・・・TVニュースで洪水の濁流の中を流れる大木を観ていて、その流木の浮き沈みが「龍・竜・辰」のように見えた・・・「方位学」では「東方の寅(虎)-卯(兔)-辰(龍)」は「青龍・大樹木」とも・・・昨日は北海道でも地震・・・夕方、従姉の息子が訪ねてき、お土産のソーセイジを置いて行ってくれた・・・外は曇天、雨天、風呂に入って、洗濯をしたが・・・「方位=ホウイ」の同音異字漢字では「包囲・法衣・砲威・報威」である・・・21:00 NHKスペシャル「緊急生討論・10党に問う・どうする安保法案採決」・・・危機意識と云う点では「タロウ」さんの発言が一番、「緊迫感」があった・・・多分、あそこに出席していた彼以外の「政治屋」は「高(タカ)を括(くく)=They took it lightly」っているんだろう(?)・・・「高(タカ)を括(くく)」をブログ辞典で調べてみたが・・・ボク的には「鷹を括る」か、「多寡を括る」で、「多掛を九九る」で、「太掛(タカ)を句々(クク)る」であるのだが・・・
ーーーーー
「高(タカ)を括(くく)る」
↓
戦争で相手(敵)の勢力、兵力を、
その「領地の広さ」、
及び
その「石高」にもとづい計算した
敵の領地の「石高」を計り、
敵の兵力を割り出し、
勝敗を推測した。
勝てると敵を「見縊(くび)」って、
戦いを仕掛けた・・・
↓
「高(タカ)を括(くく)る」
「高を括(くく)る」
侮る
馬鹿にする
軽んじる
軽視する
見下げる
見下す
見くびる
↓
「高を括る」
甘く見る
低く評価する
取るに足らないと思う
低価値と見なす
嘗めてかかる
疎んじる
重視しない
軽侮する
舐めきる
軽く見る
鼻で笑う
低く見る
安く踏む
過小評価する
くみしやすいと見る
蔑みの目で見る
嘲りの対象として見る
蔑視する
蔑む
侮蔑する
↓
自覚がない
自覚していない
無自覚
認識していない
認識が甘い
認識が欠けている
認識の甘い
認識の足りない
意識が欠けている
意識の甘い
意識が足りない
認識不足の
甘く見る
↓
「高を括る」
軽視する
過小評価する
迂闊な
無用心な
用心の足りない
軽く考える
軽く見る
↓
「高を括る」
安易に考える
甘い夢を見る
楽観する
楽観視する
呑気に考える
簡単に考える
↓
「高を括る」
belittle
minimize
underrate
underestimate
to make light of
take something for granted
↓
「たかをくくる」の
「たか(高)」=「生産高・残高など
物の数量や金額を見積もった
合計額・数量の程度」
「くくる(括る)」=「まとめる
物事に区切りをつける」
「たかをくくる」=この程度(高)だろうと
まとめる(括る)こと
安易に予測したり、
大したことはないと侮ること
戦いの勝敗の見込みを予測するため、
相手の領地の「石高」を計算した
↓
「木で鼻をくくる」=相手をばかにしたような
態度をとること
ーーーーー
旧約聖書
エズラ記・・・以斯拉記
第5章
5:1
さて
預言者(ヨゲンシャ・ヨゴンシャ)
預言写・与諺写
夜彦者・・・牽牛・彦星
アルタイ(鷲・鷹)
余彦者・・・余磐(巌)彦
与権者・・・壱与(與)
世(代・譽・豫・輿)現(元)者
ハガイ・・・葉臥意
葉雅意
頗画意
把雅意
歯害
破崖
嵌該
該=「前記(said)」に相当
該当・該事・該等・・・既述
該=言+亥(猪)=ゲンイ=原意
彦意・諺意・源意
亥=北西=猪→白猪→伊吹山
および
イド・・・意度・異途
井戸・緯度・異土
伊土・伊戸・怡土
出戸
id=「identification」の略
の子
ゼカリヤ・・・是掛理哉(埜)
の
二人(ふたり・ニニン)の・・・附太理之
(の=埜・廼・乃)
預言者(ヨゲンシャ)は、・・・預言写葉
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
と・・・・訳(と・ヤク)
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
にいる・・・・・似意留
ユダヤ・・・「委拿・諭拿・喩妥・由妥」ヤ
人(ひと・ジン・ニン)
に
向(む・コウ)かって、
彼(かれ・ヒ)らの
上(うえ・かみ・ジョウ)にいます
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の神の
名(な・メイ)によって
預言(ヨゲン)した。・・・与諺
5:2
そこで
シャルテル・・・写留照
の子
ゼルバベル・・・是留葉部留
および
ヨザダク・・・・与指(挿・覚)拿句
の子
エシュア・・・・重諏蛙
は立ちあがって、
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
にある
神の宮を建て始めた。
神の預言者たちも、
彼らと
共にいて彼らを助けた。
5:3
その時、
川向(かわむ・センコウ)こう
の州(くに・す・シュウ)の
知事(チジ)
タテナイ・・・太弖(氐・出・弟・𠂤・𠂤)名意
他(多・詫・侘・田・蛇)テ内
建てない・経てない・起てない
立てない・断てない・絶てない
発てない・裁てない
及(および・キュウ)・・・於予備
究・旧・舊・求・久
セタル・・・施多留
・
ボズナイ・・・模事名意
と
その
同僚(ドウリョウ)は・・・導両・同量
如何漁(了)
彼らの所に
来てこう言った、
「だれが
あなたがたに
この宮(みや・く・キュウ・グウ)を
建(た・たける・ケン)て、
この城壁(ジョウヘキ・しろかべ)を
築きあげることを
命じたのか」。
5:4
また
「この建物を建てている
人々の
名は
何(なん)というのか」
と尋ねた。
5:5
しかし
ユダ・・・「委拿・諭拿・喩妥・由妥」ヤ
人の
長老(チョウロウ)たちの
上(うえ・かみ・ジョウ)には、
神の
目(め・まな・まなこ・モク)が
注(そそ・チュウ)がれていたので、
彼らは
これを
やめさせることができず、
その事を
ダリヨス・・・拿理与素
に
奏して、
その
返答の来るのを
待った。
5:6
川向こうの州の
知事
タテナイ
および
セタル
・
ボズナイ
と
その同僚である
川向こうの
州の知事たちが、
ダリヨス
王(おう・ワン)に
送った
手紙(てがみ・シュシ)の
写(うつ・とる・シャ)しは
次(つぎ・ジ)の
通(とお・ツ・ツウ)りである。
5:7
すなわち、
彼らが
王(おう・ワン)に送った
手紙には、
次のようにしるされてあった。
「願わくは
ダリヨス
王(おう・ワン)に
全き
平安(ヘイアン)があるように。
5:8
王(おう・ワン)に
次のことを
お知らせいたします。
すなわち、
われわれが
ユダヤ・・・「委拿・諭拿・喩妥・由妥」ヤ
へ行き、
かの
大いなる
神の宮へ行って見たところ、
それは
大きな石を
もって建てられ、
材木を組んで
壁をつくり、
その
工事(コウジ)は
勤勉(キンベン)に
行(おこな・ギョウ・コウ・アン)われ、
彼らの手によって
大いに
はか(捗)・・・・進捗(シンチョク)
捗=チョク・チキ
どっています。
5:9
そこで
われわれは
その長老たちに
尋ねてこう言いました、
『だれが
あなたがたに
この宮を建て、
この城壁を築きあげることを
命じたのか』
と。
5:10
われわれは
また
彼らの
頭(かしら・トウ・ズ)たる
人々の
名を書きしるして、
あなたに
お知らせするために、
その名を尋ねました。
5:11
すると、
彼らは
われわれに
答えてこう言いました、
『われわれは
天地の神の
しもべであって、
年久しい昔に
建てられた宮を、
再び建てるのです。
これはもと、
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の
大いなる
王(おう・ワン)の
建てあげたものですが、
5:12
われわれの先祖たちが、
天の神の
怒りを
引き起したため、
神は
彼らを、
カルデヤ・・・珂瑠出哉
びと
