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コジキジゲン

山師(サンシ)はヤマ(耶麻・八馬・矢間)に登る・・・邪馬の台の国へ

2015-11-12 20:45:14 | 古事記字源

 ・・・「オバちゃんの不思議(3)」・・・オバちゃんは戦中、戦後、炭鉱の選炭現場での労働者として給料を稼ぐ存在として確実に一家を支える存在となっていたが、戦後に引き上げてき、炭鉱に就職してきた元軍曹と恋愛関係になった。だが、この時、オバちゃんの母親の猛反対。だが、「GHQ」の戦後は「マッカーサー元帥」が天皇に代わる最高権威者であり、その「民主化(?)」は炭鉱で働く人々、「経営者・労働者」にも徹底され、善良なオバちゃんの意識も、元軍人(衛生軍曹)のオジちゃんの意識も、「家父長制」からは解放されていた・・・「家族に民主主義(?)」はあるのか・・・家族は原則的には「夫婦・親子・兄弟姉妹」から構成されているが、「夫婦間の対等」は「男女の区別」を踏まえた役割分担の「協働の権利と義務」である。だが、「両親と子供間の関係」は子供が「成人」するまでは「養育関係」である。これは「親子は対等」ではない、と云うことである。両親は原則的に「子供への保護、養育、教育」の「権利と義務」を有する。そして、体力、知力、経験に於いて親子は「対等」ではない。まじて、「友達関係」でもないし、「友達」であってはならないの当然である・・・そして、家族としての親の立場を子供に「理解」させるのが「義務」でもある・・・親は子供に沈黙をしてはならない。だが過度に強制してもならない・・・「社会的人間とは何か?を認識、思考」できる「存在」として自覚させていくのだ・・・だが、「社会的人間の現実」とは何か?・・・
 オバちゃん、オジちゃんは、この反対を押し切って結婚した。この結婚条件は「同じ会社での共働き」であった。オジちゃんは一人娘を抱えていた再婚者であった。戦時中、オジちゃんが南方に軍事派遣をされていた時に前妻を失っていた。帰還した時には残された娘が一人、実家は屯田開発の農家の二男、もはや「軍隊」は存在しなく、戦後、生産急ピッチの炭鉱に就職した人物であった。
 オバちゃんの母親は死ぬまで、その結婚を頑固に許さず、オバちゃんが出ていった後も、残った者を気丈夫に、夫を含めて養っていた。
 オジちゃんは元軍曹で、「石部金吉」と綽名されるほどの遵法厳守の固物で、仕事現場でも、家計簿の数字のチェックでも煩かった。その上で、オジちゃんはオバちゃんの実家状況を踏まえ、一家の主となった「オバちゃんの弟」とは、その結婚の条件として実家への、残った妹たち二人の面倒も含め、その弟を通して金銭援助をしていた。
 オジちゃんはその約束通りにオバちゃんの給料も含めた一家の財政支出としてオバちゃんの実家援助をしていた。
 そして、オバちゃんも自分の稼いだ自由になる金を実家にコッソリと渡していた・・・。
 問題が起こったのは会社側の「炭鉱女性労働者の首切り」である。戦中、そして戦後初期の炭鉱労働者の選炭現場の担い手は「女性労働」だった。だが、海外からの、満州、朝鮮、そして、兵隊の引揚者が急増し、経営者側は「男性労働者」を雇うコトを優先し、労働力は過剰となり、「女性労働者」は解雇の対象となったのだ。とりわけ、炭鉱で共働きをしている「女性労働者」が対象となった。夫の給料、出世を前提に、配偶者である「妻」の解雇である。従来の同じ会社での夫婦での共稼ぎは避けられ、女性は家庭の主婦として納まれ、であった・・・
 オバちゃんは元々が働き者で、働くこと自体が人生と思っていた人物である・・・他人の世話で生きていきたくない、は、オバちゃんの「哲学」で、それは彼女の母親がグウダラな夫を養っていく「哲学」にも重なるモノでもあったが、その母親は娘たちを働かすコトには無頓着で、息子たちを大切にした。事実、息子たちは病弱で、養子から出戻った弟以外は早世していた・・・
