喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

愛媛県立三崎高等学校が制作した感動の動画 「あなたは、どんな大人になりたいですか?」

2019-02-24 | 感動
 すばらしい動画ができあがった。
たくさんの人が関わった感動作品。

 私も、私の父も、子どもたちも参加。

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明るい農村  ~じいちゃん・ばあちゃん思いの孫~

2019-02-19 | 感動
 思い出に残る言葉がある。
5年前の平成26(2014)年2月18日のブログ。


 「ふるさとを生き生きと語れる若者 ~今僕がここに居る理由~」が大好評。
常に人生を前向きに生きる少年の生き方が、多くの人に感動を与えている。

 幸徳君は、考えていたとおり、間もなく三崎高校を卒業し、農家の道を歩み始める。

 そんな彼のことを平礒の人はもちろん、多くの人が気にかけ応援している。




 写真は、昨年のお盆行事である孟霊(もうりょう)の様子 。
幸徳君は、感心なことに毎年じいちゃんといっしょにこの行事に参加し、先祖の霊を敬っている。

 中央で笹の葉をみなさんから集めているのが、彼のおじいちゃんの春原おっちゃん。
年齢は、80歳になる。
黒いTシャツを着ているのが幸徳君。

 白い体操服を着ているのは、私の息子。
息子は2つ年上の幸徳君を尊敬していて、仲良し。
平礒では、2人だけの貴重な高校生。


 うちに収穫作業の手伝いに来てくれている二名津の石井のおばちゃん。
石井さんは、二名津で理髪店をしていて、幸徳君のことを次のように話している。



「幼い頃からじいちゃんに連れられて散髪に来てくれていた幸徳君が、今日も来てくれました。
卒業式に答辞を述べることになったそうで、そのために散髪に来てくれたんです。
 幸徳君、答辞を任せられるなんてすごいなー、と言うと照れながら、
だからきちんとしておかなければいけないと思い散髪をお願いしますと言ってくれました。

 幸徳君、晴れ舞台やけん、じいちゃんとばあちゃんに卒業式に来てもらわんといけんな。
と言うと、みかん取りで忙しいけん言えません、とのこと。

 本当、じいちゃん、ばあちゃん思いの感心な子です。」



 みかんの収穫は、今が最も忙しいとき。
ほとんどの農家は誰かを雇って進めているが、春原おっちゃんはおばちゃんと2人だけで重労働をこなしている。
それを充分分かっている幸徳君は、自分の晴れ舞台でさえも来てほしいと言えないのかもしれない。

 このような若者が、ふるさとをもっともっと魅力あるものにしていくだろう。

 いっしょに手をとり合い、ふるさとを盛り上げていきたい。


 あれから5年が過ぎた。
彼は今、農業後継者、ふるさとを盛り上げる若衆としてなくてはならない存在となっている。



                            岬人(はなんちゅう)

春の石手寺散策 ~四国八十八カ所51番札所でのお接待~

2019-02-17 | 感動
 心に残る思い出がある。

 5年前の平成26年(2014年)、2月14日(金)。
世の中は、バレンタインデーということでうきうきしている日。
松山で愛媛県内から集まった150人の前で、プレゼンをすることになっていた。

 道中、長浜・双海あたりでは北西の風がきびしく、護岸に打ちつけられた波しぶきがあがっていた。
そして見上げれば、山の上のあたりはうっすら雪化粧。





 プレゼン内容を巻き返しくり返し、シュミレーションし準備した。
何とも重いバレンタインデー。
 でもその甲斐あってか、本番ではあまり緊張することなく、
かえって熱くなるような場面さえあった。
 こうして何とか務めを終えることができ、肩の荷もおりた。

 その夜は、関係者といっしょに松山の夜を満喫した。
昼間の延長のような熱い時間だった。
 そのせいか、いつものように酔うことなくベッドに。
そして疲れのせいか、ぐっすり。