バビロン・・・葉備
(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
論(賂務)
の王(おう・ワン)
ネブカデネザル・・・音部掛出根(禰)挿留
の手に渡されたので、
彼は
この宮を
こわし、・・・拠話詞・拠和史
民を
バビロン・・・葉備
(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
論(賂務)
に捕えて行きました。
5:13
ところが
バビロン・・・葉備
(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
論(賂務)
の王(おう・ワン)
クロス・・・・句賂素・玄素
の元年に、
クロス・・・・句賂素・玄素
王(おう・ワン)は
神の
この宮を
再び建てることの
命令を下されました。
5:14
また
クロス・・・句賂素・玄素
王(おう・ワン)は
先に
ネブカデネザル
が、
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
の宮から
バビロン・・・葉備
(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
論(賂務)
の神殿に移した
神の宮の
金銀の器を、
バビロン・・・葉備
(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
論(賂務)
の神殿(シンデン)・・・真典・新伝(傳)
から
取り出して、
彼が
総督(ソウトク)に・・・宗徳・相徳
双訳句・叢説・総解
任(ニン)じた
セシバザル・・・施詞葉挿留
という
名の者に
渡(わた・ト・ド)して、
5:15
彼に言われました、
「これらの
器(うつわ・キ)を
携えて行って、
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
にある宮に納め、
神の宮を
もとの所に建てよ」
と。
5:16
そこで
この
セシバザル・・・施詞葉挿留(猿・沙流)
は来て
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
にある
神の宮の
基礎(キソ)を
据(す)えました。
その時から
今に至るまで、
建築を
続けていますが、
まだ
完成(カンセイ)しないのです』
と。
5:17
それで
今、
もし
王(おう・ワン)が
よしと見られるならば、
バビロン・・・葉備
(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
論(賂務)
にある
王(おう・ワン)の宝庫を調べて、
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
の神の
この宮を
建てることの命令が、
はたして
クロス王(おう・ワン)
から出ているかどうかを確かめ、
この事についての
王(おう・ワン)の
お考えを
われわれに
伝えてください」。
ーーーーー
・・・タカをククる・・・
乙 未(丁・乙・己)
乙 酉(庚・ ・辛)
辛 卯(甲・ ・乙)
庚 寅(己・丙・甲)
・・・「午前5時49分ごろ、東京湾でM5.3の地震が発生」ですか・・・単純に考えれば「台風通過後」は「気圧が下がる」、そして「雨」が降れば、陸地地表が柔らかくなって、「カサブサ(瘡蓋・scab・crust)」になっている処は浮くだろう・・・虫歯になって穴があいたら食べ物が詰まるが、取り敢えずは口の中を窄(すぼ)めて口の中の空気圧を下げて、詰まったモノを吸い上げ、その後、舌の先でナゾ(重ね触れて・透かし写す)って吸い出すだろう・・・怪我で「カサブサ(瘡蓋・scab・crust)」になった処は風呂に入った後には痒いし、掻いたら剥がれやすくなる・・・地球、地表の「カサブサ(瘡蓋・scab・crust)」って、火山の火口を塞いでいる固まった溶岩である。台風通過後に気圧が下がれば、浮くか、剥がれる・・・雨水で地盤の弱くなったカ所は当然、崩れる。決壊する・・・ニュースでは「太陽光発電の工事事業者が土手の高さを2mほど削っていた(?)」らしいとか・・・コレには住民の「警告もあった」とか・・・
NHKの朝の「週刊ニュース深読み・どう決める?“愛される”五輪エンブレム(emblem=道徳的真理や寓意・抽象的、具象的な象徴的な画像)」では「国民のコンセンサス(consensus・意見の一致、総意)」を得る手順をドウスルのかを話し合っていたが、「安保関連法案」の「国民のコンセンサス(consensus・意見の一致、総意)」を得る手順も同じだろう・・・人口を考えるならば時間もカネもカカルだろうが「自治会の賛否」→「各地方議会の賛否」→「国会」→「国民」に問うプロセスはどうか・・・これは「国会議員へのお願い、陳情」ではない。「国会重要法案」に対する拘束力のあるシステムとしてである・・・
「説明不足」の説明とは「生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」の鸚鵡(オウム)返しの「コトバ」ではない。その「内容の説明不足」なのである・・・「日本国憲法の条文論理」違反もさるコトながら、中身もボロボロである・・・
「自民党+公明党+α」は「法律そのものの違反かドウか」は「最高裁判所が決定する」と云っているが、もし、この法案が国会で可決され後に、「憲法違反訴訟」が起こされたら「最高裁判事」はドウ判決するんだか・・・「日本国憲法違反」を取り締まる「法律条文」も「組織」もない・・・当然にも「冤罪判決」した「裁判官」を罰する「法律」もない・・・「弾劾裁判」があるが・・・いい加減である・・・司法試験の漏洩事件・・・
すでに、「国家」である限り、「諸国家との対外問題」が起こるのは当然であるが、「対外問題」は「国家領域の住民の意志決定の是非の問題」である・・・選ばれたハズの「国会議員の意志」と、選んだハズの「国民の意志」のバランスの乖離があるのは「不透明で、曖昧な決定」があるからだ・・・国民に選ばれた「国民の代表」であるらしい「国会議員」であるらしいが、「特権がワンサカ」で、「特権意識もワンサカ」である・・・
「国民」って、「日本国憲法」下のアンタやオレのコトらしいが・・・アベは「政治家」は「国民を守る義務」があると云っているのは当然ではあるが、「日本国憲法を否定論者」で、既に守らない「政治家」である・・・「タカジン番組(9月6日日曜)出演」の彼が、アンタやオレを「守ってくれる」と思っているオメデタイ「他人任せの国民」なんだか、ドウなんだか・・・
「国民」って「国内問題」で、常に「生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」に晒されている個々人は「戦争以前に明白」であるが・・・「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」でなくても「明白な危険」が起こるのは当然である・・・この「密接な関係」の「密接」とは「軍事同盟」だけのコトなのか・・・「密接な関係」とは国家間では「経済」だが・・・今や「国家」を越えた「諸国民の経済生活」である・・・
当然、「武力衝突」が起これば「大陸中国」や「北朝鮮・韓国」、「ロシア」からの「難民」は発生する・・・日本国家は「アフリカ・中近東」からの「難民」を拒んでいるらしいし、既にヨーロッパ諸国は「中近東諸国」、「ISIS」からの「逃亡難民」の現実がある・・・歴史に記録される過去的な世界規模の「民族移動」とはナニが原因だったのか・・・
「日本国国民」は「戦争難民以前」に「生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な日常的な危険」に晒されている・・・