 オバちゃんは「無職」になって収入は無し・・・オバちゃんの思想からは耐えられない毎日が続くコトになる。しかも、少しは自分の「自由?」になっていたオカネはマッたく使用できなくなった。そもそも、オバちゃんに取っては「結婚」後も、自らの収入があり、夫、他人の世話にはならない「自立出来るコト」であり、「外で仕事し、自分の収入の無い生活」は耐えられなかったのだ・・・
 女性の生活での苦労体験は「自立」を目指さざるを得ない・・・この「自立」とは自分自身の「収入源」としての仕事である。結婚は旦那の健康や、安全を保障しない・・・
 そんなオバちゃんは農繁期、刈り入れ時には「農家の仕事」を見つけては出稼ぎに行った。当然、オジちゃんは、そんなオバちゃんを面白くない。オジちゃんには「男のプライド」があった・・・
 オバちゃんのオジちゃんへの「不満」は頑なな「石部金吉」と、「遵法」、そして、その「善良さ」・・・
 そんなオバちゃんを観ていて、オジちゃんは家からかなりの距離がある三角山の空間を借りて畑を造り、スイカやカボチャ、イモ、トウキビ、大根などを植えるコトをオバちゃんに提案した・・・家の前の空き地にはトマトとナスビを植えていた畑があったが、オバちゃんはオジちゃんの提案を受け、山の畑を耕し、肥やしを運び、種を播き、カラス除けの案山子を立て、キツネ除けの縄を張り、その管理と収穫に多忙な毎日を過ごすようになった。
 モチロン、オジちゃんも会社の休日にはオバちゃんと一緒、家族と一緒、ボクは小さい身体をオバちゃんの背負い駕籠に入れられて山に運ばれ、その時間を過ごしていた。麓の川の橋を渡るときには「お前は蜜柑箱に入れられ、この橋の下に捨てられていたんだ」と毎回聞かされた。
 ボクは冬のある日、オバちゃんが秋に収穫したトウモロコシ(玉蜀黍=唐黍=トウキビ)の乾燥させたものを「どん」と云うお菓子にしてくれる所に連れて行ってくれのが楽しみだった。その場所は町の駅の近くにあって、鉄の釜にトウキビを入れ、加熱、圧縮し、爆発音を伴って、堅い皮の殻(殼)を破裂させ、柔らかく膨らんで出来るものだった。その爆発音から皆は「ドン」と呼んでいた。オバちゃんはその一瞬の轟音でボクの驚く顔と、彼女に抱きついてくるのを期待していた・・・ボクは期待を裏切らなかった。年を重ね、爆発音には慣れてしまっていても、そこに行き、爆発の「ドン」が鳴る時にはオバちゃんに抱きついては、抱きあげられ、頬擦りされるのが慣例していた・・・あまり食べ過ぎて母親の前で吐き、オバちゃんは随分と妹であるボクの母親に責められていた。「ネエさん、この子にあまり変なものを食べさせないでョ」だった・・・だが、ボクはオバちゃんが大好き人間・・・幼いころ、オバちゃんとは添い寝することは日常化していたが、モノごころがついても、衛生、清潔であるコトを信条とし、看護婦を職業としていた母親との添い寝の記憶はない・・・
 で、山の斜面のオバちゃんの畑はかなりの大きさで伐り拡げられ、「郭公」が鳴く林の中に存在していた。「啄木鳥」が居たかどうかの記憶はない・・・カラス(鴉・烏)も、トンビ(鳶)、タカ(鷹)も、フクロウ(梟)も、ウサギ(兎)も、へび(蛇)も観た記憶はあるが・・・クマ(熊・羆=ひぐま)は噂に聞いたコトがあるが、みたことはなかった・・・で、
 「啄木鳥(きつつき・タクボクチョウ)」の
 「啄(ついばむ・タク・ツク)」
 は
 「喙(くちばし・カイ・ガイ・ケ)」
 に類字する。だが「彑」が無い。「鶍=いすか=交喙(コウカイ・コウガイ・コウケ)」・・・「イスカのクイちがい」とは?・・・
 「石川啄木」に訊いてみたい・・・
  ↓↑
 「石川啄木
  1886年
  明治十九年二月二十日?or1885年十月二十八日?
