・・・16時、空から牡丹雪が降り出し始めた・・・不思議と云えば「不思議」である・・・小学校の高学年では学校の教科書で習ったハズである。だが、「実験」で確かめた事項は皆無である。日常生活の中では「氷→水→水蒸気」の変化は、その温度変化と共に確認出来た。だが「水蒸気→雲→雨・雪・霙(みぞれ)・雹(ひょう)・霰(あられ)」は実験で自分の目で確認したワケではない。知識として知っているのは「理詰め」で教えられたからである。その自然存在の動的変化をアル程度の知識で知っている、理解している、と云うコトに過ぎない。
「温度変化」でナゼ「氷→水→水蒸気」となるのか、そもそも「温度変化=物質の密度の動的変化」であったり、「レンジのマイクロ電磁波が密度変化(温度変化)を起こす」のである、と云うコトも「理くつ」で知っているが、なぜ「マイクロ電磁波」が発生するのかは詳しくは知らない。
モチロン、ダムの水の落下で水車をまわし、回った水車の電磁軸の外部に銅線コイルがあると「電気・電磁波」が発生し、電流が流れる(その逆の配置でも同じ)コトは大体知っているが、ナゼ「電気」が発生するのかボクは理解していない。基本的には水の落下の運動が結果的に電気エネルギーに変換される・・・そもそも「エネルギー=物質の質量」とは「物体、放射、場などが別の場所に動的な移動をなし得る状態にあるとき,エネルギーEをもつという熱・放射・電気・化学・原子核エネルギー」等々、「物質の質量自体もエネルギーの一形態」である・・・
「原子核の核融合・核分裂」の「構造と動的変化の理くつ」も、おおよそ知っているが、ボク的には確実な知識ではないし、実験としての確認は無理である・・・モチロン、「存在自体」の存在の意味は無い。「アルものはアルでしかない」である。知ることの出来るのは、その「存在の構造と変化、存在諸関係の変化」である・・・しかも、文字と図式と記号、数字で確認したコトの「曖昧な知識」として・・・それでもデアル・・・確認できるモノが認識対象である・・・「自然界」に対する人間の「発見」はワンサカである・・・
で、ココでは「自然」=「神」と置き換えれば、「エリフの時代」の問題は取り敢えずは解決するハズであるが・・・未知なるモノは無限で「不可思議」以上に存在する・・・
ーーーーー
旧約聖書
約伯 記
ヨブ・・・「与分・余部」記
・・・・呼ぶ記(紀)
第37章
37:1
これがために
わが心も
また
わななき、
その所から
とび離れる。
37:2
聞け、
神の声のとどろきを、
また
その口から出る
ささやきを。
37:3
彼は
これを天が下に放ち、
その光を
地のすみずみまで至らせられる。
37:4
その後、
声とどろき、
彼は
その
いかめしい声をもって
鳴り渡られる。
その声の聞える時、
彼は
いなずまを
引きとめられない。
37:5
神は
その驚くべき声を
もって鳴り渡り、
われわれの
悟りえない
大いなる事を行われる。
37:6
彼は
雪に向かって
『地に降れ』
と命じ、
夕立
および
雨に向かって
『強く降れ』
と命じられる。
37:7
彼は
すべての
人の手を封じられる。
これは
すべての人に
みわざを
知らせるためである。
37:8
その時、
獣は穴に入り、
その
ほらにとどまる。
37:9
つむじ風は
その
へやから、
寒さは
北風から来る。
37:10
神のいぶきによって
氷が張り、
広々とした
水は凍る。
37:11
彼は
濃い雲に
水気を負わせ、
雲は
その
いなずまを散らす。
37:12
これは
彼の導きによって
めぐる。
彼の命じるところを
ことごとく
世界の
おもてに
行うためである。
37:13
神が
これらを
こさせるのは、
懲らしめのため、
あるいは
その地のため、
あるいは
いつくしみのためである。
37:14
ヨブよ、
これを聞け、
立って
神の
くすしき
みわざを考えよ。
37:15
あなたは
知っているか、
神が
いかに
これらに命じて、
その雲の光を
輝かされるかを。
37:16
あなたは知っているか、
雲のつりあいと、
知識の全き者の
くすしき
みわざを。
37:17
南風によって
地が穏やかになる時、
あなたの
着物が熱くなることを。
37:18
あなたは
鋳た鏡のように
堅い大空を、
彼のように
張ることができるか。
37:19
われわれが
彼に言うべき事を
われわれに教えよ、
われわれは
暗くて、
言葉をつらねることはできない。
37:20
わたし(わたくし・ム・よこしま・私)は
語ることがあると