で、「日本国民」は「難民」として他国へ避難、逃亡する道はあるのか・・・あったとして、「日本国民(?)のダレが、ドコへ批難、逃亡」できるのか?・・・「亡命」・・・格好イイ、コト葉でもある・・・「亡命」もカネ次第・・・
「地球日本列島地区居住民のホトンド」はナニがあっても「日本地区」に「しがみつく」よりは無い・・・ムカシ(昔→無化し)、ムカシ(昔→務過思)にはミンな最果ての極東に、それ以上は逃げ場のない「日本列島」に逃げてきた人々だから・・・だが、そこは「地震・津波・火山噴火・台風・豪雨・洪水」が定期的に襲って来る場所だった・・・居すわった人々にとっては「諦めの問題」では無く、コレラと付き合っていく「覚悟の問題」であった・・・
そして、更に一部の人々は氷がハッた海峡の上を歩いて北米大陸へ渡った・・・更には「舟=船」で漂流して・・・
・・・カミが居ようと居まいと、「旧約聖書の人間達」はソレを教えてくれている・・・ソレは「ノア(梛亞)の覚悟」から始まった・・・漢字の「梛・亞・和」は彼の存在意味を教えてくれ(呉れ)ている・・・
「梛(なぎ・ダ・ナ)」
「亞(つぐ・ア・エ)」
「和(やわらぐ・ワ・オ)」
・・・「アブラハム=亞伯蘭(亞伯拉罕)」は理不尽なカミの要求に「煩悶(→反問)」し、「サラ(撒拉)」は「嗤(わら・シ)=口屮一中ム」ったが・・・「屮(ひだり・左手・てつ・サ)」・・・
「罕(カン・㓁干)=䍐(罒干」は「稀(まれ・少ない・珍しい)・網=网(あみ・とりあみ・鳥を捕らえる網・よこめ)」の意味・・・
ーーーーー
第4章
4:1
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
と
ベニヤミン・・・俳似埜視務
の
敵である者たちは
捕囚から帰ってきた人々が、
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の神、
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種のために
神殿を建てていることを聞き、
4:2
ゼルバベル・・・是留葉部留
と
氏族の長たちのもとに来て言った、
「われわれも、
あなたがたと
一緒にこれを建てさせてください。
われわれは
あなたがたと同じく、
あなたがたの神を礼拝します。
アッスリヤ・・・掏り屋・刷り屋
擦り・磨り・摩り・擂り
の
王(おう・ワン)
エサル・・・重作留
・
ハドン・・・葉度務
が
われわれを
ここにつれて来た日からこのかた、
われわれ
は彼に犠牲をささげてきました」。
4:3
しかし
ゼルバベル、
エシュア
および
その他の
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来伊斯列児・衣斯辣衣耳
の氏族の長たちは、
彼らに言った、
「あなたがたは、
われわれの神に
宮を
建てることに
あずかってはなりません。
ペルシャ
の王(おう・ワン)
クロス
王(おう・ワン)
が
われわれに命じたように、
われわれだけで、
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来伊斯列児・衣斯辣衣耳の神、
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種のために建てるのです」。
4:4
そこで
その地の民は
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の民の手を弱らせて、
その建築を妨げ、
4:5
その企てを
破るために
役人を買収して
彼らに敵せしめ、
ペルシャ・・・波斯
経留写
王(おう・ワン)
クロス・・・句賂素
の代から
ペルシャ王(おう・ワン)
ダリヨス・・・拿理与素
の
治世にまで及んだ。
4:6
アハスエロス・・・蛙葉諏得賂素
の治世、
すなわち
その治世の初めに、
彼らは
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
と
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
の住民を
訴える
告訴状を書いた。
4:7
また
アルタシャスタ・・・蛙留他(多・太)写素多
の世に
ビシラム、・・・・備詞等務
ミテレダテ、・・・視出例拿務
タビエル・・・・・他備重留
旅重留
度重留
足袋重留
太尾得留
および
その他の同僚も、
ペルシャ
王(おう・ワン)
アルタシャスタ
に手紙を書いた。
その手紙の文は
アラム・・・・蛙等務
阿等務
語で
書かれて
訳(ヤク・と・おさ)・・・訳語田
されていた。
4:8
長官
レホム・・・例補務
と
書記官
シムシャイ・・・詞務写意
は
アルタシャスタ・・・蛙留太写素多
有る他者素多
王(おう・ワン)に
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
を訴えて
次のような手紙をしたためた。
4:9
すなわち
長官
レホム・・・例補ム
と
書記官
シムシャイ・・・詞務写意
および
その他の
同僚(ドウリョウ)、・・・導両
すなわち
裁判官(サイバンカン)、・・・歳版換
知事(チジ)、・・・知字
役人、
ペルシャ・・・経留写
人、
エレク・・・・重例句
の人々、
バビロン・・・葉備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)論(賂務)
人、
スサ・・・・須佐・・・須佐之男
の人々
すなわち
エラム・・・重等務
びと、
4:10
および
その他の民
すなわち
大いなる尊い
オスナパル・・・於(緒)須名葉留
が、
移して
サマリヤ・・・作万理也
の町々
および
川向こうの
その他の地に
住ませた者どもが、
4:11
送った手紙の
写しはこれである。
―「アルタシャスタ
王(おう・ワン)へ、
川向(かわむ・センコウ)こう
の
あなたのしもべども、
挨拶(あいさつ)を申し上げます。
4:12
王(おう・ワン)よ、
ご承知ください。
あなたのもとから、
わたしたちの所に
上って来た
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥ヤ人らは
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)に来て、
かの
そむいた
悪い町を
建て直し、
その
城壁を築きあげ、
その
基礎をつくろっています。
4:13
王(おう・ワン)よ、
いま
ご承知ください。
もし
この町を建て、
城壁を築きあげるならば、
彼らは
みつぎ、
関税、
税金
を
納めなくなります。
そうすれば
王(おう・ワン)の
収入(シュウニュウ)が
減(へ・ゲン)るでしょう。
4:14
われわれは
王(おう・ワン)宮の塩を
はむ者ですから、
王(おう・ワン)の不名誉を見るに
忍びないので、
人をつかわして
王(おう・ワン)にお聞かせするのです。
4:15
歴代の記録を
お調べください。
その記録の書において、
この町は
そむいた町で、
諸王(おう・ワン)
と
諸州
に害を及ぼしたものであることを見、
その中に
古来、
むほん
の行われたことを
知られるでしょう。
この町が
滅ぼされたのは
これがためなのです。
4:16
われわれは
王(おう・ワン)にお知らせいたします。
もし
この町が建てられ、
城壁(ジョウヘキ・しろかべ)が
築きあげられたなら、
王(おう・ワン)は
川向こうの領地を
失うに至るでしょう」。
4:17
王(おう・ワン)は
返書を送って言った、
「長官
レホム、
書記官
シムシャイ、
その他
サマリヤ
および
川向こうのほかの所に
住んでいる同僚に、
あいさつをする。
いま、
4:18
あなたがたが
われわれに
送った手紙を、
わたしの前に
明らかに読ませた。
4:19
わたしは
命令を下して
調査させたところ、
この町は
古来、
諸王(おう・ワン)に