   ~
  1912年
  明治四十五年)四月十三日
  岩手県南岩手郡
  日戸村生まれ
  本名は
  石川一(いしかわ はじめ)
  1903年
  明治三十六年
  短歌の会(白羊会)を結成・・・
  十一月
  新詩社同人
  十二月
  啄木名で
  『明星』に
  長詩(愁調)を掲載
  ↓↑  
 「地図(チズ)の・・・・・・輿
  上(ジョウ)・・・・・・・聶・襄・定
  朝鮮(チョウセン)・・・・挑戦・兆選
  国(コク)に・・・・・・・酷・剋・刻・哭
  黒々(コクコク)と・・・・刻々・玄々
  墨(ボク)を・・・・・・・僕・撲・睦・北・朴・卜
  塗(ト)りつつ・・・・・・訳・徒・屠・渡・賭
  秋風(シュウフウ)を・・「安芸・安岐・亜紀」
               楓・諷
  聴(チョウ)く」・・・・・長・重・調・喋
  ↓↑
 「東海(トウカイ)の
  小島(ショウトウ・・・・・証等・章等
     小嶋・小嶌)の・・・相の揣摩
  磯(キ・ケ)の・・・・・・記・紀
               卦・懸・毛・化・華
  白砂(ハクサ・ビャクサ)に・・・葉句差(作・佐・詐)
  我(ガ)れ・・・・・・・・画・雅・賀・瓦・牙・臥・芽
  泣(キュウ)き・・・・・・求・究・舊・及
  濡(ジュ・ニュウ)れて・・塗れて
               訟・呪・儒・受・誦
  蟹(カイ・ゲ)と・・・・・改・歌意・甲斐・戎・下意
               解・外・訝・毛・夏・気
  戯(ギ・ゲ・戲)むる」・・技・伎・枝・犠
               義・祇・祁
               偽・疑・宜
 ・・・???・・・本来、「啄木」の「豕」には「豕の彡の中」に「ヽ」があるのが本字であるらしい・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 約伯 記
 ヨブ・・・「与分・余部」記
   ・・・・呼ぶ記(紀)
第28章
28:1
 しろがねには
 掘り出す
 穴があり、
 精錬する
 こがねには
 出どころがある。
28:2
 くろがねは
 土から取り、
 あかがねは
 石から
 溶かして取る。
28:3
 人は
 暗やみを破り、
 いや
 はてまでも
 尋ね
 きわめて、
 暗やみ
 および
 暗黒の中から
 鉱石を取る。・・・・山師=鉱山採掘調査の専門家
           一山(鉱脈)を当てれば
           大儲けの賭博師、博打人
28:4
 彼らは
 人の住む所を
 離れて
 縦穴をうがち、
 道行く人に
 忘れられ、
 人を離れて
 身をつりさげ、
 揺れ動く。
28:5
 地は
 そこから食物を出す。
 その下は
 火で
 くつがえされるように
 くつがえる。
28:6
 その石は
 サファイヤ(Sapphire)・・・蒼玉・青玉
 のある所、
 そこには
 また
 金塊(キンカイ)がある。
28:7
 その道は
 猛禽(モウキン)も
 知らず、
 たかの目も
 これを見ず、
28:8
 猛獣(モウジュウ)も
 これを踏まず、
 しし(獅子)
 も
 これを
 通らなかった。
28:9
 人は
 堅い岩に
 手をくだして、
 山を
 根元(こんもと・コンゲン)から
 くつがえす。
28:10
 彼は
 岩に
 坑道(コウドウ)を
 掘り、
 その目は
 もろもろの
 尊い物を見る。
28:11
 彼は
 水路を
 ふさいで、
 漏れないようにし、
 隠れた物を
 光に取り出す。
28:12
 しかし
 知恵(ちえ・チケイ)は
 どこに
 見いだされるか。
 悟(さと・ゴ)り
 のある所はどこか。
28:13
 人は
 そこに至る道を知らない、
 また
 生ける者の地で
 それを
 獲(と・カク)ることができない。
28:14
 淵(ふち・エン・潭)
 は言う、
 『それは
  わたしのうちに
  ない』
 と。
 また
 海
 は言う、
 『わたしの
  もとに
  ない』
 と。
28:15
 精金(セイキン・ショウキン)も
 これと換えることはできない。
 銀(しろがね・ギン)も
 量(はか・リョウ)って
 その価(あたえ・カ)と
 することはできない。
28:16
 オフル・・・・地名・・・於附留
        ↓   緒符(附)留→下駄
        尾古(おこ)=鳥取県の大山の麓
        ↓      鳥取県西伯郡大山町羽田井
        尾振る→尾張?
