倭神社
倭神社は、大津市滋賀里三丁目字天塚に所在し、京阪電鉄滋賀里駅の北方約500mの小丘上に位置する。祭神は天智天皇の皇后である倭姫と伝えるが、おそらくこの小丘上の本殿の改築の際、朱の痕跡が認められる花崗岩の板石が五~六枚発見されたことなどから古墳と考えられ、その被葬者が倭姫だとする伝承によるものであろう。江戸時代の記録によると、天正19年(1591)及び宝永7年(1710)に赤塚大明神として再興されたという。
現在、墳頂には南向きの一間社流造りの簡素な本殿が建ち、本殿へいたる参道の石段付近の東側にクスノキ、西側にケヤキの巨木がみられ、それらは昭和51年(1976)12月1日付けで大津市保護樹木に指定されている。
また、この古墳は「赤塚古墳」と命名され、地籍図等の復原による東向きの前方後円墳か、もしくは近年の測量調査による直径30~40m、高さ2.5~4.0mを測り円墳と思われ、築造年代は古墳時代中期の五世紀前半頃と推定されている。
この神社は、通称「赤塚の明神さん」の名で滋賀里地区全域の住民に親しまれており、御例大祭は9月23日で、宵宮祭には江州音頭による踊りが平成8年まで催されていましたが、現在は行われていません。
被葬者が祭神・皇倭姫(天智天皇后)と伝承されている赤塚(または天塚)と呼ばれる古墳の墳丘上にある。赤塚は前方後円墳で、その後円部の頂上を削平して社地を営んでいる。 南向きの簡素な社殿のみがある |
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