僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

終戦記念日に思う

2020-08-10 | Weblog
『可笑記(かしょうき)』の武士道論に、次の一節がある(とネットの記事に書いてあった)。

「武士道の吟味と云(いう)は、嘘(うそ)をつかず、軽薄をせず、佞人(ねいじん、こびへつらう人)ならず、表裏を言はず、胴欲ならず、不礼ならず、物毎自慢せず、驕(おご)らず、人を譏(そし)らず、不奉公(ぶほうこう、主人に忠実でないこと)ならず、朋輩(ほうばい)の中よく、大かたの事をば気にかけず、互ひに念比(ねんごろ)にして人を取たて、慈悲ふかく、義理つよきを肝要と心得べし、命をしまぬ計(ばかり)をよき侍とはいはず」
【訳】武士道とは何かを考究するに、それは嘘をつかず、軽薄ではなく、主人に対するおべっか使いでなく、二枚舌でなく、胴欲でなく、驕慢でなく、人を誹謗中傷することなく、主人への奉公が疎かでなく、朋輩との仲もよく、些細なことにはとらわれず、人との間柄の仲睦まじく他人を称揚し、慈悲深く、義理がたいことを肝要と心得るような精神的態度とされる。単に命を惜しまぬ勇猛一辺倒では、良い侍とは言わない。

今日のコロナ渦では、我先にとマスクを買い占め、トイレットペーパーを買い占め、今度はうがい薬を買い占める。姿や顔の見えないネット社会で人を誹謗中傷する。一体このみっともなさはなんなのだろう。

現代が武士道精神に支えられている時代だったら、こんな人たちは「恥を知れ」と斬り捨てられただろう。

もうすぐ終戦記念日である。もちろん戦争はいけないし今は戦国時代ではない。ただ恥を恥と思わず、卑怯を卑怯と思わない人が普通に闊歩する時代は、武士道の矜持を持てないたちが「正当に間引き※」されたその当時よりひどくはないか。恥ずかしいこと、みっともないことは命に懸けてもしてはいけない。でないと、戦争がなくても人が滅び、やがて国が滅びてしまう。

私の終戦記念日とは、ことあるごとに命をかけて道を貫き生きてきた先人たちを思い倣うことである。

※戦争で理不尽に命を落とされた方を指すものではなくあくまでも武士道の精神を持てなかった、守れなかった人のみを指します。