彼に告げることができようか、
人は滅ぼされることを
望むであろうか。
37:21
光が空に輝いているとき、
風過ぎて
空を清めると、
人々は
その光を見ることができない。
37:22
北から
黄金のような輝きがでてくる。
神には
恐るべき威光がある。
37:23
全能者は
―
われわれは
これを
見いだすことができない。
彼は
力と公義とにすぐれ、
正義に満ちて、
これを
曲げることはない。
37:24
それゆえ、
人々は
彼を恐れる。
彼はみずから
賢いと思う者を
顧みられない」。
ーーーーー
・・・
・・・「自問自答」の以前に「他聞他(多)答」がある・・・宗教以前の「人間の問題」である・・・人間が「カミ」を必要としたのは当然である。理解出来ないモノは「畏怖する何者かの存在の仕業」とする他になかった。だが、旧約聖書は既に「私はアルと云うアルもの=私は在りて在るものである=’ehyeh ’ăšer ’ehyeh=エヘイェ・アシェル・エヘイェ)」と記録している。単純に云えば「スベテのアル=有・存・在・BEEN(There have been to be something)・existence・being」=「底存在するモノ=存在するスベテ」である・・・「エル・エローヒーム=エロヒーム(主)=アドナイ ヤハフェ(YHWH)=アドナイ ヤーウエ=エホヴァ=エホバ(Jehovah)=イェホヴァ=キュリオス (Κύριος) =ゼウス(Zeus)」、その呼び名が何であろうと問題はない。モチロン、認識論的には「自然存在と自然摂理」である・・・認識対象を「コトバの理屈」で理解するには膨大な「観察時間」と、「分析、分解時間」、それらのモノの「再構成、再構築」としての「実験時間」、それに人間の五感を超える「道具の発明」が必要であった。人間社会の諸関係で「神」を巡って「命のやり取り」するのは「愚行」ではあるが、「領土」を巡っての「命のやり取り」するのも「愚行」である。そして「財貨の多寡」で「命のやり取り」するのは「根本的な愚行」である・・・更に「名誉」を巡って「命のやり取り」するのは更に「愚行」である・・・「愚行・愚公」より、「愚考」する自分自身の「自問自答」を要請するモノのは何かを考えるコトが必要だ。「他聞・多聞」の「多答・他答」の「汰等」の「たとう・タトウ」である・・・モチロン、その「答え」は既に見えているハズである。そして、「ヨブのコトバの中」にあったし、ある。そして、それを悟った後の実行は、個々人の「自由決断の選択」である・・・生活に多忙なヒトビトはアマリ、その時間がないカモだが・・・「カミ」を頼ってはアラヌ人間に利用されるだけである・・・
各人、個々人が考えている「神・神々」は様々で、現れても気紛れな存在である・・・
「神=カミ」と云うコトバの「概念・範疇・本質・既定」が「共通内容で理解」されてはいないのは当然である。
「一般的な日本人が理解」している「神々」とは「御利益」と「悪戯(いたずら)」の「カミガミ」である。個々人の「お願いを聞いてくれ、お願いを叶えてくれる存在」である。時には「憑依して悪さをする存在」である。時には既に死んでしまったヒトの怨念の「霊魂=魂魄」である。
旧約聖書の「神」は自分から「ネタミの神」と宣言している
新約聖書の「神」は「天国と地獄の神」である
アラブの「神」は旧約聖書の「神」と同じである
エジプトの「神」は元々多神教で、太陽を神とした
ギリシャの「神」は多神教である。人間は「星」になった
ヒンズー教の「神」は多神教の化身の神々である
仏教の「神」は多神教である。しかも「輪廻転生」・・・
概ね世界各地の神々は「巫師・祈祷師」のシャーマニズムで、先祖の霊と動植物の精霊神である
スベテの「神の必要共通項」は、「その地域の人間社会の飢餓、疫病、災害から救済」であった。特に「救済の対象」は「貧困者と病人」だった。「神の主催者」は「巫女・覡・神官・医者・土木建築の技術者」でもあった。外部からの敵対侵入者に対しては共同体防衛の軍事的指導者にもなった・・・そして、「協働(共同)社会」の神々は、特殊、支配階級の神となって利用されるコトになった・・・
「エリフの神」は・・・ドウカ・・・
ーーーーー
旧約聖書
約伯 記
ヨブ・・・「与分・余部」記
・・・・呼ぶ記(紀)
第36章
36:1
エリフ
は
重ねて言った、
36:2
「しばらく待て、
わたし(わたくし・ム・よこしま・私)は
あなたに示すことがある。
なお
神のために・・・・「神の為」では無く「自分自身のタメ」?