        ↓
        列王紀上、3回
        歴代志上、1回
        歴代志下、2回
        ヨブ記、2回
        詩篇、1回
        イザヤ書1回
        合計・・・・10回・・・?
 の
 金をもってしても、
 その価を量ることはできない。
 尊(とおと・みこと・ソン)い
 縞(しま)めのう(瑪瑙)も、
 サファイヤも
 同様である。
28:17
 こがね(黄金)も、・・・故金・古金・小金
 玻璃(ハリ・硝子=ガラス)も
 これに
 並ぶことができない。
 また
 精金の
 器物(キブツ)も
 これと
 換(か・カン)えることが
 できない。
28:18
 さんご(珊瑚)も・・・・纂語・産後・三語
             山後
 水晶(スイショウ)も・・・推奨・推称・推賞
              水将
 言うに足りない。
 知恵(ちえ・チケイ)を
 得るのは
 真珠(シンジュ)を
 得るのに
 まさる。
28:19
 エチオピヤ・・・・・越智阿・皮亜・越日於比亜
           埃提阿百・埃西阿比亜・埃塞俄比亜
           以剔阿比亜・越尾比亜・越尾比屋
           越智阿皮亜・埃提阿百
           アビシニア(エチオピア別称)
           阿比西尼・阿比西尼阿・亜比西
 の
 トパズ(topaz)・・・黄玉
           高木勘兵衛が
           美濃国(岐阜県)
           恵那郡
           苗木山で
          「細くして糸のごとき」鉱石を発見
 も
 これに
 並ぶことができない。
 純金(ジュンキン)をもってしても、
 その価を
 量ることはできない。
28:20
 それでは
 知恵は
 どこから来るか。
 悟りのある所は
 どこか。
28:21
 これは
 すべての
 生き物の目に
 隠され、
 空の鳥にも
 隠されている。
28:22
 滅び
 も
 死
 も言う、
 『われわれは
  その
  うわさ(噂)を・・・・宇和作
  耳に
  聞いただけだ』。
28:23
 神は
 これに至る道を
 悟っておられる、
 彼は
 そのある所を知っておられる。
28:24
 彼は
 地の果までも
 みそなわし、
 天が下を
 見きわめられるからだ。
28:25
 彼が
 風に重さを与え、
 水を
 ます(枡・桝・升・舛)・・・鱒
 で量られたとき、
28:26
 彼が
 雨のために
 規定を設け、
 雷のひらめきのために
 道を設けられたとき、
28:27
 彼は
 知恵を見て、
 これを
 あらわし、
 これを
 確かめ、
 これを
 きわめられた。
28:28
 そして
 人に言われた、
 『見よ、
  主を恐れることは
  知恵である、
  悪を離れることは
  悟りである』
 と」。
ーーーーー
 ・・・鉱物学(mineralogy)のお披露目か・・・山師はヤマに登る・・・

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秦(三+人+ノ+木)の始(女ム口)皇(白王)帝(亠Ⅱ冖巾)

2015-11-12 01:03:47 | 古事記字源

 ・・・十一月十一日(水曜日)・・・「1111」・・・TVのスペシャル・秦の始皇帝、秦王、姓は嬴(エイ)、諱は政(セイ)、即位した13歳、紀元前247年に陵墓建設開始。陵墓は中国陝西省西安北東30km、阿房宮の南80里に驪山建設・・・紀元前210年に49歳で死去・・・兵馬俑(ヘイバビョウ)は秦始皇帝陵(墓)の周辺にある・・・TVの「ドキュメンタリー(documentary)→読究面他理意(易)?」では兵俑8000体余りの各軍団の組織リーダーは「鶍冠(やまどりかんむり)」を被っており、その冠の上が二又(二つ)に分かれている被り物だったが、その説明が「鶍冠=死ぬまで戦う象徴(?)」