3月7・8日と愛媛県では、県立高校一般入試が行われた。
中学3年生にとっては、自分の進路を決める大きな節目。
太宰治の『正義と微笑』という作品の中で黒田先生が次のように語っている。
「人をわずか1・2時間の中で評価するのは、神様のなせる業だ。
神でもないのにそんなことをする試験官は地獄に落ちるだろう。」
なんで勉強しないといけないのだろうか?
大人になって役に立つから。
試験のために勉強しないといけないのか。
こんな思いは、誰でも学生の頃、一度は考えたことがあるだろう。
これに対する答えとして、主人公(学生)が回想する、「黒田先生」の別れ際の言葉がグッとくる。
「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。
勉強というものは、いいものだ。
代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。
植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強しておかなければならん。
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。
何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることでなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ。
学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、必ずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。」
大事なのは、(必ずしも役に立つとは限らない)勉強の過程において「カルチベート」され、心を広く持つ、
つまり愛するということを知ること。
そして一生懸命に勉強して人格を磨き、自分勝手なエゴイストにならないようにしないといけない。
「こんなこと勉強して何の役に立つの? つまらん」などと思うのではなく、
「なにそれ面白そう」と感じる心、つまり好奇心が大事なのだ。
好奇心をもって生きていくために、勉強が大切なのだ。
好奇心多き人生は、豊かな人生だ。
岬人(はなんちゅう)