バンド仲間が経営する日本料理店で食事をしていた時の話。
カウンターで食事をしていた私からは、厨房の様子が見える。そこでの、師匠(バンド仲間)が弟子を躾ける様子に痛く感動したので、それをご紹介しようと思う。
師匠:「お湯でえへんぞ!」
弟子:「ハイッ、すいません」と、すぐにお湯を出そうと動きだした瞬間、
師匠:「焼き物どうなっとんねん!」
弟子:「ハイッ、すぐに」と、今度は焼き物を見に行こうとした、またその瞬間、
師匠:「手ぶらで動くな!」
弟子:「ハイッ」
とにかく、弟子にしてみれば、「一体どないせえちゅうねん!」と言いたくなるような命令が続く。しかし、彼は一切口応えすることなく、師匠の言うことを全てこなそうと懸命に考え、動く。
師匠は分かっている。そんなこと一度にできるわけがないことを。でもあえてそれを命じるのは、理不尽をどう生きるかを問われる世の中を生き抜くための力をつけさせるためであり、狭義においては、自店に来て下さるありとあらゆるお客さまに、対応できる力をつけさせるためなんだろうと私は思う。師匠もまた己の師匠に、そのようにして育ててもらったからこそ、今の自分があることを何よりも分かっているはずだから。
この会話は、教育者とは名ばかりの教育者が増え、なよなよした男子がどんどん増えていく世の中において、最高の教育見本だ。
もちろんこの店の料理の味は最高である。しかし、この会話がさらにそれを味わい深いものにしてくれている。
「“日本”料理」はかくあるべし、と思うのだ。
カウンターで食事をしていた私からは、厨房の様子が見える。そこでの、師匠(バンド仲間)が弟子を躾ける様子に痛く感動したので、それをご紹介しようと思う。
師匠:「お湯でえへんぞ!」
弟子:「ハイッ、すいません」と、すぐにお湯を出そうと動きだした瞬間、
師匠:「焼き物どうなっとんねん!」
弟子:「ハイッ、すぐに」と、今度は焼き物を見に行こうとした、またその瞬間、
師匠:「手ぶらで動くな!」
弟子:「ハイッ」
とにかく、弟子にしてみれば、「一体どないせえちゅうねん!」と言いたくなるような命令が続く。しかし、彼は一切口応えすることなく、師匠の言うことを全てこなそうと懸命に考え、動く。
師匠は分かっている。そんなこと一度にできるわけがないことを。でもあえてそれを命じるのは、理不尽をどう生きるかを問われる世の中を生き抜くための力をつけさせるためであり、狭義においては、自店に来て下さるありとあらゆるお客さまに、対応できる力をつけさせるためなんだろうと私は思う。師匠もまた己の師匠に、そのようにして育ててもらったからこそ、今の自分があることを何よりも分かっているはずだから。
この会話は、教育者とは名ばかりの教育者が増え、なよなよした男子がどんどん増えていく世の中において、最高の教育見本だ。
もちろんこの店の料理の味は最高である。しかし、この会話がさらにそれを味わい深いものにしてくれている。
「“日本”料理」はかくあるべし、と思うのだ。