そむいた事、
その中に
反乱、
むほんのあったことを
見いだした。
4:20
また
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
には
大いなる王(おう・ワン)たちがあって、
川向こうの地を
ことごとく
治め、
みつぎ、
関税、
税金
を
納めさせたこともあった。
4:21
それで
あなたがたは
命令を伝えて、
その人々をとどめ、
わたしの命令の下るまで、
この町を建てさせてはならない。
4:22
あなたがたは
慎んでこのことについて
怠ることのないようにしなさい。
どうして
損害を増して、
王(おう・ワン)に
害を及ぼしてよかろうか」。
4:23
アルタシャスタ
王(おう・ワン)
の
手紙
の
写し
が
レホム
および
書記官
シムシャイ・・・詞(史)務写意
と
その同僚の前に
読み上げられたので、
彼らは
急いで
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
の
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥ヤ
人のもとに
赴(おもむ・フ)き、・・・赴任
腕力(ワンリョク)
と
権力(ケンリョク)
とをもって
彼らを
やめさせた。
4:24
それで
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
にある神の
宮の工事は
中止された。
すなわち
ペルシャ
王(おう・ワン)
ダリヨス
の
治世
の
二年
まで
中止された。
ーーーーー
・・・
・・・昨日は茨城県の鬼怒(きぬ)川、25名行方不明、未だ「580人+α」が救助待ち。それに周辺住宅では停電、断水・・・未明から今朝は宮城県の渋井(しぶい)川、河川決壊ですか。キッと昨日はTVの災害ニュースに齧りついて見ていた人々もイタダろうに、「我が身の安全確保の危機意識」はドウだったんだか・・・「線上降水帯」・・・夜明け過ぎから早朝から今現在、午前11時、ココは不気味なくらい雲間から日差しもあり、風も無いが・・・嵐の前の静けさ・・・危険な状態での「自衛隊のヘリコプター」の緊急救助活動には感謝。接触事故で墜落しないように救出活動を唯、ただ祈りたい・・・
ーーーーー
旧約聖書
エズラ記・・・以斯拉記
第3章
3:1
こうして
イスラエル
の人々は
その町々に住んでいたが、
七月(シチガツ・なながつ)・・・文月・文暴月
になって、
民は
ひとりのように・・・・比訳理之与得似
エルサレム・・・・・・重留作(差)例務
に集まった。
3:2
そこで
ヨザダク・・・与挿(指・覚)拿句
の子
エシュア・・・重取蛙(阿・吾)
とその
仲間(なかま・チュウゲン・チュウカン)の
祭司(サイシ)たち、
および
シャルテル・・・写留氐(弖・手・𠂤・堆・弟・出)
の子
ゼルバベル・・・是留葉部留
と
その
兄弟(キョウダイ・えと)
たちは
立って、
イスラエル
の神の祭壇を築いた。
これは
神の人
モーセ・・・申せ・望是
の律法(リッポウ)に
しるされたところに従って、
その上に
燔祭(バンサイ)を
ささげるためであった。
3:3
彼らは
国々の・・・・・・異国・他国・外国
民を・・・・・・・異邦人・異人・外人
恐れていたので、
祭壇を
もとの所に設けた。
そしてその上で
燔祭を
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
にささげ、
朝夕(あさゆう・チョウセキ)
それをささげた。
3:4
また、
しるされたところに従って
仮庵(かりいお・カアン)の祭
を行い、
掟(おきて)に従って、
毎日(マイニチ・マイジツ・バイカ・ごとひ・か)
「毎=ごと・かず・つね・マイ・バイ
毎回・毎号・毎週・毎食・毎度
毎日・毎年・毎晩・毎毎
人毎(ひとごと)・夜毎(よごと)
毎=髪飾りをつけた女
毎=𠂉(かみさし)+毋(なかれ・ない・ブ・ム)」
毋=女+一
禁女犯の字形
女の一=巫女
壱(壹→臺)與(与)
覡・坊主の禁女犯・禁戒
母親との関係の禁犯
類字は毌(囗+十)=つらぬく=貫
毌(口+十)
𠂉(髪挿し・櫛・串
𠂉=簪・笄・鈿・篸=かんざし=金指
「毎」=~ごとに・~たびに・など・どの~もみな
日毎=ひごと=比語訳
阿毎王朝(隋書)=肥後・熊本←(随処)
ズイショ=図医書・事遺書
瑞 書=高野長英=瑞皐(ずいこう)
久坂(日下)玄瑞=諱は通武
通称は実甫・誠
義助
妻は吉田松陰(寅二郎)
の妹、
杉文(ふみ)→みわ(美和)
ささぐべき
数(かず・スウ)の・・・・・・数=かず=和=下図=下圖
歌事・掛事
スウ
素得・蘇得・諏得
通(とお・ツウ・ツ)りに、・・・・・・通理似
日々(ひび・ニチニチ・ジツジツ)・・・比備
似知
実實・字通事通
の
燔祭(バンサイ・ハンサイ)
を
ささげた。
3:5
そして
その後(ゴ・あと・のち・うしろ)は
常燔祭(ジョウバンサイ)、・・・常陸版歳(載)
新月(シンゲツ・つきたち)・・・朔(ついたち)
追意多知
と
主
の
すべて
定められた
祭とに
ささげる供え物
および
各自(カクジ)が・・・「各似・各字・各事・各時」臥
書く字・斯く字・欠く字
郭児(廓の子)→郭務悰
花魁(藝妓)の児
主にささげる
真心よりの
供え物をささげた。
3:6
すなわち
七月・・・・・・文月・文暴月
文通記
名納通記
一日(ついたち)・・・朔
通意多知
から
燔祭を
主に
ささげることを
始めたが、
主の宮の
基礎(キソ)は・・・記素・起訴
木曽・木曾・木祖
木曾の御嶽山
長野県木曽郡木曽町王滝村
と
岐阜県下呂市・高山市にまたがる
乗鞍火山帯の南端にそびえる複式火山
剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳、継子岳
からなる
まだ
据(す)えられて・・・饐(す)えられて
なかった。
3:7
そこで
石工(いしく・セキコウ・たくみ=匠)
と
木工(きく・モッコウ・たくみ=匠)
に
金(こがね・かね・キン)を渡し、
また
シドン・・・詞度務
と
ツロ・・・・通賂
の人々に
食い物、・・・句意摸之
飲み物・・・・埜視摸之
および
油(あぶら・ユ)を・・・蛙部(分)等
阿武等・・・阿礼と天武
与えて、
ペルシャ・・・・波斯・経留写
王
クロス・・・・・句賂素(諏・蘇・数・州・子)
から得た
許可(キョカ)に
従って、
レバノン・・・・例葉(馬・萬=万・蔓)之務
司馬宣・太安万侶・鶴→鶴ヶ城
敦賀城
から
ヨッパ・・・・与通葉
の
海(うみ・カイ)に・・・産み・生み・宇美
甲斐・蝦夷
會津・会津・相津
歌意・下意
香柏(コハク・コウハク)・・・琥珀・高伯
項葉句
を運ばせた。
3:8
さて
エルサレム・・・重留作例務
の神の宮に
帰った
次の年の
二月(ニガツ・ニゲツ・きさらぎ)に、
似画通・似解通・如月=ごとしつき
語訳詞通記
後訳詞通記
シャルテル・・・写留弖(氐)留
写留照
の子
ゼルバベル・・・是留葉部留
と
ヨザダク・・・・与挿拿句
与指濁→濁点
ガギグゲゴ・ザジズゼゾ
ダジズゼゾ・バビブベボ
ヴァ・ヴィ・ヴゥ・ヴェ・ブォ
の子
エシュア・・・重取蛙
は
その
兄弟(キョウダイ・ケイダイ・えと・あにおとうと)
で
ある他の祭司、
レビ・・・例備
びと
および
捕囚(ホシュウ)から・・・補修・補習・捕集
エルサレム
に帰って来た
すべての人々と共に
工事(コウジ)を始め、
二十(ニジュウ・はたち)・・・弐拾・念=二十
二重・似重
葉多知
歳(サイ・とし)
以上(イジョウ)の・・・・・・移譲・委譲・移乗・囲繞
意定・意常
異常・異状
レビ・・・・・・・・・・・・・例備(尾)
びとを立てて、
主(あるじ・シュ)の・・・・・在る字
宮(みや・く・キュウ)の・・・視哉(埜)
句
究
記瑜得・・・賢瑜
宄諭得
工事(コウジ)を・・・考字
監督(カントク)・・・感得
寛徳・・・寛永年間の徳川?