言うべき事がある。
36:3
わたし(わたくし・ム・よこしま・私)は
遠くから
わが知識を取り、
わが造り主に
正義を帰する。
36:4
まことに
わたし(わたくし・ム・よこしま・私)の
言葉は偽らない。
知識の全き者が
あなたと共にいる。
36:5
見よ、
神は力ある者・・・当然である
であるが、
何をも
卑しめられない、・・・厭占める根拠がない
その悟りの力は・・・・悟るかどうかは人間次第である
大きい。・・・・・・・大小は人間が決めている
36:6
彼は
悪しき者を・・・・・・・・足(脚・肢・蘆)記物
生かしておかれない、・・・何時までのコトか?
時間の問題か?
蛙詞記物はナゼ存在しているのか?
苦しむ者のために
さばきを行われる。・・・・人間社会を
裁くのは「人間」であるが?
36:7
彼は
正しい者から
目を離さず、
位にある
王・・・・「王」がナゼ存在するのか
「王仁・王爾」と「鰐(わに・ガク)」に
訊いてみたいが・・・「千字文」・・・
「鰐」=魚+咢(口口一丂)
咢=おどろく・ガク
丂=曲がる・曲げる・コウ
咢=口々のイチ(一)を曲げる・・・
この「曲がったモノ」+「?の扁、旁」の
「部首漢字の意味」である・・・
↓↑
「顎=あご・頤
額=ひたい・ぬか・顙
鍔=つば・鐔・唾
鄂=湖北省の別称
鄂倫春族=オロチョン族
倫=伦
鄂温克族=エヴェンキ族
オトゴ-サウスルス?
(Otogo-saurus)
鄂托克(Otog)=トカゲauros(σαυρσ) 発見地の先住民の
薩茹拉(Sarula)にちなんで
中国語でOtogo-saurus=鄂托克龙
Otogosaurus sarulai
オトゴサウルス サルライ
薩茹拉 - 鄂托克龙
オトゴサウルス サルライ
音 語作得留素 猿 等意
卾(咢+卩・わりふ・セツ・セチ)
鄂(咢+阝・邑・むら・ユウ・ユ)
鶚=みさご
鶴=つる
愕=おどろく・驚愕・愕然」
・・・の学(まなぶ)、
「画句、臥句、芽句、牙句」である
・・・「王」ジタイの存在が問題である・・・
たちと共に、
とこしえに、・・・・・・永遠・永久
得意円、
重意遠(奄・縁)ではない・・・
彼らを
すわらせて、・・・・・・坐らせない
尊くされる。・・・・・・ミコトは
トウトクされない
36:8
もし
彼らが
足かせにつながれ、
悩みの
なわに
捕えられる時は、
36:9
彼らの
行いと、
とがと、
その
高ぶった
ふるまい
を彼らに示し、
36:10
彼らの
耳を開いて、
教を聞かせ、
悪を離れて
帰ることを
命じられる。
36:11
もし
彼らが聞いて
彼に仕えるならば、
彼らは
その日を幸福に過ごし、
その年を楽しく
送るであろう。
36:12
しかし
彼らが
聞かないならば、
つるぎによって滅び、
知識を
得ないで
死ぬであろう。
36:13
心に
神を
信じない者どもは
怒りをたくわえ、
神に縛られる時も、
助けを
呼び求めることをしない。・・・信じない(信じられない)から
当然である
新字等例名意
36:14
彼らは
年若くして・・・・年齢(年令)には関係無く
死に、・・・・・・示似
その
命は・・・・・・・意埜地
視こと
恥のうちに終る。・・・恥=耳+心
辱・愧じ・羞じ
把持・土師
葉字・嵌字
知
36:15
神は
苦しむ者を
その
苦しみによって救い、・・・苦しみとは試練?
