(現地案内板より) |
徳川家康は、領国江戸と京・大坂をしばしば往復し、その都度柏原宿を通過している。 当初は柏原宿の土豪西村勘助の屋敷を宿舎として利用していた。
柏原御殿は、近江に4個所(水口御殿=水口城、伊庭御殿、永原御殿、柏原御殿)設けられた将軍家上洛の時に使用する御殿(御茶屋)として、元和9年頃に建築し、寛永3年大改修をして完成し、元禄2年に柏原御殿は廃止となった。
余談だが、柏原宿の地は交通の要衝でもあったため、古くは豊臣秀吉の蔵入地、その後は徳川幕府の直轄地であったが、享保9年には大和郡山藩領となり明治に至った。
柏原御殿は、中山道柏原宿の南外れにあり、現在は緑地駐車場となっている。 道路脇には案内板と石碑があり、その背後に御殿の井戸だけが残っている。
御殿跡は、これと云って見るべきものはないが、柏原宿は江戸時代に約500軒もの店や宿がひしめく中山道の中で大規模な宿場町であった。 旧中山道に面した通りは、宿場町の風情を今でも堪能することが出来る。
柏原宿は、柏原駅から西側の旧中山道沿いに江戸時代の面影を残す町並みが続き、歴史資料館もある。 また、清滝の清滝寺には、近江守護京極氏の墓所がある。北畠行基の墓所もある。
鉄 道: | JR東海道本線柏原駅~徒歩 |
車 : | 名神高速米原IC~国道21号線~旧中山道(町道) |
駐車場: |
なし。(御殿跡の小公園前に路上駐車) |
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