↓↑
・・・以下は「ウイッキペデア」を
参照、参考にし、少々改作して添付・・・
↓↑
元和十年二月三十日(1624年4月17日)
讖緯説に基づく
「甲子革令」に当たり
「寛永」に年号改元
この時期の天皇は
後水尾天皇、
明正天皇、
後光明天皇
↓↑
讖緯説(シンイセツ)=讖緯思想・図讖
「讖=未来予言書」
「予言書=讖記」
「緯=儒教経典の書物=緯書」
後には、
双方、予言を指す言葉、書物とされた
「讖緯」=「予言」
↓
「隋書・経籍志」に、
「説者又た云う、
孔子は既に六経を叙し、
以って
天人の道を明らかにするも、
後世には、
その意に
稽同すること能わざるを知り、
別に
緯
及び
讖を立て、
以って
来世に遺す」
↓
讖緯説が盛んになったのは
「王莽(西暦元年~)の新の時代」
王莽の即位を予言する
「瑞石が発見された」とされ、
王莽はそれを利用して
漢朝を簒奪
儒教の
「経書」に
対する
「緯書」が後漢代にも盛んに述作
後漢の
光武帝も、
讖緯説を利用して即位
↓↑
春秋戦国時代の
「天文占」などに由来する
「讖記」が、
「緯書」の中に採り入れられ
それらも、
「孔子の言」であるとされた
儒者であった
「鄭玄」や・・・・鄭(奠阝)の玄(もと)
「馬融」らも、・・馬(瑪太)を融(とかす)
「緯書」を用いて経典を解釈した
「論語」に対する
「論語讖」まで登場
↓↑
「桓譚」や
「張衡」は、
讖緯説を否定した
「讖緯説」
新の時代以来、
王朝革命
易姓革命
に結びつき
時の権力から危険視
南北朝以来、
歴代の王朝は
「讖緯書」を
禁書にし、販売を禁圧した
王朝交代の革命の年である
「辛酉(シンユウ)の年」の
四年後で、
天意が革(あらた)まり、
「徳を備えた人に天命が下る」
「革令=甲子の年」は、
変乱の多い年とされた(甲子革令)
それを防ぐ目的で、
日本の平安時代以降
毎度、
この年(甲子=六十周期に一回)に
改元が行われた。
1024年の甲子改元以降で、
「甲子改元」が無かったのは
永禄七年(1564年)のみ
桓武天皇は、
同母兄弟の
天智系の王子(大友皇子)を殺害し
即位した
天武系の王統が断絶した後に
即位した
光仁天皇(天智天皇系)から
皇位を継承したことから、
王統交代を強く意識し
「革令の年・784年」
に
「長岡京」・・・長岡市は
出羽、山形県である
に遷都・・・?
明治(一世一元の詔)で
天皇在位中の改元は廃止された
↓↑
184年
後漢末期に起こり、
漢の解体を決定付けた
「黄巾の乱」は、
「蒼天已死
黃天當立
歲在甲子
天下大吉
(後漢書・七十一巻
皇甫嵩朱列傳・第六十一・皇甫嵩伝)
とした
↓
1384年
南北朝期
「陸奥の国(福島県)」で発見された温泉は、
「甲子の年」にちなんで
「甲子温泉(かしおんせん)」と名づけられた?
カッシ・コウシ
元治元年(1864年)の
甲子の年
「伊東大蔵(大藏)」は
「伊東甲子太郎(かしたろう・きねたろう)」
と改名
大正十三年(1924年)
兵庫県西宮市に作られた野球場名
「甲子園(こうしえん)大運動場
(阪神甲子園球場)」
と命名
↓
甲子の月
西暦年の下1桁が
3・8
(十干が癸・戊)の年の
十一月が甲子の月となる
旧暦の十一月、
節月(大雪~小寒の前日)
↓
甲子の日
干支の組合せの1番目
甲子の日は吉日
「子=鼠」と結び付かせ、
鼠=大黒天の使者
大黒天祭(甲子祭)
↓
甲子待(かっしまち)
子の刻(23時~翌日1時迄)まで起きて
大豆
黒豆
二股大根・・・二又・二俣
を供え、大黒天を祀った
松浦静山の随筆集
「甲子夜話」
1821年
文政六年
十一月
十七日
の
甲子日に書き始めた・・・
↓↑
・・・随分と横道にソレた・・・
↓↑
寛永年間(1624~1645年)
徳川家光(第三代将軍)は
コトバに吃音(どもり)があったらしい・・・
諡号は
「大猷院」
寛永六年
紫衣事件
寛永十二年
柳川一件・生駒騒動
寛永十四年
島原の乱
寛永十七年
大飢饉
↓↑
寛永寺(上野)は
幕軍の江戸の最期の拠点
寛永二年(1625)
慈眼大師
天海大僧正の創建である・・・
させた。
3:9
そこで
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の子孫である
エシュア・・・重諏蛙
と
その子ら
および
その兄弟、
カデミエル・・・歌で見える
掛出視重留
と
その子らは共に立って、
神の宮で
工事をなす者を
監督した。
ヘナダデ・・・経那拿出
の子ら
および
レビ・・・例備(尾)
びとの子らと、
その兄弟たちも
また
一緒であった。
3:10
こうして
建築者(ケンチクシャ)が
主の宮の基礎をすえた時、
祭司たちは
礼服をつけて
ラッパ(喇叭)・・・等通葉
をとり、
アサフ・・・・・・・蛙差附
の子らである
レビ
びとは
シンバル・・・・・・新葉留
をとり、
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王
ダビデ
の指令に従って
主を
讃美(サンビ)した。・・・愛媛・伊予・讃岐
纂尾(備)
3:11
彼らは
互に歌いあって
主を
誉(ほ)め、
かつ
感謝(カンシャ)し、
「主はめぐみ深く、
その
慈(いつく・ジ)しみは
とこしえに
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
に
絶えることがない」
と言った。
そして
民は
みな主を
さんびするとき、
大声をあげて叫んだ。
主の宮の基礎が
すえられたからである。
3:12
しかし
祭司、
レビ・・・例備(尾)
びと、
氏族の長である
多くの人々のうちに、
もとの宮を
見た老人たちがあったが、
今この
宮の基礎の
すえられるのを見た時、
大声(おおごえ・ダイセイ)を
あげて泣(な)いた。
また
喜びのために
声をあげて叫ぶ者も
多(おほ・タ)かった。
3:13
それで、
人々は
民の喜び叫ぶ声と、
民の泣く声とを
聞きわけることが
できなかった。
民が
大声に叫んだので、
その声が遠くまで
聞えたからである。
ーーーーー
・・・豪雨、大洪水の後にくるモノは・・・飢饉・・・
・・・台風18号→温暖低気圧→又、台風17号、それに竜巻、突風・・・大雨、大洪水、土砂崩れ、被害甚大・・・ここ(蝦夷地)は今のトコロ、曇天だが風も雨も無く平穏だが・・・何時、急変するんだか・・・多分、この「自然災害の発端」は・・・?・・・火山噴火の「火山灰の地球規模の浮遊」と気候との連動関連・・・
ーーーーー
・・・その発端は・・・
2010年
4月14日
アイスランド
エイヤフィヤトラヨークトル噴火
西風(偏西風)により
火山灰が地球規模に拡大・・・
↓
アイスランド
大西洋中央海嶺が
アイスランドの上を横断して
北アメリカプレートと
ユーラシアプレートを分断
↓
ユーラシアプレート
ユーラシア大陸
(シベリア東部、
インド亜大陸、
アラビア半島を除く)
を構成する
プレート
↓
相模トラフから
南海トラフ、
南西諸島海溝、
フィリピン海溝にかけて
フィリピン海プレートが
ユーラシアプレート
の下に
沈み込んでいる
糸魚川~静岡構造線で
北米プレートと
ユーラシアプレートが衝突・・・
↓↑
アイスランド
1つの噴火口からの
噴火(eruption・volcanic activity)
だけではなく、
割れ目噴火
(1783年
ラカギガル割れ目噴火)
など
噴出する溶岩量は
この500年以上の間、
アイスランドの火山群だけで、
地球上に噴出した
溶岩総量の3分の1を噴出・・・
2008年現在、
30の活火山が存在・・・
↓↑
2010年
「エイヤフィヤトラヨークトル」噴火
北部ヨーロッパで
航空機での移動や航空貨物の輸送を
数週間麻痺
「エイヤフィヤトラヨークトル」
は
アイスランドでは小さな火山の1つ
↓↑
2011年3月11日
東北大地震と大津波、
福島原発メルトダウン
↓↑
2011年5月
↓
「ヴァトナヨークトル」氷河の下にある
「グリムスヴォトン」から、
数千トンの火山灰が数日に渡って噴出
↓↑
火山噴火の歴史記録
↓↑
1815年4月10日
インドネシア
スンバワ島
タンボラ山が大噴火
VEI7
飢饉、疫病などで
9万人以上犠牲
↓
1883年
インドネシア
クラカタウ
津波と火砕流
36,000人以上犠牲
↓
1902年
西インド諸島
マルティニーク島
プレー山
火砕流が
サン・ピエールを襲い
32,000人あまり死亡
↓
1919年
インドネシア・ジャワ島
ケルート山
ラハールが発生
5,100人の死亡
↓
1930年
インドネシア
ジャワ島
ムラピ山
メラピ型火砕流
約1,300人死亡
↓
1965年
フィリピン
タール山
ベースサージによって
約2,000人死亡
↓
1980年5月18日
アメリカ合衆国
セント・ヘレンズ山
山体崩壊
↓
1985年11月13日
コロンビア
ネバド・デル・ルイス山
ラハールにより
21,500人死亡
↓
1991年6月
フィリピン
ピナトゥボ山
20世紀最大の火山噴火
↓
1997年
モントセラト島
スーフリエール・ヒルズ
首都プリマスが壊滅
↓
2004年
12月26日
スマトラ島沖地震と大津波
↓
2007年
タンザニア
オルドイニョ・レンガイ
↓
2008年
5月12日14時28分
中国
四川大地震
死者6万9197人
負傷者37万4176人・・・?
