僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

全てを自分の糧に

2007-11-20 | Weblog

今朝ニュースを見てたら、自宅の3階で火事に合った5ヶ月の赤ちゃんが近所に人に
助けられ、奇跡的に無事だったと言っていた。
その助けた人のインタビューや助かった赤ちゃん、両親のコメントなどを目にすると、
本当に助かってよかったなぁと思う。

でもその中でちょっと気になったことがあった。それは助け出した方法。助けた人の
話を聞いていると一刻を争う中、両親に「とにかく赤ちゃんだけを投げろ、俺が受け
取るから」ということで7mの高さから投げられた赤ちゃんを見事にキャッチしたらしい。
確かに色々考えてる猶予なんかなかったやろうしそれが成功したから、それが最善
の方法やったんやろう。投げる方も受け取る方も勇気を振り絞った訳やし。

けど、その後の状況を聞いてると少し?ということを感じた。そのあと両親は近所の
人が引いた毛布や布団類の上に飛び降りて助かったらしい。とすると近所に人が
そこそこいたらしいことが分かる。とすると、いくら体力に自信があって受け取る自信
があったからって、たった1人で7mの高さから落ちてくる赤ちゃんを受け取ろうなん
て行動はちょっと無茶すぎやせんのかなぁ?何人かを集めて色々な協力態勢(布団
をひく、数人で受ける等)を整えてから救助に当たったほうがよかったんやないの?

結果はとにかく素晴らしい。猛火の中両親も赤ちゃんも無事やった訳やから。
赤ちゃんのおじいさんもインタビューに答えて言うたはった。「助けてくれた〇〇さん
には足を向けて寝れません」と。その通りやと思うし、助け出したこの方は賞賛に
値すると思う。

でもこれを自分の教訓にするためにはただ素晴らしいと思うだけでは意味がない。
その素晴らしさを認めつつも、もっといい方法はなかったのか?と考えることこそが
自分を高めることに繋がる。

この方には失礼やけど、俺は以下の考え方で自分の糧にさせてもらった。

火事だけに「ボー」とニュースを見てたらアカン。