 翌朝は、さわやかな目ざめだった。
天気も落ち着き、プチ旅行気分を味わいに道後を散策することにした。
まず向かったのは、一度行ってみたかった「石手寺」。
 四国八十八カ所51番札所で、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さ。
それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院。

 それらに見とれていると、ひとりのおばあちゃんに声をかけられた。
「お接待、いただきませんか。」
地元のお大師さん信者のみなさんが、白装束に身をつつみ、お接待をしていた。
何とこの日は、お釈迦様の命日ということだった。
 
 せっかくなので、お接待のあられをいただき、お参りをした。
信者のみなさんは、それからもお参りに来られた多くの人に声をかけ、お接待。




 お堂の中から鉦の音色といっしょにご詠歌が聞こえてくる。
それに心ひかれたのか、一人の女性が見入っていた。
その女性におばあちゃんが何やら話しをされている。
背中には「南無大師遍照金剛」の尊い文字。
おばあちゃんの話しにうなづきながら耳を傾ける女性。
ふたりの女性の美しい光景だった。


 そんな温かい思いで、寺の隅々、回廊にいたるまで歩いた。
次に向かったのは、伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)。



 下から見上げる美しい階段。
国の重要文化財に指定されている社殿は、全国に3例しかない八幡造。
 その後、昨年の夏の火災でなくなってはいたが、一遍上人が生まれた宝厳寺にも足をのばした。

 かなり歩きお腹も減ったところで、これまた一度行ってみたかった「道後やや」のお昼をいただくことにした。



 全てを愛媛県内の地産地消にこだわりつくしたもの。
ビュッフェ形式を取り入れているのだが、デザートの柑橘だけでも
みかん、伊予柑、デコポン、はるみ、清見…など8種類ほどあった。
器は、砥部焼。

 少しずつ取って食べてもお腹いっぱい。

 心もお腹も満たされた道後散策。
前日のプレゼンのごほうびのようだった。

 私のふるさとも、このような温かい、こだわりのあるふるさとにしていきたい。 


                       岬人(はなんちゅう)


大洲シネマサンシャインでの感動 ~映画「永遠のゼロ」を観て~

2019-01-11 | 感動
 先日1月6日(日)、大洲シネマサンシャインが20年間の幕を閉じた。
いくつかの思い出がある。
5年前、2014年(平成26年)の「永遠のゼロ」を観に行った時のこともその一つ。

 以下のようなことがあった。



1月11日(土)午後2:30から、遅ればせながら話題の映画「永遠のゼロ」を息子と観に行った。
ぜひ観に行きたかった、息子に観せたかった。

 私の祖父に思いをはせる。
祖父金太郎は、終戦間近の5月、乗りこんでいた船を攻撃され海の底へ沈んでいったとされている。
そしてわだつみとなる。
 ただこれに関しては、どこで、どんな状況だったかは分かっていない。
父さえ、幼すぎて祖父のことはほとんど覚えていないという。


 家族4人で撮った唯一の写真。




 また戦地から家族に何通かの手紙や写真を送っている。





 祖父は、どんなにか残された家族のことが心残りだったことだろう。

 祖母にすれば、どんなにか帰ってきてほしかったことだろう。

 そんな状況が、映画の主人公宮部久蔵と残された妻松乃とひとり娘清子と重なって思えてならない。
映画に引きこまれながらも、常に亡き祖父金太郎と残された妻ミチエ、武久、千鶴子とを重ね合わせながら観ている自分がいた。
 若くして戦死した祖父であったが、祖父がいなければ父も私も武蔵ら子どもたちもいない。