(5月10日
四川省綿竹市西南鎮の檀木村
数十万匹の
蟇蛙(蟾蜍・ヒキガエル)
の大規模な移動)・・・
↓
2010年
4月14日
アイスランド
エイヤフィヤトラヨークトル噴火
強い西風により被害が拡大
8月30日
インドネシア・スマトラ島
シナブン山噴火
↓
10月26日
インドネシア・ジャワ島
ムラピ山噴火
↓
10月28日
ロシア・カムチャッカ半島
クリュチェフスカヤ山
シベルチ山
が
同時噴火
↓
2011年3月11日
東北大地震と大津波、
福島原発メルトダウン
ーーーーー
・・・自然の営みの枠内で人間社会は「恩恵も災害」も受けている・・・
「安保法案(安全保障関連法案)」
などやっている時期か・・・
「・・・
国民の
生命、
自由
及び
幸福追求の権利が
根底から覆される明白な危険があること・・・」
は「日常茶番」である・・・
・・・「ノア(挪亜)」の時代から・・・
ーーーーー
・・・漢字聖書の「霊経・創世記・挪亜和洪水」の「ノア=挪亜(和)」・・・「挪=別の場所へ物を動かす・位置を変える・時間を変更する」・・・移動で、「うつす」である・・・
・・・「写字生(エズラ記7:6)」であった「以斯拉」がナンで「エズラ=Ezra」と発音で音読出来るのか?・・・「以遠・以往・以下・以外・以後・以降・以上・以西・ 以前・以東・以内・以来」、「斯界、斯学、斯道」・・・「瓦斯 (ガス)・螽斯 (きりぎりス) ・窒扶斯 (チフス) ・波斯 (ペルシア・ハシ・ハス)・斯波(シバ)氏 ・・斯(か)く、斯(か)く、しかじか(云々・然々)・・・拉(ラ・ラツ・ロウ・ひしぐ・くじく=挫く・強引に連れていく)、「拉致 (ラチ・ラッチ) ・拉麺(ラーメン)・拉薩(ラサ・ラッサ)・拉丁(ラテン)」などで、「以(イ)斯(シ・ス)拉(ラ・ロウ)」は「エズラ」ではなく、「イシラ(ロウ)かイスラ(ロウ)」である・・・「以(イ)」は母音だから「エ」と近似するから「イェ」か「エィ」になるカモ・・・彼が「写字(シャジ)生」であったなら、日本じゃぁ「舎人(とねり・シャジン)」で、「舎人親王」だろう・・・「舎=シャ=写」の漢字音が共通するが、
「写字( copying・transcription
写字生=copyist・amanuensis」
も漢字、換字の「訳語(トゴ・ヤクゴ)」である・・・
ギリシャ語「グランマテウス=書士・公に教え諭す者」
ヘブライ語「ソーフェール=数える」の訳語
素緒増え重る
措緒附重得留
・・・?・・・
ーーーーー
舎人親王
↓
天武天皇五年(676年)
~
天平七年十一月十四日(735年12月6日)
享年六十歳
舎人皇子(とねりのみこ)
天武天皇の
第五皇子(第三皇子?)
知太政官事一品
↓
「長屋王の変」
天平元年(729年)二月
塗部君足・・・・・・塗り部の訓蛙詞
中臣宮処東人・・・・あてるオミ、
視哉、書の蛙通万訊
急所を問う訊(字務)
の讒言、密告により
藤原宇合(うまかい・馬飼)に・・・馬会
葉歌意
包囲、拉致
↓↑
舎人親王は
母親の
新田部親王と共に
「長屋王
(父は高市皇子
母は御名部皇女・・・・・音名部
妻は吉備内親王・・・・・吉備←日下部皇子の娘
久坂玄瑞
子は膳夫(膳部)王・・・膳夫(かしわで)
親新羅派)」
を糾問し、自害させた
↓↑
舎人親王
贈・太政大臣
淳仁天皇の父
諡号
「崇道尽敬皇帝
(スドウジンケイコウテイ)」
「日本書紀(養老四年・720年・五月二十一日)
(紀三十巻・系図一巻←行方不明?)」
編集上奏の中心人物である・・・「系図一巻」が何処かに隠蔽されたか委棄(遺棄)された・・・?
ブログ記事を調べていたら、以下の記事があったので、添付しておく・・・
↓↑
伊藤博文は
山尾庸三と一緒に
「塙己保一(寅之助
失明後は
辰之助
号は
多聞房)」
の息子
「塙次郎-忠宝」を暗殺した・・・
彼は「廃帝事例調査」していた・・・?
↓↑
「伊藤博文、ベルリンの酒場で、塙次郎暗殺を懺悔」
↓
http://blog.goo.ne.jp/514303/e/76b941ff3a106ae3c763f99ab4c954a2
↓
ペルシャ=波斯
↓
伊蘭・伊朗・意蘭
イラン
↓
フランツ・フォン・シーボルトの
長男
アレクサンダー・フォン・シーボルトの日記・・・?
伊藤博文が語った
文久二年(一八六二)十二月二十一日夜
塙次郎忠宝〈ハナワ・ジロウ・タダトミ〉
暗殺の一部始終を記録・・・?
日記の原書
(Alexander von Sievolt“Die Tragebücher・A 1866~1892
Herausgegeben von Vera Schmidt・
Harrassowitz Vertag・Wiezbaden/1999)
1882(明治十五)年三月二一日(土曜日)
の日記
伊藤の秘書の
伊東巳代治(ミヨジ)・・・視よ、字・・・苗字?
も居合わせた
ベルリンのヒラーなる酒楼で・・・
伊藤のこの夜の告白が、
シーボルトには
伊藤博文の
本心からの懺悔だと思えた。・・・?
彼はこれを綴った日の
日記の最後の言葉を
「美しき魂の告白!
