年の瀬もせまり、少しずつ掃除を始めている。
そして年末には、大掃除となる。
ある修行僧が、「一番つらい修行はなんですか」と聞かれたときに、以下のように答えた。
「私たち修行僧には掃除の担当が決められていて、ある人はこの廊下、ある人はこのお堂というように、割り当てられています。
しかし、その掃除を見に来る人、チェックしに来る人はいないんです。
その廊下は丸1日使われないこともあるし、誰が見てもきれいで、今日掃除をしなくても、誰にもわからない。
つまり、さぼっても手を抜いてもよいわけです。
掃除していないことが上司や先輩にわかったとしても、誰も何も言いません。
怠けてもかまわない。そういうときの“怠け心”と戦うことが、私にとっては一番つらいことです。
誰かが管理し、見に来る、チェックしに来る、怒鳴ってくれる、というシステムのほうが、ずっと楽なんです。
人が見ていなくても“仏は見ている”。
でも、人間ですから“怠け心”や“ごまかし心”がいつも立ち上がってきます。
でも、仏さまは見ています。
この心の葛藤、自分との戦いが、自分にとっては最もつらい修行です。」
日々の暮らしは、生き方のこと。
少しずつでも、すてきな生き方をしていきたい。
岬人(はなんちゅう)
そして年末には、大掃除となる。
ある修行僧が、「一番つらい修行はなんですか」と聞かれたときに、以下のように答えた。
「私たち修行僧には掃除の担当が決められていて、ある人はこの廊下、ある人はこのお堂というように、割り当てられています。
しかし、その掃除を見に来る人、チェックしに来る人はいないんです。
その廊下は丸1日使われないこともあるし、誰が見てもきれいで、今日掃除をしなくても、誰にもわからない。
つまり、さぼっても手を抜いてもよいわけです。
掃除していないことが上司や先輩にわかったとしても、誰も何も言いません。
怠けてもかまわない。そういうときの“怠け心”と戦うことが、私にとっては一番つらいことです。
誰かが管理し、見に来る、チェックしに来る、怒鳴ってくれる、というシステムのほうが、ずっと楽なんです。
人が見ていなくても“仏は見ている”。
でも、人間ですから“怠け心”や“ごまかし心”がいつも立ち上がってきます。
でも、仏さまは見ています。
この心の葛藤、自分との戦いが、自分にとっては最もつらい修行です。」
日々の暮らしは、生き方のこと。
少しずつでも、すてきな生き方をしていきたい。
岬人(はなんちゅう)
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