僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

悲しい光景

2007-11-07 | Weblog

先週のこと。
仕事の終わりが遅くなり9:30頃に梅田発の快速急行に乗った。
出発して約3分後に最初の停車駅十三に着くんやけど、そこで4~5名の小学(5~6年?)生が
乗り込んできた。その時は車内はいっぱいで空いてる席もなかったので、彼(女)らはその辺に
立ってたんやけど、次の淡路で向かい合わせ4人掛けの椅子に座っていた俺の前の席が2人
分空き、2人の男の子がそこに座った。

で、座るやいなや。向かって左側の子供がカバンからノートと教科書を引っ張り出し、せっせと
勉強を始めよった。見てると勉強慣れしてるのがよく分かる見事なペン捌き。揺れる電車の中
でもそれを全く苦にする様子もなく、ものすごいスピードでノートに字が埋まっていく。
もう1人の子はあまりそんな気がないのか、やたらその子の勉強を茶化してばかりいる。でも
その子も肝心の答えの部分になると、急に顔つきが変わり「それはこうじゃないの?」みたいな
ことを言っていた。

そうして電車は走り時間は夜の10時前。そのペン捌きの素晴らしい子は俺と同じ高槻で降り
たけど、もう1人はまだ乗ったままやった。いずれの2人もそこからまた家まで帰ってたら間違い
なく10時は回るやろう。飯を食べたのか風呂に入ったのか知らんけど、帰ってから遊ぶ時間な
んてまずないと思う。

まぁ、どっか"いい"中学へ入るために親が必死で勉強させてるんやろう。確かに実力主義が唱
えられる今も学歴がモノをいうことには変わりない世の中やから、それも子供の事を思う親心の
ひとつなのかも知れんけど、やっぱり俺にはどうにも理解できんねぇ。

初孫を見てて思う。赤ちゃんは「絶対に」泣き、おっぱいを欲しがり、お母さんに抱かれたがる。
それと同じように"子供"にも「絶対に」その時に欲するものがあると思う。それは冒険心であった
り遊びであったり、いたずらであったりすることは人間である以上「絶対に」変わりないはずや。

まだ小学生の子供にそんな時間まで勉強させるなんて、俺は赤ちゃんからにおっぱいを取り上
げて、栄養ドリンクを与えてるのと同じやと思う。

欲する時は欲する理由があり、理由がなければ本能がそうさせている。全て本能のままに生き
てたら、世の中で通用せんけど、本能を殺されたら人として通用せん。

願わくばあの小学生達が今度は電車内で大はしゃぎしている所を見たいと思うのであります。