陵前」は、仁徳天皇陵へは当駅から東へ
徒歩20分で開業時は最寄駅だったそうです。

南宗寺 総門

大林和尚揮毫の「龍興山」の 扁額が架かっています。

甘露門(山門)国指定重要文化財

三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺の建物で
棟札より、1647年の建立で「甘露門」の額が掛かっています。

三好長慶

父(元長)の追善の為に南宗寺を創設
三好一族の供養塔があります。

信長よりも20数年前に堺を拠点に畿内など13ヵ国を治め
堺の町を三好一族によって繁栄をもたらせました。


南宗寺史には



「大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れた家安が駕籠で逃げる途中、大坂方の猛将・後藤又兵衛の槍に突かれました。(駕籠の屋根部分に突かれた跡) 家康はそのまま堺まで落ち延びたが、駕籠を開けるとすでに事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されています。


「座雲亭」の下層は茶席になっており、元和9年(1623)7月徳川秀忠、同8月家光の、両将軍の御成の旨を記した板額が掛かっているそうです。


三好一族の供養塔の前に
開山堂跡があり、徳川家康の墓がありました。

右側の石板には
「無名の塔/家康サン鍩ス/ 観自在」と刻まれています。
(写真禁止なのでテレビより)

唐門 (国指定重要文化財)

詳細様式から、十七世紀中頃のものと見られています。


瓦には「葵」の紋があります。

椿の井戸

利休屋敷で使われていた「椿の井戸」は
椿の炭を底に沈めていたといわれています。

南宗寺境内には
茶の湯を大成させた利休一門の供養塔、隣には師匠の武野 紹鴎(たけの じょうおう)の供養塔、当時互いに切磋琢磨して茶の湯の発展に尽くした津田一門・半井家一門のお墓があります。


文政年間、消失したものを
明治初年に牧宗和尚(ぼくしゅおしょう)が再建。

●仏殿(国指定重要文化財)の天井には
 狩野信政筆による 八方睨 みの竜が描かれています。

●国指定の名勝「枯山水の庭」には
 那智黒石の一角に紹興酒の瓶を伏せたものと言われる
 澄んだ音色を奏でる水琴窟があります。

徳川家康が、後藤又兵衛の刃に倒れ
寺に祀られたという伝説の南宗寺でした。
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高槻市・高槻城公園芸術文化劇場 2023年3月オープン

2023年01月29日 | 大阪
1月15日にしめ縄を「とんど焼」へ持って行った帰りに
工事中の「高槻城公園芸術文化劇場」を見てきました。


「高槻城公園芸術文化劇場」

2023年3月にオープンです。(写真はお借りしました。)


右端に見えるのが「野見神社」です。


東側から見ていきます。


高槻城公園なので、お堀をイメージしていますね。


写真の左側が正面玄関のようですが
数台のトラックが入っていたので撮るのを控えました。


写真右が工事中の正面入り口、東南角から撮りました。
南側の道へ進みます。


南側の道から入る階段です。
正面玄関の道へ繋がっています。


建物南側の入口のようです。


ここにも石垣が・・・


地下への入り口です。


南西の角から見ています。
公園の北側は、野見神社と野見神社から出た道になっています。


● 南館 トリシマホール 

北摂最大級で、音楽公演、舞台公演など多彩な用途に使用可能なホールです。壁面から天井まで木製のキューブに覆われた特徴的なデザインで、高い音響効果と非日常の空間を実現しています。(写真はお借りしました。)

音響反射板形式
開口18m・高さ13m・奥行12m(舞台框〜正面反射板)

舞台から見ると

1,505席
1階席 固定席975席 車椅子席 8席
2階席 固定席522席 親子室 2室

● 南館 太陽ファルマテックホール(205席)

壁面を囲む木ルーバー
開口10m・ 高さ10.8m・奥行5.9m(舞台框~ホリゾント幕)

