城郭探訪

yamaziro

山上城Ⅱ 近江国(甲賀・水口)

2014年05月01日 | 平山城

所在地 滋賀県甲賀市水口町山上 map:http://yahoo.jp/o3eDD2

区 分:丘陵城

標 高:230m  比高差30m

城主: 山上氏 

目標地:山上公民館・地蔵院

訪城日:2014.5.1

ハイキングコースから

歴  史  

詳細不明。

現 状

山上城IIは広徳寺のある山塊から舌状に東へ伸びた丘陵の一つに築かれている。谷を挟んで北側には山上城がある。

一般的に甲賀地方には方形に近く土塁を伴った曲輪を持つ城館が多いが、この山上城IIは堀も土塁も見あたらず、切岸加工と削平のみである。

山上城IIは東西二段の曲輪があり、東下から南側にかけて帯曲輪が巡らされているのみであるが、切岸や削平はしっかりしている。

又、城域、遺構のギリギリまで近世に開削され、訪城は楽ではあるが当時の城域は推測するしかない。 

登城口は2つある、民家の裏山

ここからは、北側に土塁があり、小郭を囲んでいる。

ハイキングコースからは、正面に土塁、右に城道は基壇ことに大石の虎口が

切岸の下の郭 大石で虎口大石で虎口

山上城Ⅱ(遠景)・・・旧信楽古道の若宮神社から

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!


杉谷城(杉谷屋敷) 近江国(甲賀・甲南)

2014年05月01日 | 平山城

 

お城のデータ

所在地;滋賀県甲賀市甲南町杉谷 map:http://yahoo.jp/FdWHM0

現 状:山林 

遺 構:曲輪・土塁・空堀・堀切道

築城者::杉谷氏

築城期:戦国期

目 標;県道4号線杉谷南信号西すぐ、「オールマの資材置き場」

訪城日:2014.5.1

お城の概要

杉谷城は、杉谷川の北、杉谷集落のすぐ西側丘陵上に築かれていた。この丘陵は集落は県道4号線で分断され、新名神高速と県道4号線の間、杉谷南の信号を西すぐ民家が2戸建っており、道路はさんでその北は曲輪。登城する。

縄張は、東西に地割れのような堀が走り、それを境に南に2つ、北に3つ整然と曲輪が並ぶ。これは寺坊を城塞化したカ?。
 甲賀特有の一郭を要し、虎口は土塁を設け、最高所は櫓台カ?

東の虎口の土塁や堀切は不充分で、防御施設も非弱である、後世に、資材置き場に開削された為かも?。

『日本城郭体系 11』によりますと、

所在地は「甲賀郡甲南町杉谷」、創築年代は「天正二年(一五七四)」、形式は「山城」です。城の歴史は「杉谷屋敷は、甲南町大字杉谷の西方の山腹にある。採土のため半壊しているが、西面土塁(高さ四m)と、南北土塁が一部残存し、西面土塁は山麓を削り、城郭を独立させるために空堀がある。また、北面には、平坦地が確認でき、西側中央に井戸がある

お城の歴史

 甲賀五十三家の杉谷氏の城。杉谷氏は近江甲賀五十三家の一つ杉谷氏に関係する人物ともされる。

杉谷善住坊 http://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/c789cb0083a9cf5ec8fed9510d3ad326

元亀元年(1570)織田信長が「金ヶ崎の退き口」で京へ退却。その後京より岐阜へ戻る道として千草越えした際、善住坊は六角承禎(義賢)に依頼され信長を鉄砲で狙撃して暗殺を企て失敗した。善住坊は逃亡したが潜伏先の近江国高島郡で捕縛され、鋸挽きの刑に処せられた。

    

 

杉谷城土塁(笹)から

杉谷城(遠景)土塁(笹)左側から登城オールマの資材置き場の横に路上駐車

杉谷南の信号西ですぐ

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城、本城郭体系 11

本日も訪問、ありがとうございました。