喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

嗚呼 釜木(かまぎ)小学校  ~さようなら母校~

2016-06-07 | 教育
2011-03-25 | ブログ


 今日、すごいものを手にしました。

 私の母校、釜木小学校。
3年間通い、その後二名津小学校に統合されました。
 歳を取ってもあの幼き日の思い出は残っていて、
たまに哀愁にふけるのです。

 その釜木小学校の閉校に際して、
当時の校長先生が書かれた冊子を見せてもらったのです。

 紹介します。


『 三崎町立釜木小学校の閉校に際して
                   校長  松坂 末広

 序
 昭和52年3月31日をもって釜木小学校を閉じることになりました。
 4月1日からは、二名津小学校に吸収合併し、97年の歴史をとじることになったわけです。
 
 科学技術の進歩と経済の高度成長による国民生活の動向は、
都市集中型となりました。

 反動的に校下の釜木・平礒地区では過疎化がすすみ、昭和34年の児童数152名を擁した本校も、
ついに在籍児童25名に減少してしまいました。
 
 教育もまた近代化がすすみ、教育機器の導入による学習指導法の改善、
集団学習での社会性・連帯感の育成が強く望まれることになりました。

 そのなかにあって、年々減少する児童数の推移を憂慮する父母ならびに教育関係者は、
数年前から学校統合の問題について検討を重ねてきたのであります。
 
 ここに至り、町教育委員会は大所高所より統合を決断し、
昭和51年12月25日、町議会もこれを認めて三崎町立学校設置条例を改定しました。


 
 続く

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