であった・・・攻撃の合図は太鼓、撤退の合図は鉦・・・「鶍冠」の「鶍(いすか)」は「易(エキ・かわる・かえる・やすい)+鳥(チョウ・とり)」であるが、「国字」・・・異字漢字は「交喙(いすか・コウガイ)」である。意味はこの漢字の「交・喙(カイ・ガイ・くちばし)=口+彑+豕」であろう。「彖(タン)=易経で一卦ごとに対する総論」とあるが、「彖=彑(ケイ・彐・⺕・右手・ヨ→与?)+豕」であるが、「彑→互」であるならば、「互換・互助・互譲・互選・交互・相互」の意味である・・・類字の「掾=ジョウ・たすける・よる・したやく」とある・・・「掾=律令制で国司の第三等官→判官・近世以降は浄瑠璃の太夫に与えられた称号。大掾・掾・少掾の3階級で当人1代に与えられた」・・・
 「交喙(いすか=鶍)」は、weblio辞典に「スズメ目アトリ科・crossbill・雄は全身赤黄色、雌は地味な暗黄緑色。くちばしがねじれて上下に交差しており、松かさをこじ開けて実を食べる」・・・更に他のブログを調べると「いかす(?)=鶍(国字)・交喙」・・・「イスカの嘴(くちばし・シ・喙)の食い違い=物事、話しの食い違い」・・・なるほど、ボク的には「イスカ=椅子化・伊須化・易数化」の食い違いである・・・
 それに、「インコ」は「鸚哥・音呼→秦吉了」とあったが・・・
 TVでは漢字の統一では「猪(ヰ・ゐ)」は「彘(テイ)」とせよ、との当時の秦帝国の地方官吏への木版での記録通達の説明場面があった・・・元々「彘(テイ)」の漢字はあったのか、それとも、「新字」だったのか・・・その統一漢字での「文字交換」の理由までは述べられていなかった・・・「猪(ヰ・いのしし)」=「彘(テイ・いのしし)=彑+上+矢+ヒ」は、既にボクのブログ日記には前回、調べて記述したが・・・
 「彑」は「互・瓦(かわら)→瓦斯(ガス)」に類字である。しかも、「彑=々」との説もある。すなわち、「彑」が「互」の意味する「字」ならば、「鶍冠」の「交喙(いすか=鶍)」は「相互・互換・互助・互譲・互選・交互・相互」の「交わる口の彖」であり、戦闘指揮の合図をする「交喙-冠」の兵士である。
 結論は「彖(タン)=一卦ごとに対する総論、総括、総轄、統一」の合図である・・・
 さらに「鶍」が「国字」ならば、「交喙(コウガイ・コウカイ)」の意味を知っていた日本に存在していた人物の「新漢字」であるハズ(筈→嵌事・嵌図)だが・・・?・・・これ、「笶=竹+矢」っちゃう・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 約伯 記
 ヨブ・・・「与分・余部」記
   ・・・・呼ぶ記(紀)
第27章
27:1
ヨブ・・・・・与文
       與文・・・壱與の記録
       夜分・・・天文・零(0)時
       輿奉・・・地理・地図・神輿
       世分・・・世代の部の分・元号年大
       世武・・・武士の世代・余武・代布・天武
       予伏・・・序文に伏(臥)す・古事記序文
       譽部・・・誉れの勲章
            誉田分・応神=王仁
       預部・・・預言の部分
            預金部
            伊豫讃岐の領域
       余分・・・アマリのブン
            贏(あまり・エイ=勝負に勝つ)
            贏輸or輸贏=損得
            操奇計贏(ソウキケイエイ)
            金貸し、金融の利子、利益
            融資・融通
            金を融(とか・鬲+虫)す
                   虫=中+ム
              鬲=へだてる・リャク・レキ
              鬲=一+口+冂+八+丅(丁)
            融→融解・融合・融点・融和
              渾融・・・渾然・渾沌
