僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

愛犬のこと

2010-02-10 | Weblog
「何があっても絶対に許される存在」って皆さんにいますか?
俺の場合は孫を差し置いてペットの犬がそれに当たる。
とはいえ、たまにおしっこやうんちに失敗して床やカーペットを汚す
なんてのはまぁ当然許されることやとしても、俺を深夜や朝早くから
起こすのはちと参る。
大きな病気を抱えているので、夜中になんか変わったことがあったら
困ると俺と嫁のベッドの間にケージを置いて寝かせているのだが、そ
れに甘えて深夜でも抱っこして欲しくなったら、ピー、ピー、という
超甘えた声で俺を起こす。1~2分抱いてやるとおとなしくなるので、
抱いたらまたケージに戻す。この時間はわずかやけど、睡眠を途中で
遮られるのは結構こたえて、昼間でも眠いことがよくある。

それでも深夜ならまだいいが(ええことないけど)朝起きる時間の30~
1時間前に起こされるのはもっとこたえる。もう一回寝るにも中途半
端やし、かといって起きるのには早すぎるから、困ったなぁ、と思っ
てる間に起きる時間になってしまうという最悪の事態である。
もっともこのケースでは孫たちが先に起きていて声が聞こえる場合が
ほとんどなので、頻度は少ないんやけど。

そんなこんなで困ったヤツなのに、もう絶対的な可愛さゆえ全てが許
される。病気が続いて、いてもたってもいらないくらいの心配をさん
ざんかけ、かなりの高級車が一台買えるくらいの治療費を請求してき
たヤツなのに、高級車にはこんな心の安らぎはもらえないから、と許
される。

人間にここまでの感情は抱けない。それは赤ちゃんの頃はともかく、
人間にはいつか「自分で生きて」ゆける力がつくからに他ならない。
いくら辛くても最後は自分で解決するしか方法がないし、それがで
きなければ人間失格なのだから、おのずと「許せる範囲」が決まっ
てくる。
ところが“ペットとしての”犬はそうではない。“絶対に”人間が
いなければ生きていけない。だから飼い主に頼り切る。飼い主も自
分がいなければこやつは絶対に生きてゆけない、という思いの下で
対応するから、その関係はある意味人間同士の繋がりよりも深い
部分があり、全てが許せてしまうのだ。

さて、自分が何でも許してもらえる存在だったらどうか?
考えただけでゾッとするほどだらしない人間になること間違いなし。

以前に許すことができるのは人間だけ、と書いたが、その多寡は人
によって異なる。私とお付き合いいただいている皆様方、私の場合
はあまり許さないほうが、皆様のため、世の中のためでござります。