彼らの耳(みみ・に・ジ)を
逆境によって
開かれる。・・・・・・・・耳を開いてドウスル?
36:16
神は
また
あなたを
悩みから、
束縛のない
広い所に
誘い出された。
そして
あなたの
食卓(ショクタク)に
置かれた物は
すべて
肥(こ・ヒ)えた物であった。・・・肥前・肥後・肥国
36:17
しかし
あなたは
悪人のうくべき
さばき
を
おのれに満たし、
さばき
と
公義
は
あなたを捕えている。
36:18
あなたは
怒りに誘われて、
あざけりに陥らぬように心せよ。
あがないしろ
の
大いなるがために、
おのれを誤るな。
36:19
あなたの叫びは
あなたを守って、
悩みを免れさせるであろうか、
いかに力をつくしても
役に立たない。
36:20
人々が
その所から
断たれる
その夜を
慕ってはならない。
36:21
慎んで
悪に傾いてはならない。
あなたは
悩みよりも
むしろ
これを選んだからだ。
36:22
見よ、
神はその力をもって
あがめられる。・・・・崇められるコトが目的なのか?
アメガムノン
だれか
彼のように
教える者があるか。
36:23
だれか
彼のために
その道を定めた者があるか。
だれか
『あなたは
悪い事をした』
と
言いうる者があるか。
36:24
神のみわざを
ほめたたえる事を・・・褒め称えればイイのか?
忘れてはならない。
これは
人々の歌い
あがめる
ところである。
36:25
すべての人は
これを仰ぎ見る。
人は遠くから
これを
見るにすぎない。
36:26
見よ、
神は大いなる者にいまして、
われわれは
彼(神)を知らない。・・・シラナイものである・・・
その年の数も
計り知る
ことが
できない。・・・・デキナイものが
ナゼ「大いなる者」なのか?
36:27
彼(神)は
水の
したたりを引きあげ、
その
霧をしたたらせて
雨とされる。
36:28
空は
これを降らせて、
人の上に
豊かに注ぐ。・・・・ヒトは知ることも
出来ない「神」なのに、
ナゼ、
「神の仕業」とするのか?
36:29
だれか
雲の広がる
わけ(訳)と、
その
幕屋の
とどろ(轟)く
わけ(訳)
とを
悟(さと)ることが
できようか。・・・今現在、一般人は、
訳(わけ・理由)も
「悟=対象を理解する能力
(悟性・Understanding)」
も出来る・・・
36:30
見よ、
彼は
その光を
おのれの
まわりにひろげ、
また
海の底を
おおわれる。
36:31
彼は
これらをもって
民をさばき、
食物を豊かに賜い、
36:32
いなずまをもって
もろ手を包み、
これに
命じて
敵を・・・・・敵とはダレか?
偶像崇拝の異教徒か?
打たせられる。
36:33
そのとどろきは、
悪にむかって・・・「悪」とは
「悪人」のみに向かってなのか?
怒りに燃える
彼を現す。
ーーーーー
・・・いまだ、「エリフ」の「神に対する理解」は出来ていないようであるし、「ヨブの疑問」にも「コタエ」てはいないようである・・・