                   渾儀=渾天儀
                   渾→水の軍
                     褌(ふんどし)
                     衣の軍?→金武霊
              溶融
            商売の儲け
       四歩・・・将棋の戦法
       与舞・・・舞踏会・鹿鳴館

また
言葉を
つい(接い)で・・・ツイ出
          序で
          注いで
          告いで
          次いで
          継いで
          竟で・・・音+儿=立+日+儿
            竟=キョウ・キャウ
              おわる・ついに・結局
              つまるところ・ようするに
              究竟・畢竟=必竟
          対で・・・文+寸=亠(音)+乂+寸
言った、
27:2
「神は
 生きておられる。・・・「生きておられる」って?
             神は「生き物・生命体」?
 彼は
 わたしの
 義(ギ)を
 奪い去られた。
 全能者は
 わたしの
 魂(たましい・コン)を
 悩(なや・ノウ)まされた。
27:3
 わたしの
 息(いき・ソク)が
 わたしのうちにあり、
 神の息が
 わたしの
 鼻(はな・ビ)に
 ある間、
27:4
 わたしの
 くちびる(唇・脣・吻)は
 不義(フギ)を言わない、
 わたしの
 舌(した・ゼツ)は
 偽(いつわ・にせ・ギ)りを
 語らない。
27:5
 わたしは
 断(ダン・たつ)じて、
 あなたがたを
 正しいとは認めない。
 わたしは死ぬまで、
 潔白(ケッパク)を
 主張(シュチョウ)して
 や(止)めない。
27:6
 わたしは
 堅(かた・ケン)く
 わが義を
 保って捨てない。
 わたしは
 今まで
 一日も
 心に
 責(せ・セキ)められた
 事(こと・ジ)がない。
27:7
 どうか、
 わたしの
 敵(テキ・かたき)は
 悪人のようになり、
 わたしに
 逆(さか・ギャク)らう者は
 不義なる者のようになるように。
27:8
 神が
 彼を断ち、
 その魂を抜きとられるとき、
 神を信じない者に
 なんの望みがあろう。
27:9
 災(わざわい・サイ)が
 彼に臨むとき、
 神は
 その
 叫(さけ・キョウ)びを・・・叫=口+丩(丄+礀)
 聞かれるであろうか。
27:10
 彼は
 全能者を
 喜ぶであろうか、
 常(つね・とこ・ジョウ)に・・・常陸(ひたち・ジョウリク)
 神を呼ぶであろうか。
27:11
 わたしは
 神の
 み手について
 あなたがたに教え、
 全能者と
 共に
 あるものを
 隠(かく・イン)すことをしない。
27:12
 見よ、
 あなたがたは
 皆
 みずからこれを見た、
 それなのに、
 どうして
 むなし(虚し・空し)い者と・・・昿=曠=コウ
                   あきらか・ひろい
                   むなしい・おろそか
                   おおきい・おろそか
                   とおい・ひさしい
 なったのか。
27:13
 これは
 悪人の
 神から受ける分、
 圧制者の
 全能者から
 受ける
 嗣業である。
27:14
 その子らが
 ふえれば
 つるぎに渡され、
 その子孫は
 食物に
 飽きることがない。
27:15
 その生き残った者は
 疫病で死んで埋められ、
 その
 やもめ(寡婦・鰥夫)らは
 泣き悲しむことをしない。
27:16
 たとい
 彼は
 銀を
 ちりのように積み、
 衣服
 を
 土のように備えても、
27:17
 その備えるものは
 正しい人が
 これを着、
 その銀は
 罪なき者が
 分かち取るであろう。
