(上の写真の中に、下鴨神社境内で斎王代が腰輿「(およよ)に乗ったところが撮れています)
葵祭は京都三大祭の一つで、日本の祭のうち最も優雅で古趣に富んだ王朝絵巻が繰り広げられる祭です。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬まで、すべて葵の葉で飾るようになってからのようです。
今から約1400年前の欽明天皇の567年に、風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の若日子に占わせると、賀茂の神々の祟りだと言われたので、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけて、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をすると、風雨はおさまり五穀は豊かに実って国民も安泰になったと言われています。
路頭の儀(行列)は、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が、京都御所を出発して下鴨神社へ、そして上賀茂神社に向かいますが、その道のりは約8キロです。