舞台から見ると

205席
固定席 203席 車椅子席 2席
立見スペース(バルコニー)  親子室 1室
サイドバルコニーからは公園の緑が見えます。


大阪フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会

イベントは山盛りですが【完売】状態です。
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茨木市・総持寺「山陰流庖丁式(やまかげりゅう ほうちょうしき)」2010年4月

2021年04月13日 | 大阪
藤原山蔭卿の御宝前で
毎年4月18日に伝統の「山蔭琉包丁式」が行われます。

※開山藤原山蔭卿は、本尊像立に際し千日間にわたり仏師に料理を
  御供えした縁により我が国包丁道の祖として祀られています。

★~ 総持寺 「山陰流庖丁式」 ~★
2010年4月18日(日) 総持寺「山陰流庖丁式」


五刀の鯉
庖丁士:塚原 巨司    後見人:高吉 政彦 ・ 藤原   潤

山陰流庖丁式  2010年4月18日
第58代、光孝天皇の頃、四条山陰中納言藤原政朝郷がそれまでの
宮中料理の諸作法を一つの方式に整えられ四条流庖丁式と命名されました。

その始祖である山陰中納言を日本料理の祖神として崇敬するところから山陰流が誕生しました。 古式によりますと来賓の前に俎(まないた)を持ち出して主人、又は調理に秀でた物が右手に庖丁、左手に真名箸を持ち、魚には手を触れずに目の前で調理する事を庖丁式と言い、これを饗応の第一としたものでした。

山蔭中納言が創建した「総持寺」(西国二十二番札所)が
大阪府茨木市にあり、当時奥の院にその御霊がまつられている処から
ここに庖丁式を修行する道場があります。

現在では京繁協友会の修行を得たものが毎年、山蔭公の命日である四月十八日の御祭儀式に庖丁式を奉納し、その免許の許し状が当時より授与されています。
(総持寺のご住職様から頂いた資料より抜粋させて頂きました。)

※現在行われている包丁式の形体は室町時代からとも伝えられています。

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ご住職様のお言葉から
魚も牛も豚も、お野菜も命があるのです。殺生がなければ生きていけませんので、その生きている命を頂いているのですから感謝しましょう。ゴキブリを殺す時には「ゴメンと言いましょう。」(^^ゞ
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大阪・造幣局の通り抜け「2015年 夜桜見物」

2021年03月25日 | 大阪
福島県で3月25日から始まる聖火リレーは、浜通りを走るコースで
サッカーの聖地・Jヴィレッジからスタートして、27日までの3日間行われます。

今朝のニュースで「これまでにない急上昇カーブの感染者数」がありました。
東京は3月の最多420人、大阪では宣言解除後の最多262人です。

2021年「造幣局の通り抜け」が気になって検索すると
※ 2021年の開催は郵便による事前申込制。
(事前申込期間:2020 年12月9日(水)~2021年3年1月8日(金)(消印有効)
事前申込は終わってました・・・(^^ゞ


造幣局通り抜け 2015年4月12日 日曜日

造幣局南門(通り抜けの入口)を入ったすぐのところです。
「立ち止まらないで、前に進んでください。」の声が聞こえてきます。


祇王寺祇女桜


珍しい桜「大手毬」が満開です。(^з^)-☆


姫路城もそうでしたが、外国からの観光客がとても多いです。


夜桜ならではですね。

造幣博物館

明治44年(1911年)に建てられた火力発電所を、昔の面影を残す外壁の赤いレンガ壁に改装したものです。内外の貨幣をはじめ、大判・小判や勲章・オリンピック入賞メダルなどの金属工芸品等、約4,000点が展示されています。

「2015年の花 一葉 (いちよう)」

造幣局では、数多くの桜の品種から一種を毎年「今年の花」として選びます。
「一葉」は 通り抜け最後の北門出口の手前と、 その左側にありました。


「一葉」は、東京荒川堤にあった里桜で特徴の花芯から1本の葉化した
雌しべが出ていることから「一葉」と呼ばれているそうです。
花は淡紅色で、花弁数は25枚程あり満開時には白味がかります。