27:18
 彼の建てる家は、
 くも(蜘蛛)の巣のようであり、
 番人の
 造る小屋のようである。
27:19
 彼は
 富める身で寝ても、
 再び
 富むことがなく、
 目を開けば
 その富はない。
27:20
 恐ろしい事が
 大水のように
 彼を襲い、
 夜は
 つむじ(旋毛)風が・・・旋風・積司
             積 字
             通務事
 彼を奪い去る。
27:21
 東風(トウフウ)が
 彼を揚げると、
 彼は
 去り、
 彼を
 その所から
 吹き払う。
27:22
 それは
 彼を投げつけて、
 あわれむ(憐・哀)・・・阿波例務=阿波踊り
             安和例務=安和の変・969年・安和二年
             安房例務=安房国(千葉)
                  魚の御食国
                  膳(かしわで)氏を司る
                  伴造氏(高橋と改称)が
                  磐鹿六雁命(膳氏の始祖)
                  が蛤(はまぐり)を捕り、
                  景行天皇に料理して献上
                  し、御食の膳臣を授かった
          磐鹿→伴造→膳臣→高橋→虫麻呂(浦島太郎)
            「泡・沫・淡・粟
             愍(愍笑・愍然・哀愍・憐愍
               不愍=不憫)」例務
             猿田毘古=アワたつ・そこどく
             猿女=宇受女→渦オンナ→鳴門の海音
             猨女君=天宇受賣命は
                 海鼠(なまこ)の
                 口を裂(割)いた
                「稗田」姓を後に称した
              ↓↑
             弘仁年間に
             小野氏
             和邇部氏
             が
             猿女君の養田を横取りし、
             自分の子女を猿女君として貢進
              ↓↑
            「類聚国史・巻19・猿女の条に記録
            (菅原道真撰、編纂
             宇多天皇の命を受け
             寛平四 (892) 年奉った)」
 ことなく、
 彼は
 その力から
 のがれ(逃れ)ようと、
 もがく(踠)。・・・摸臥句
27:23
 それは
 彼に向かって
 手を鳴らし、
 あざけ(嘲)り
 笑って、
 その所から
 出て行かせる。
ーーーーー
 ・・・阿波(淡路島)の領主が安房に追放か、左遷か・・・?
 承久三年(1221年)
 承久の乱
 小笠原長清が阿波国守護
 息子の
 小笠原長経が守護代として入国
 長経の後裔からは、
 阿波
 小笠原氏
 三好氏
 安宅氏
 大西氏
 豊永氏
 などが出、
 四国の国人領主として戦国時代へ
 南北朝の内乱期の
 建武元年(1334)
 建武の中興
 阿波守護は
 小笠原氏に替わって
 足利一族である
 細川氏が任命
 戦国末期
 長宗我部元親が
 1582年に
 阿波を制圧
 豊臣秀吉が
 1585年の四国平定
 後
 阿波一国(住吉領を除く)を
 蜂須賀家政に与え、
 江戸期に
 蜂須賀家が徳島藩として存続
 阿波国を支配
  ↓↑
 では、「安房(千葉)」の情勢はどうか、「南総-里見-八犬伝(曲亭馬琴)」・・・安房-里見氏の初期を舞台にした物語・・・ではないだろう・・・明治以後の「人事移動」だろう・・・ダレ?が・・・「発見伝」はまた、後日に・・・

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