僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

誇るべき後輩たち

2007-06-15 | Weblog

いつも俺は周りの人達に恵まれてると思うねんけど、その中でも特に後輩には
尊敬すべき人たちが多い。

次女の結婚報告とお世話になったお礼を言うために、次女の小さい頃からを
知ってくれている友知人、先輩後輩にメールを一斉送信したら、ありがたいこ
とに、皆丁寧に祝辞をくれたり、わざわざお祝いに家に来てくれたり、と次々
にコンタクトあった。今日はその中の何人かの後輩達のことを紹介したいと思
います。

ラグビーの後輩であるSは、若い頃から海外、特にアメリカに憧れていて、高
校を卒業後すぐに単身カナダに渡り、牧場やレストランで働きながら語学を
習得。数年してから帰国した時にはなんや国連に勤めているという才色兼備
な女性を連れて帰ってきよった。
ちょっと横道に逸れるが、
この女性、Maryという。その後輩とMaryが家に遊び
にきた時に「趣味は何ですか?」と聞いたことがある。そしたら彼女の答え。
「Yuki(後輩のあだ名)を愛することです」やて。ったく、アホらしくなるような話や
ね。まぁその話は余談やけど、そのYukiは、
そういう素晴らしい彼女を連れて
帰ってきてしばらくの間日本で色々な仕事をしてたみたいやけど、この間の話
では、2~3ヶ月後にニューヨークに移住することが決まったという。彼女が一
緒なのかどうかは近々会うときに聞くつもりやけど、いずれにしても、昔からの、
いつかアメリカに住みたい、という夢をついに実現しよる訳で、もうただただ尊
敬する、としか言えない。ほんまに大した奴やと思う。

次に、前の会社の後輩であるMは、音楽業界に進みたい、といって、俺より
5~6年前に会社を辞めた。それからしばらくの間PAの世界で下積みを重ね
て、数年前には個人事業としてM音響を設立。こちらもこないだ祝辞をくれた
時、「この間法人化し、長岡京市に事務所を構えました」という。
彼とのエピソードがひとつある。彼の下積み時代、俺が親戚の結婚披露宴に
出席してたら何やら後ろから俺に声をかける人がいる。誰かと思って振り向い
たらそこにMがいた。その頃は披露宴で流す曲をカセットで再生するだけの単
純な仕事しかさせてもらえてなかったんやね。
その彼が苦節10数年、株式会社を設立し社長になった。地道に真面目に
努力を重ねたら報われるという当たり前のことがとんでもなく難しい今の日本で、
これもただただ頭が下がる思いがする。

まだまだいる。俺の友達の弟であるH・K。彼は友達の弟やし、結婚して伏見
に住んでいる
ので、それこそ滅多に会うことなんかない。年賀状のやり取りはあ
るもののたぶん3~4年は会ってなかったやろう。その彼がこないだわざわざ家に
お祝いを持ってきてくれた。
これじゃあ、まるで俺がメールで祝儀を催促したみた
いになってしまう
ので、きてくれた時俺か嫁のどっちかがいたら、ほんとに気持ち
だけで十分
なので、そんなのは持って帰ってくれ、と言えたのに、たまたま俺と
嫁がいない時にきて、おふくろに祝いを預けてくれていたのでどうしようもなく、
それは結局好意に甘えさせていただくことにしたんやけど。 
その彼は自分の子供さんが小さい頃の病気でそれは苦しんでいた。それでも
夫婦で子供に少しづつ運動をさせ、なんとか子供が健康になるようにと地道
な努力を続けてきた結果、今その子供さんはテニスで全国大会に出るまでに
っている。
先の見えない病気と闘い、健康という何よりも大切な財産を子供に取り戻し
てやったこの彼と奥さんもまた、尊敬に値する人たちだ。