通り抜けは、桜ノ宮橋の見える北門までですが
北門(通り抜け出口)を出ないで桜門から公園に・・・


通り抜けの楽しみの一つになっている
美味しそうなサザエとおでんにビールです。


天満橋まで、沢山の人で賑わってました。

2021年の花「楊貴妃(ようきひ)」

江戸時代初期から名前を知られている名木です。写真はお借りしました。

サトザクラの仲間で、花色は淡紅色でとても綺麗です。
八重咲きで花弁の先端に細かい切れ込みが入るのが特徴です。

今年は、事前申込の人だけの「造幣局の通り抜け」になるので
雰囲気をチョッと味わってみたい気分になり再投稿します。(^^ゞ
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大阪・住吉さんの「御田植神事(おたうえしんじ)」

2020年06月20日 | 大阪
最近、地震が多くて気になっていますが、原因不明の異臭を訴える119番通報が
三浦半島で謎の異臭 「南海トラフ地震の予兆か」の記事は・・・ こちら

「 2020年 住吉大社御田植神事」は、新型コロナウイルス感染防止のため
神職と関係者のみで神事を斎行し、行事は開催中止でした。
 
住吉大社御田植神事 2010年6月14日

大阪の住吉さんで開催される
五穀豊穣にまつわる神聖な行事「御田植神事」です。

「住吉さん」では、七五三などのお参りはさせて頂いてましたが
10年前に初めて「御田植神事」 に行ってきました。

「御田植神事」は、 当時と同じ格式を守っているお祭りとして
儀式を略することなく、重要無形民俗文化財に指定されています。

御田植神事(おたうえしんじ)は
神功皇后が田んぼを設け、御田を作らせたのが始まりだといわれています。
そして、母なる大地に植付される苗には、強力な穀霊が宿るものとして考えられ、田植えに際して音楽を奏で、歌をうたい踊りや舞を演じるのは、田や植付する苗に宿る穀物の力を増やして、物が豊かに育ち稲穂が十分に実る秋を迎えるための厳かな儀式です。

八乙女の田舞 (たまい) から始まり、神田代舞 (みとしろまい) 、鎧兜をまとった武者による風流武者行事、赤白に分かれて元気な男の子達による源平合戦が行われ、かわいい女の子達の「田植踊り」「住吉踊り」が奉納され、お田植えのお祭が無事に終わります。

私が参加しているハイキングと歴史クラブは、7月も活動中止のようです。
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“あべの歩道橋” は 「a」 のデザイン

2020年06月16日 | 大阪
大阪・阿倍野歩道橋が40年から45年が経過して老朽化が進み、阿倍野再開発関連事業に伴い、平成21年10月15日から架け替える工事が始まりました。

2009年10月18日

チンチン電車の乗り口に通じる陸橋から
南方向の阿倍野方面を撮りました。

2010年10月11日

この時は、まだ歩道橋があります。

車の中から後ろ向きに撮った阿倍野方面、チンチン電車の乗り場が見えます。
車の中から撮ったので古い写真に見えますが、10月11日に撮った写真です。

西に(写真右方向)少し見えるのは、工事中の「あべの Q’s MALL」
東に(写真左方向)あった「近鉄百貨店」の姿がありません!
 ※ 近鉄百貨店跡に、いま「あべのハルカス」が建っています。

2011年10月

1年後には、歩道橋が撤去されています。

阪堺線のチンチン電車の辺りはまだ工事中でしたが
「あべの Q’s MALL」 はできていました。

地下道にかけられていた写真

歩道橋は工事のため取り外されているので
地下道を利用すると、この写真には懐かしい近鉄百貨店がありました。


地下道を歩いていると 「Q’s MALL」 地下1階の入口があり
中央に見えているエスカレーターを上がると・・・


「Q’s MALL」 1階の入口でした。

2013年4月

2年後の平成25年4月24日(水)14時から、“あべの” の頭文字 「a」 を
イメージした歩道橋が、全面利用できることになりました。

“あべの歩道橋”は、あべのハルカスに通じる歩道橋なので
阿倍野に来られることがあれば「a」 の歩道橋を歩いて来て下さい。
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大阪 天王寺・永代供養墓の元祖「お骨仏のお寺 一心寺さん」

