3月15日(月)午前0時26分頃、和歌山県北部で震度5弱の地震
3月16日(火)午前4時56分頃、茨城県で最大震度4を観測する地震がありました。
2018年(平成30年)6月18日7 時58分39秒に発生した「大阪府北部地震」
あの時に聞いた地鳴りのゴォーッが、今も忘れられません。
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3月度ハイキングで「京都・淀水路の河津桜」を楽しんだあと
スター地点に戻らずに、横道を入り淀城跡公園に向かいました。3月4日(木)
與杼神社(よどじんじゃ)span>
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京阪電車の高架下を通り過ぎると正面に見えたのは「與杼神社」でした。
祭神は、中央に豊玉姫命 (トヨタマヒメノミコト)
向かって右側に高皇産霊神 (タカミムスビノカミ)
向かって左側に速秋津姫命 (ハヤアキツヒメノミコト) の三柱です。
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與杼神社は、淀駅から西南約400mに位置する神社です。
社伝によれば
僧の千観内供が応和年間(961年~963年)に肥前国(佐賀県)佐賀郡河上村に
鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、淀大明神として勧請したのに始まる。
延喜式(901年~)第9巻「山城国乙訓郡」中に、與杼神社の名がある処から
応和年間より以前に鎮座していたと考えられています。
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與杼神社は、コースに入っていないので素通りして・・・
淀城趾公園へ向かいます。
稲葉神社
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あれ~? 淀城趾だと思っていましたが「稲葉神社」でした。
「稲葉神社」もコースに入っていませんが気になるので・・・
稲葉神社は淀城趾公園の一画で、與杼神社の南側に隣接して鎮座しています。
御祭神;祭神、稲葉正成公 (淀藩稲葉家の祖 1571~1628)
元亀2年(1571)に美濃国(岐阜県)本巣郡十七条の城主、林家に生まれ、長じて稲葉重通の娘婿となり、以後、稲葉を称した。ところが妻の死去により、明智光秀の重臣、斉藤利三の娘「福」(後の春日局)を重道の養女として迎え再婚したのが、有名な「春日局」です。
正成公は豊臣秀吉に仕え、その命により、小早川秀秋の家老となり500万石を領した。 秀吉の没後、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の功により徳川家康より感状を受け、のちに松平忠昌に仕えた。 その後、下野国(栃木県)真岡の城主となり、2万石を領したが、寛永5年(1628)江戸において没し、現龍院に葬られています。
稲葉家が淀藩主になったのは、初代正成より数えて5代目の正知の時で、享保8年(1723)下総国(千葉県)佐倉より、10万2千石で入封した。 その後明治4年(1871)16代正邦の時に廃藩を迎えるまで、稲葉家12代、148年間にわたり淀藩主でした。 境内案内板より
3月16日(火)午前4時56分頃、茨城県で最大震度4を観測する地震がありました。
2018年(平成30年)6月18日7 時58分39秒に発生した「大阪府北部地震」
あの時に聞いた地鳴りのゴォーッが、今も忘れられません。
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3月度ハイキングで「京都・淀水路の河津桜」を楽しんだあと
スター地点に戻らずに、横道を入り淀城跡公園に向かいました。3月4日(木)
與杼神社(よどじんじゃ)span>
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京阪電車の高架下を通り過ぎると正面に見えたのは「與杼神社」でした。
祭神は、中央に豊玉姫命 (トヨタマヒメノミコト)
向かって右側に高皇産霊神 (タカミムスビノカミ)
向かって左側に速秋津姫命 (ハヤアキツヒメノミコト) の三柱です。
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與杼神社は、淀駅から西南約400mに位置する神社です。
社伝によれば
僧の千観内供が応和年間(961年~963年)に肥前国(佐賀県)佐賀郡河上村に
鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、淀大明神として勧請したのに始まる。
延喜式(901年~)第9巻「山城国乙訓郡」中に、與杼神社の名がある処から
応和年間より以前に鎮座していたと考えられています。
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與杼神社は、コースに入っていないので素通りして・・・
淀城趾公園へ向かいます。
稲葉神社
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あれ~? 淀城趾だと思っていましたが「稲葉神社」でした。
「稲葉神社」もコースに入っていませんが気になるので・・・
稲葉神社は淀城趾公園の一画で、與杼神社の南側に隣接して鎮座しています。
御祭神;祭神、稲葉正成公 (淀藩稲葉家の祖 1571~1628)
元亀2年(1571)に美濃国(岐阜県)本巣郡十七条の城主、林家に生まれ、長じて稲葉重通の娘婿となり、以後、稲葉を称した。ところが妻の死去により、明智光秀の重臣、斉藤利三の娘「福」(後の春日局)を重道の養女として迎え再婚したのが、有名な「春日局」です。
正成公は豊臣秀吉に仕え、その命により、小早川秀秋の家老となり500万石を領した。 秀吉の没後、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の功により徳川家康より感状を受け、のちに松平忠昌に仕えた。 その後、下野国(栃木県)真岡の城主となり、2万石を領したが、寛永5年(1628)江戸において没し、現龍院に葬られています。
稲葉家が淀藩主になったのは、初代正成より数えて5代目の正知の時で、享保8年(1723)下総国(千葉県)佐倉より、10万2千石で入封した。 その後明治4年(1871)16代正邦の時に廃藩を迎えるまで、稲葉家12代、148年間にわたり淀藩主でした。 境内案内板より