そして昨日、これも前の会社の後輩のTとOが二人で家にくるという。この後輩
たちとも数ヶ月会ってなかったし、俺がメールを送ってからこの時期に二人で揃っ
てくるということは、前述の友達の弟H・Kの例もあり、これは間違いなく祝儀を
持ってきてくれるつもりやなと思ったので、俺はすぐTに電話して、「もし祝儀を
持ってくるつもりなんやったら家にくるなよ、メールしたのはほんとにお世話になっ
たお礼と報告だけで、祝いは気持ちだけで十分やから
」とクギを刺し、Tも分か
りました、と言ってくれたので家にきてもらうことに。
で、やってきた二人。俺は玄関前で「祝儀は持ってきてないやろな?持ってきて
たら家にいれんぞ」と念を押したら、持ってきてません!というので、ほな上がれ、
ということでひさしぶりにバカ話を楽しませてもらっていたのだけれど。
それから2時間くらい居てくれたと思うけど、その二人が帰り際にいきなり「お祝
いです」と祝儀袋を
差し出すじゃあーりませんか!だから要らんっていうてるやろ
う、と言うたら、「ほんとにおめでたいからおめでたい気持ちを表しただけで、何の
大意もありません。だから受け取ってください。」と言うてくれる。まぁ、たぶん俺
が逆の立場でも、祝儀は持っていったやろうから、これも結局ありがたく頂戴す
ることにした。
この心優しい後輩達ともエピソードがたくさんある。その中からひとつづつを紹介
する。

Tは俺が工場の責任者だった時に新人として入ってきた。まず一番初めの教
育をする前のオリエンで、Tの人の話を聞く態度がだらけて見えたので一喝した
ことがある。まったく最近の若いもんは・・・などと思っていたなぁ、その時は。
その後、研修が終わったあとに報告書を書かせたら、この研修、早く終わらな
いかなぁ・・・みたいなことが書いてあり、俺はそこで、もうこいつはどうにもならん、
どうせすぐやめるか、やめんかったらやめさせてやろう、くらいに考えていた。
ところがどっこい。仕事をさせるとこれがけっこうやる。相変わらず態度はだらしな
くは見えたけど、仕事にだらしなさはないし、頭の回転がよくて要領がいい。
いつしかTは仕事では工場の戦力として欠かせない人員になり、また、その頭
の柔らかさで俺のプライベートな後輩としても欠かせない人材になった。人を
判断する難しさっていうのをこの時改めて感じたね。
その彼も俺が辞めた後会社を辞め、さまざまな仕事を経験した後、数ヶ月前
にお父さんの事業を引き継いで青年社長として働いている。仕事大変やろう、
と言うと、「それが楽チンなんですよねぇ」と笑う。ここが彼のなんとも素晴らしい
ところでそれは前の会社にいた時から何も変わることがない。楽な仕事なんて
あるはずないのは、彼も重々分かってて、きっと辛いことはたくさんあるに違いな
いのに、いつもこう言ってのけるTもまた俺の自慢の後輩だ。


Oは転勤してきて、Tの後に俺の部下になった。別の店にいた彼の噂は既に
聞いていて、仕事に関することでは何の不安もなかったし、噂通り仕事はでき
るし、客当たりもよく、即戦力になってくれた。しかもOもユーモアのセンスがあっ
たので、Tともすぐ仲良くなり、この二人がいると現場がいつも明るくなったことを
思い出す。
このOにもおもしろい話がある。ボーナスの時期、つまり7月と12月にはボーナ
ス査定というものがあり、この時、俺は彼らの業務成績査定、つまりランク付け
をしなければいけない。その時俺は必ず一人一人と面談を行い、「俺は君を
こう評価しているがこれについて言いたいことはあるか?」と確認するようにして
いた。その席での話。Oを俺の前の席に呼び、「まぁ、座れ」と言うたら、彼が
思いもよらぬ行動をとりよった。なんと、彼は俺のひざの上に座りよったのよ!
俺はこの行動に思わず大笑い。きっと何かおもろいことしたれ、とずっと考えと
ったんやろね。上司に対してふざけてる、と見る向きもあるかも知れないが、俺
はこういうジョークを飛ばすくらいの余裕のある奴が大好きなもんやから、これで
一気にボーナス評価を上げたろかと思うくらいやったね。
そのOもTに続き会社を辞め(ホンマに皆辞めていく会社やねぇ(笑
))、今は大
型二種免許を取って、マイクロバスの運転手をしながら将来は観光バスか市
バスの運転手になると言って頑張っている。彼もTと一緒でどんな辛い時でも
落ち込んだ所を決して人には見せない見上げた奴だ。


まだまだいる。逆にここに書くのが憚られるくらい尊敬してる先輩・後輩・友知
人がまだまだたくさん。もっともっと書きたいけれど、あまりに長くなるので、このあ
たりで筆をおくことにする。

結婚式が迫ってきた。その日は、ここに書いた人達をはじめ、娘を、俺達を祝っ
てくれる人たちに、必ず恩返しができるように娘の父親として精一杯努めたい。
皆さん、ほんとに感謝に耐えません。ありがとうございます!!