「ブロガーによる歴史探訪情報発信」Dコースに参加させていただき
歴史ブロガーの「木曽殿最後の地・膳所を訪ねて」の史跡探訪記です。
以下、各地のレポート記事へのリンクとなっています。
『名もなき尼僧』この尼が美しく武勇に優れた側室の、巴御前(ともえごぜん)が名を隠して墓を守ったのである。
芭蕉の句「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」「古池や蛙飛び込む水の音」
伊勢の俳人又玄の有名な句「木曽殿と脊中合わせの寒さかな」
膳所城は、関ヶ原合戦の翌年(合戦後、最初に建てた城)、東海道・瀬田橋・琵琶湖水運などをおさえる要衝として、徳川家康が築城の名手藤堂高虎(とうどう たかとら)に「初めて天下普請の城」。本多佐渡守正信は、瀬田の地では東海道を押さえても、湖上水運を押さえられないことから、膳所の地に。
膳所城は、東海道の名勝として、屏風や図絵にも描かれ、街道を行き来する旅人は、「瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼし) 水に映るは膳所の城」と唄われるほどでの雄姿でもありました。
次回7/28 Eコース:「歴史ブロガーの「瀬田橋をめぐる攻防の地を訪ねて」・・・瀬田唐橋・近江国庁跡・堂ノ上遺跡など 」 をお楽しみに