軽野神社の東の竹藪に狩野城
お城のデータ
所在地:愛知郡愛荘町蚊野 (愛知郡秦荘町蚊野) map:http://yahoo.jp/PSoWCb
目標地:狩野神社
区 分:館(平城)
現 状:竹林
遺 構:土塁
築城期:室町時代中期
築城者:狩野将監
駐車場:狩野神社参拝者駐車場
訪城日:2013.10.7
軽野神社の無料駐車場 普通車5台可
竹林の両側に土塁が残る
お社の後から竹藪に
南側の大きな竹林に土塁・堀跡が残る
堀跡と土塁(北側)
館の礎石か・・・?
お城の概要
浅井氏の家臣、狩野氏の居城です。竹藪の中には南北に堀と土塁が残っているお城。
軽野神社から東側の水田を隔てて南北に約60m程の竹藪がある。
この竹藪辺りが「城の西」と呼ばれる小字で、ここから東側の狩野地区が狩野城の城域であった。
竹藪の北端に小さな神社の社殿があり、ここから竹藪内へ入る。 孟宗竹が綺麗に管理されているが、そこには、南北に土塁と空堀が残っていて、土塁南端には物見櫓台であったのだろうか、北側の土塁より一段高く厚みもあった。
北側の竹藪
削石が集められ
加工された石(手水石か)
お城の歴史
『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「愛知郡秦荘町蚊野」、創築年代は「室町時代中期」、創建者は「狩野将監」、形式は「館」です。城の歴史は「(前略)城跡は単郭で、西側と南側の一部に土塁が残されており、特に西側は高さ1.2m、幅2~3mの土塁が二条南北に走り、その間約2mが堀の痕跡となっている。しかし、西側の土塁は、近年その一部が圃場整備に伴い削られてしまった。
(中略)狩野氏については、明応六年(1497)の『永源寺文書』中に狩野将監の名が出ており、また、観音寺騒動で、六角氏に抗した布施氏が江北の浅井氏と通じて蒲生野(布施山城の戦い)で戦った際に、浅井氏に従い、その五番隊として活躍したことが記録に残されている。」とある。
軽野神社一の鳥居
ノミの跡
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、日本城郭体系11
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!