(Gestaendnisse einer schönen Seele!)」
と結んでいる。
なお、
シーボルトは子供のころから
父・フランツ・フォン・シーボルトについて、
日本語に堪能で、
日本外務省の通訳をつとめていた。
ーーーーー
・・・ボク的には「伊藤博文(ハクブン)」が「本心からの懺悔」だとは思われない・・・「廃帝事例調査」=「天皇家系図」=「明治天皇」に関わる大問題であるからだ・・・「日本書紀・紀三十巻・系図一巻←行方不明」であるカナ・・・?・・・
「博文=ハクブン=白文=博聞」である・・・
「1000円(千円・阡圓=センエン=撰圓・遷延・箋重武・箋絵毋)札(昭和38年・1963年)」の肖像である・・・撰縁かも・・・
「毋(なかれ・ない・ブ・ム)」は
女性を犯すことを禁ずることをあらわす字形で
「毋」=女+一」
「毋」の類字は
「母(はは・ボ)」
「毌(つらぬく・カン)=貫」・・・238年、魏の「毌丘倹」で「燕王の公孫淵」を「司馬懿」と共に滅ぼした。244年、高句麗の「丸都」を攻めて落した・・・255年、最後は「司馬師」に文欽・文鴦と共に叛したが、逃亡中に安風津の「張属?」に殺された・・・
伊藤博文は1909年10月26日、「安重根」に暗殺されたが・・・全くの「暗重根」である・・・それにしても「父は百姓、林十蔵(重蔵)」だったが、
父の
林重蔵が
↓
蔵元付中間・・・中間=武士の最下級、侍の下、小者の上
水井武兵衛の
養子となり
↓
水井武兵衛が
安政元年(1854年)
周防
佐波郡
相畑村の
足軽
伊藤弥右衛門の
養子となり
伊藤直右衛門と
改名
↓
重蔵
博文
父子も
↓
足軽の
伊藤重蔵
伊藤博文
となった・・・
林(百姓)→水井(中間)→伊藤(足軽)・・・
・・・「足軽の伊藤博文」は、最初は「慎重な朝鮮独立擁護派」だったが・・・韓国を取り巻く、西洋帝国主義的列強の国際情勢の中で「日本の選択」は緊迫していた・・・
ーーーーー
↓↑
「舎人」
「皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた者。その役職」、「との(殿)い(入)りの音変化?」との説があるらしい。ならば、ボク的には「訳之意(トノイ)・伝(デン・傳)入」である・・・中国語では漢字そのものの「舎=𠆢+土(十一)+口」意味で、厩(うまや・馬小屋・馬舎・馬飼いの宿舎、厩舎)であり、「貴人の馬の口取りをする人」である・・・律令制度の日本では「大舎人(おほどねり)・内舎人(うどねり)・小舎人(こどねり)」などの序列があった。「駅舎・官舎・厩舎(キュウシャ)・校舎・宿舎・ 精舎(ショウジャ)・病舎・兵舎・茅舎(ボウシャ)・寄宿舎」で、「 軍隊の一日の行程」、「三舎 」、「寄宿舎」の略、「舎監」、「自分の身内を謙遜していう語・親族で自分より目下の者。舎弟」・・・
詰まる所、「写人=シャジン=舎人」で、「舎人」は「記録係」の意味となった、である・・・
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旧約聖書
エズラ記・・・以斯拉記
第2章
2:1
バビロン・・・葉備論(賂務)
の王
ネブカデネザル・・・禰武掛出音挿(指)留
に捕えられて、
バビロン・・・葉備論
に移された者のうち、
捕囚をゆるされて
エルサレム・・・重留作(差)例務
および
ユダ・・・委太・指田・湯田・弓田
臾(臼人)拿→碓人→小碓・倭男具那
諭拿・喩拿
に上って、
おのおの
自分の町に帰った
この州の人々は
次のとおりである。
2:2
彼らは
ゼルバベル、・・・是留葉部留
エシュア、・・・重取蛙
ネヘミヤ、・・・音経視哉
セラヤ、・・・施等哉(埜)
レエラヤ、・・・例重等埜
モルデカイ、・・・漏留出甲斐(解)
ビルシャン、・・・備留写務
ミスパル、・・・視素葉留
ビグワイ、・・・尾具和意・・・本居宣長
レホム、・・・例補ム(武・謀・務)
バアナ・・・葉蛙名
と
共に帰ってきた。
その
イスラエルの民の
人数は次のとおりである。
2:3
パロシ・・・葉賂詞
の子孫は
二千百七十二人、
2:4
シパテヤ・・・施葉弖(氐・弟・頽・出)哉
の子孫は
三百七十二人、
2:5
アラ・・・蛙等・阿等・吾等・新等・荒
の子孫は
七百七十五人、
2:6
パハテ・・・葉把弖(氐・手)・・・馬羽弖
・
モアブ・・・摸蛙伏(部)
の子孫
すなわち
エシュア・・・重取蛙
と
ヨアブ・・・与阿武
の子孫は
二千八百十二人、
2:7
エラム・・・重等務
の子孫は
一千二百五十四人、
2:8
ザット・・・指(挿・覚・座・坐)通訳
の子孫は
九百四十五人、
2:9
ザッカイ・・・指(挿・覚・座・坐)
通
解・歌意・下意・掛意
甲斐・蝦夷
海・会(會)→会津
の子孫は
七百六十人、
2:10
バニ・・・・葉(馬・羽・芭・把)
似(爾・邇・迩・耳・尼)
群馬・奥羽・芭蕉・把握
の子孫は
六百四十二人、
2:11
ベバイ・・・俳唄・部葉意・辺歯(罵)意
の子孫は
六百二十三人、
2:12
アズガデ・・・蛙事臥(画・雅・賀)出
の子孫は
一千二百二十二人、
2:13
アドニカム・・・蛙(阿・吾)土似掛務
の子孫は
六百六十六人、
2:14
ビグワイ・・・尾(備・美・靡・琵・毘)
具(愚・虞)
話(和・倭・羽)
意
の子孫は
二千五十六人、
2:15
アデン・・・蛙出務
の子孫は
四百五十四人、
2:16
アテル・・・当てる・充てる・宛てる・中てる
蛙氐(弖・手・𠂤)留
氐=氏+一・・・得字の一(哉)
弖=弓+一・・・諭観の一(哉)
の子孫
すなわち
ヒゼキヤ・・・比是記哉(埜)
の子孫は
九十八人、
2:17
ベザイ・・・俳指(挿)意
の子孫は
三百二十三人、
2:18
ヨラ・・・与等
の子孫は
百十二人、
2:19
ハシュム・・・葉取(種・諏・首)務
の子孫は
二百二十三人、
2:20
ギバル・・・義葉留
技葉留
の子孫は
九十五人、
2:21
ベツレヘム・・・別(捌)例経武
ベ=俳・部・辺・邊
の子孫は
百二十三人、
2:22
ネトパ・・・音訳葉
の人々は
五十六人、
2:23
アナトテ・・・蛙名訳堆(弖・氐)
の人々は
百二十八人、
2:24
アズマウテ・・・東撃て
蛙事万得堆(𠂤)
吾妻得弖(氐)
の子孫は
四十二人、
2:25
キリアテ・・・記理蛙堆(弖・氐・出)
・
ヤリム、・・・埜理務
ケピラ・・・・懸比等(羅・蠃)
および
ベエロテ・・・俳重賂出
の子孫は
七百四十三人、
2:26
ラマ・・・・・等万(萬・馬・摩・磨・真)
および
ゲバ・・・・解葉・下馬・刈葉・外葉
の子孫は
六百二十一人、
2:27
ミクマシ・・・見句馬史
の人々は
百二十二人、
2:28
ベテル・・・俳出留
および
アイ・・・蛙意
の人々は
二百二十三人、
2:29
ネボ・・・音模