2020年01月30日 | 大阪
どこのお寺でも、最近は永代供養墓があるようになりましたが
その永代供養墓の元祖だといわれるのが「一心寺(いっしんじ)さん」
遺骨でつくった「納骨堂のお骨仏(おこつぼとけ)」です。

その、一心寺さんが「納骨の受け入れを制限します」の新聞広告を出しました。
これまで「1万円から」という格安の費用で納骨を受けてきたが、宅配便で遺骨を勝手に送りつけてくる遺族もおり『送骨』は送り返しているが、納骨件数の急増で対応しきれなくなったそうです。

その「関西屈指の人気寺が"納骨制限"に踏み切ったワケ」の記事は・・・こちら



数年前の夏に、大阪市立美術館の帰りに「一心寺さん」へ行きたくなり
美術館の西にある美術館下のゲートから「一心寺さん」に向かいました。


突き当たりを右折(東方向)すると「一心寺坂」の名前がみえました。
少し前に天王寺七坂を歩いたばかりですが、この辺りは坂の多いところです。


ここは裏参道ですが、この時はお盆の季節だったので
お参りされる方が多いようです。


何度も来ていますが、一心寺さんの南門から入るのは初めてです。


納骨堂

一心寺さんの納骨堂には現在7体のお骨佛様がお祀りされていて、明治20年に第1体目が造立されて以来、10年ごとに開眼しているので通算では13体になるそうですが、戦前に造られた6体は残念ながら戦災で焼失したそうです。


納骨堂の横(北側)に「本堂」があります。


本堂の前で天水受けを支えている「天の邪鬼(あまのじゃく)」


本堂を正面から撮りました。
本堂の左側(南)が、納骨堂(お骨仏)になります。


山門と仁王門(仁王像は武器を持っていないそうです。)


一心寺さんは、あべのハルカスの近くにあります。

時代が変わったといっても、何でも許されるものではないと思いますが・・・
「宅配便で、お遺骨を勝手に送りつけてくる遺族」がおられるとは (~_~;)
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ナニコレ珍百景で紹介されたのは「見たことのある本物のベルリンの壁」

2019年10月07日 | 大阪
おはようございます。
昨夜(10月6日)ABCテレビ放送の「ナニコレ珍百景」で
“寺に世界の歴史を変えた壁”を見ていて・・・それは

2016年5月17日に、友人たちと「天王寺七坂」を目指して歩いた時に
天王寺駅から少し歩いた茶臼山町の「統国寺」の境内でみたことのある
東西ドイツ分断の象徴であった「本物の ベルリンの壁」でした。

その時の記事を転記します。

今日は友人達と「天王寺七坂」を目指して、天王寺に向かっていると
友人の一人が『天王寺にベルリンの壁があるそうです。』の情報が・・・


その情報によると、天王寺駅から少し歩いた茶臼山町にある
在日韓国寺院「統国寺」の境内にあるそうです。(撮影:5月17日)


山門を入って行くと、右手に信者より奉納され た東西ドイツ 分断の
象徴であったベルリンの壁の一部があります・・・

このベルリンの壁は崩壊前の大きさそのままの実物であり
写真の正面が西独側で、逆Lのかたちで東独側に建っていたそうです。


やっぱり、これは本物のベルリンの壁でした!


奥へ進むと、眼下に茶臼山が見えました。

ここは、茶臼山に行ったときに見えていた場所で
あの時は、この場所が何処だろうと気になっていた所だったのです。


ベルリンの壁の後ろに「あべのハルカス」が見えています。

ドイツ分断や冷戦の象徴となった、厚いベルリンの壁ですが・・・
壁そのものは、想像していたよりも意外なほど薄いように思いました。


写真ですが、本物の「ベルリンの壁」はどうでしたか?(^^ゞ
大阪市立美術館から近くなので、美術館に行かれた時は
ぜひ「本物のベルリンの壁」も見て来て下さい。(^^ゞ
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