 静かな涙がほほを伝い、流れ落ちる。
戦争により、映画「永遠のゼロ」のような物語だけではなく、亡くなった人の数だけさまざまな悲しい物語があったのだ。

 エンディング曲はサザンオールスターズの「蛍」。
それを聞きながらまた亡き祖父や祖母のことを重ね合わせていた。

 となりに座った息子はどんなことを思っただろう。
あえて聞くことはしなかった。
「お父さん、感動したなー。」
という声で充分だった。


 エンディング曲が終わり、1号館を出るとき、思いもよらない感動が待っていた。
出口へ向かう人の流れの中に、私の前を歩く2人の男女。
 1人は、杖をつき足を引きづりながら歩くご老人。
年齢は80歳をゆうに超えているように思えた。
 もう1人は、そのご老人を横で支えながら歩く60歳過ぎの女性。
たぶん娘さんだと思われる。

 娘さんとご老人の会話が感動的だった。
「若い人がこんなに観てもらえてうれしいね。」
という娘さんの声に
「そうじゃな。」
というご老人のひと言。
 きっと戦争を体験した方なのだろう。
そして生きぬいてこられた。

 頭を下げ、礼をしたくなるような気持ちになった。
「本当におつかれさまでした。ありがとうございました。」と。 

 大洲シネマサンシャインの外に出ると、
ちょうど西の空が夕日に染まっていた。
仏教でいうところの浄土がある方向。
 
 その夕日に照らされ、階段を下りていく先ほどのご老人の姿がまぶたに焼きついた。
私にとって永遠のワンシーンとなった。
                    

  岬人(はなんちゅう)

7人の侍

2018-11-16 | 感動
 私の名前は、侍を意味する。
だから侍という言葉に、昔からどこかひかれていた。

 7人の侍たちの技がすごすぎ。

   ※ 画像をフリック



ちなみにこのうち日本人は、3人。
 スラックライン(綱渡り)のくノ一、スキー、フリースタイルの3人。

 フリースタイルを演じる侍は、愛媛県大洲市出身の徳田耕太郎さん。
彼がまだ高校生の頃、お会いして、その美技を見せてもらったことがある。

 自分には、これほど何か打ちこめるようなものがあるだろうか。

 まさに「一所懸命」。

          岬人(はなんちゅう)

「せんたんビギンズ」上映会のお知らせ

2018-11-09 | 感動
 愛媛県立三崎高等学校の生徒たちと地域のみなさん、そしてプロクリエイターがつながり制作された青春映画。
「せんたんビギンズ」

 これは、いい。

佐田岬の夏の思い出。
せんたんビギンズ。
 観ないと後悔しそう。

 上映会は、
12/1(土)14:00~16:00
伊方町生涯学習センター5階ホール。




 愛媛県立三崎高等学校には、新しいものを創り出す力がある。


       岬人(はなんちゅう)

愛媛新聞記事 ~オランダ・ハーグで開かれた世界ユースサミット「One Young World」報告 ~

2018-11-08 | 感動
 11月8日(木)の愛媛新聞に、愛媛県立三崎高等学校に通う娘が掲載された。
オランダ・ハーグで開かれた世界ユースサミット「One Young World」の報告会が、三崎高校の文化祭であった。




 世界各地から集まった18歳から30歳の若者1800人のうち、高校生は、ただ一人だった。

  四国最西端の三崎高校生の娘が、世界最先端のユースサミットで感じたことは何だったのだろうか。


 佐田岬の高校生が、世界にチャレンジした軌跡。


                      岬人(はなんちゅう)

愛媛県立三崎高校文化祭の慰労会での感動

2018-11-06 | 感動
 11月4日(日)。
娘たちが通う愛媛県立三崎高等学校の文化祭があった。

 午前中は出張だったので、午後2時頃から参観。
 そのすばらしいこと、すばらしいこと。
年々、新しい趣向がこらされ、生徒主体のものになっている。

 今年は、未成年の主張や地域の人によるブースも開かれていた。




赤ジャージの詩人こと広によるインスピレーションメッセージや爬虫類喫茶など大好評だったようだ。



 娘が参加したオランダのハーグで開かれた世界ユースサミット「One Yung World」報告もよかった。






 そしてさらによかったのは、夜の慰労会。
PTA会員は少なかったが、若き先生たちの情熱がほとばしっていた。
三崎高校への熱き思いを語る人、同僚のがんばりをたたえる人など。