の子孫は
五十二人、
2:30
マグビシ・・・万具備詞(施)
の子孫は
百五十六人、
2:31
他の
エラム・・・重等務
の子孫は
一千二百五十四人、
2:32
ハリム・・・葉理務
針務・・・三浦按針
の子孫は
三百二十人、
2:33
ロド、
ハデデ・・・葉出弟(頽=くずれ・タイ・デ)
頽廃
および
オノ・・・各・尾野・小野・小埜
𨨞・自・斤・斧
の子孫は
七百二十五人、
2:34
エリコ・・・重理拠
の子孫は
三百四十五人、
2:35
セナア・・・施名蛙
の子孫は
三千六百三十人。
2:36
祭司は、
エシュア・・・重首(取・諏)蛙
の家の
エダヤ・・・重太(拿)哉
の子孫
九百七十三人、
2:37
インメル・・・意務目留
の子孫
一千五十二人、
2:38
パシュル・・・葉集留
の子孫
一千二百四十七人、
2:39
ハリム・・・葉理務
針務
張務・・・張政・朝清
の子孫
一千十七人。
2:40
レビ・・・例備
びとは、
ホダヤ・・・補拿哉(埜・夜)
の子孫
すなわち
エシュア・・・重取出
と
カデミエル・・・歌(掛・化・仮)で見える
の子孫
七十四人。
2:41
歌うたう者は、
アサフ・・・蛙作(差)附
の子孫
百二十八人。
2:42
門衛の子孫は、
シャルム・・・写留務・舎留務
の子孫、
アテル・・・当てる
の子孫、
タルモン・・・太留文・・・太安万侶の文
足文・多留(樽)摸務
の子孫、
アックブ・・・蛙通句部
の子孫、
ハテタ・・・葉氐(弖)多
の子孫、
ショバイ・・・書葉意
処梅・・・梅里→徳川光圀
諸唄・・・和歌・民謡・節
の子孫
合わせて
百三十九人。
2:43
宮に仕える
しもべたちは、
ヂハ・・・散葉・字葉
の子孫、
ハスパ・・・葉諏葉
の子孫、
タバオテ・・・束(把)尾出
他葉尾弖
の子孫、
2:44
ケロス・・・懸賂素
の子孫、
シアハ・・・詞蛙葉
の子孫、
パドン・・・葉呑・葉曇・葉ドン・・・鹿児島弁
の子孫、
2:45
レバナ・・・例葉名
の子孫、
ハガバ・・・葉臥場・「芳賀・羽賀・波賀」場
の子孫、
アックブ・・・蛙通句部
の子孫、
2:46
ハガブ・・・葉臥部
の子孫、
シャルマイ・・・写留毎
写留万意
舎留馬意
捨留妹・・・捨松の妹?
社留舞
の子孫、
ハナン・・・葉名務
の子孫、
2:47
ギデル・・・義出留・擬出留・疑出留・魏出留
妓出留
の子孫、
ガハル・・・臥葉留
の子孫、
レアヤ・・・例文・例蛙哉
の子孫、
2:48
レヂン・・・例訊・例壬(壬申の乱・不破の関)
の子孫、
ネコダ・・・音拠拿
猫拿
根子拿
の子孫、
ガザム・・・臥指(挿)務
の子孫、
2:49
ウザ・・・宇座・右座・胡挿(指・覚)
の子孫、
パセア・・・・葉施蛙・覇施蛙
「長谷・初瀬」蛙→雄略天皇
頗施蛙(阿・亜)
の子孫、
ベサイ・・・部歳・部差(作)意
の子孫、
2:50
アスナ・・・明日菜・明日名・・・明日香・飛鳥
阿須那・蛙素名・・・阿蘇那
の子孫、
メウニム・・・目得似務
の子孫、
ネフシム・・・音節務・音附詞務
音伏詞務・・・八木節・安来節
の子孫、
2:51
バクブク・・・葉句部句
幕 武苦
場句武句
婆句武句
罵句武句・・・阿武=則天武后
の子孫、
ハクパ・・・・葉句場
白馬・薄葉・柏葉
の子孫、
ハルホル・・・葉留補留
の子孫、
2:52
バヅリテ・・・葉刷り出
の子孫、
メヒダ・・・・目比拿・目比太
女襞(飛騨)
の子孫、
ハルシャ・・・葉留写
の子孫、
2:53
バルコス・・・葉留拠素
の子孫、
シセラ・・・詞施等
史施蠃(始皇帝)
の子孫、
テマ・・・出万・手間・弖馬
の子孫、
2:54
ネヂア・・・音字吾(蛙・阿)
の子孫、
ハテパ・・・葉弖葉
の子孫である。
2:55
ソロモン・・・素賂文
の
しもべたち
の子孫は、
ソタイ・・・素碓・素替・素他意
素鯛
の子孫、
ハッソペレテ・・・頗通素経例出
の子孫、
ペリダ・・・経理拿
の子孫、
2:56
ヤアラ・・・埜蛙等
の子孫、
ダルコン・・・拿留言
の子孫、
ギデル・・・義出留
の子孫、
2:57
シパテヤ・・・司馬出埜
の子孫、
ハッテル・・・葉通出留
初照・捌氐留
の子孫、
ポケレテ・・・補懸例出
・
ハッゼバイム・・・葉通是馬意務
の子孫、
アミ・・・蛙見・蛙見
編・阿見・網
の子孫。
2:58
宮に仕えるしもべたちと
ソロモン
のしもべたちの子孫とは
合わせて
三百九十二人。
2:59
次にあげる人々は
テル・メラ、・・・照・女等
手留・女裸
テル・ハレサ、・・・照・晴れ差
ケルブ、・・・懸留部(武)
アダン・・・・蛙段・吾譚・阿談・・・稗田阿礼
および
インメル・・・隠目留
から
上って来た者であったが、
彼らは
その氏族と
その血統とを示して、
そのイスラエルの者であることを
明らかにすることができなかった。
2:60
すなわち
デラヤ・・・出等埜
の子孫、
トビヤ・・・訳備埜
の子孫、
ネコダ・・・音拠拿
の子孫で
合わせて
六百五十二人。
2:61
祭司の子孫のうちには
ハバヤ・・・葉場埜
の子孫、
ハッコヅ・・・葉通拠事
の子孫、
バルジライ・・・葉留字等意
の子孫があった。
バルジライ・・・葉留字蠃意
は
ギレアデ・・・疑(義・技)例蛙出
びと
バルジライ・・・葉留字等意
の娘たちのうちから
妻をめとったので、
その名で呼ばれることになった。
2:62
これらの者は
系譜に載った者たちのうちに
自分の名を尋ねたが
見いだされなかったので、
汚れた者として、
祭司の職から除かれた。
2:63
総督は彼らに告げて、
ウリム・・・得理務
売り務・胡理務・瓜務
と
トンミム・・・遁視務・訳務見務
を身につける
祭司の興るまでは、
いと聖なる物を
食べてはならないと言った。
2:64
会衆は合わせて
四万二千三百六十
人であった。
2:65
このほかに、
しもべ
および
はしため
合わせて
七千三百三十七人、
また
歌うたう
男女
二百人あった。
2:66
その馬は
七百三十六
頭、
その騾馬は
二百四十五
頭、
2:67
その
らくだは
四百三十五
頭、
その
ろばは
六千七百二十
頭あった。
2:68
氏族の長
数人は
エルサレムにある
主の宮の所にきた時、
神の宮を
もとの所に
建てるために
真心よりの供え物をささげた。
2:69
すなわち、
その力に従って
工事のために
倉に納めたものは、
金
六万一千
ダリク、・・・拿理句・拿陸
銀
五千
ミナ、・・・視名
祭司の衣服
百かさねであった。
2:70
祭司、
レビ・・・例備
びと、
および
民のある者は
エルサレム
および
その近郊に住み、
歌うたう者、
門衛
および
宮に仕える
しもべたちは
その町々に住み、
一般の
イスラエルびとは
自分たちの町々に住んだ。
ーーーーー
・・・紀三十巻・系図一巻←行方不明・・・