 校長先生をはじめ壮年の先生方の温かい眼差しや大らかさに会場となった
三崎の「たちばな旅館」は、大いに盛り上がった。

 そして会の最後頃には、
大学進学を目指す生徒の志願書作成を指導していた先生が、遅れて来られた。
本当に頭が下がる思いだ。



 その後、ある先生から
「〇〇先生は、文化祭のあと片づけがあって参加できなかったので、慰労してあげましょう。
それではみなさん、保内の敬に行きましょう。」
という声があがり、2次会へと移っていった。


 何というチームワークの良さ。
四国最西端、愛媛県立三崎高等学校の先生方のチームワークは、ハンパないって。

 こんな先生方に教えてもらえる生徒は、本当に幸せだ。
三崎高校には、情熱と愛がある。


          岬人(はなんちゅう)


よろこびのうた 【坊ちゃん劇場第13作「第九」アジア初演100周年記念】

2018-10-31 | 感動
 坊ちゃん劇場にミュージカルを観に行った。
よろこびのうた 第13作「第九」アジア初演100周年記念。



 この物語は、徳島県において、日本で初めてベートーヴェンの第九「歓喜の歌」が歌われた史実を元に、
ドイツ人俘虜と日本人との交流、葛藤、対立、和解を描いた。
現在に通じる愛と平和のエンターテイメント。

 場所は、第1次世界大戦中の徳島、「板東俘虜収容所」には、
1000名近いドイツ人俘虜が収容されていた。

 松江豊寿所長は、彼らを人道的に扱う。
これはとても有名な史実。

 途中、観ていて涙する場面が何回かあった。

 歴史をひも解くと感動がよみがえる。


         岬人(はなんちゅう)

「One Young World in Hague」 世界ユースサミットのハイライト

2018-10-26 | 感動
愛媛県立三崎高等学校3年の娘が参加した「One Young World」
世界ユースサミットをふり返って。

 感動の4日間。

 何かが、変わってきそうだ。


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          岬人(はなんちゅう)
 

One Young Worldのよき理解者だった 元国連事務総長、Kofi Annan(アナン)の思い

2018-10-20 | 感動
 元国連事務総長、Kofi Annan(アナン)は、One Young Worldのよき理解者だった。

 昨年は、若者たちへの期待をこめて、持続可能な世界への思いを語った。
 
 今年もぜひ、と願っていたが、8月に亡くなった。

ぜひ聞いてみたい。  ※画像をクリック





           岬人(はなんちゅう)

「Do They Know It's Christmas?」 ボブ・ゲルドフ  ~エチオピアを救おう~

2018-10-20 | 感動
 バンド・エイド (Band Aid) は、イギリスとアイルランドのロック・ポップス界のスーパースターが
集まって結成されたチャリティー・プロジェクト。

 1984年、エチオピアで起こった飢餓を受け、発起人のボブ・ゲルドフと
ミッジ・ユーロにより書かれた「Do They Know It's Christmas?」

 有名な曲だ。

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           岬人(はなんちゅう)


One Young World 2018 The HagueでBob Galdof(ボブ・ゲルドフ)が語ったこと

2018-10-20 | 感動
 ボブ・ゲルドフは、ナイト勲爵士であり、アイルランドのミュージシャン、作曲家、俳優、政治活動家。
 
そしてブームタウン・ラッツのボーカリスト。

 また、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロが発起人となり結成されたバンド・エイド (Band Aid) は、
イギリスとアイルランドのロック・ポップス界のスーパースターが集まって結成されたチャリティー・プロジェクト。

 1984年、エチオピアで起こった飢餓を受け、ボブによって書かれた「Do They Know It's Christmas?」が有名。


 


                岬人(はなんちゅう)