所在地:彦根市仏生寺町 map:http://yahoo.jp/YS_RPF
区 分:山城
現 状:山林・廃村
遺 構:矢倉台、曲郭、土塁
築城期:南北朝期
築城者:畑氏
城 主:畑 城左エ門
訪城日:2014.5.9
お城の概要
一説には「年貢道」と云われる裏街道が近くを走っており、間道の押さえとして築かれたとの考えられる。
多賀の町から彦根鳥居本に間道の押えの砦・城して利用、中山道の間道の監視目的の城であるという側面はあり、こうした間道を押さえるだけなら小さな砦・城である。
「ふるさと鳥居本」(彦根市鳥居本学区自治会刊)の仏生寺の記述には「金亀城(仏生寺城) 鳥居本村大字仏生寺の山上にある。今は城山(引用者者※的場。下屋敷、中屋敷、上屋敷、内屋敷、殿屋敷、大街道、浄土山、看観など総称して城山)と称す。また其の南方なる小字勘定谷にも一砦跡あり城跡と伝わる」とある。
城山と称する山地は現在山麓の小字坂屋へ挙家移転した旧仏生寺の集落で、いわゆる家屋敷跡であるが、その一角に城跡と称すにふさわしい遺構が残る。櫓台跡の小高い凸地を残して削平され、南へ向けて舌状に張り出している。これが佛生寺城の中枢であった。
そこから谷を隔て南尾根筋に「ふるさと鳥居本」にある一砦跡が存在するが、その遺構は山尾根を削平、尾根と並行して土塁を設け120mにも及ぶが明確とはいい難い。
歴 史
佛生寺城主を『淡海国木間攫』には、畑 城左エ門としているが、隣村の荘厳寺城主として『大洞弁財天古城主名札』畑 四朗左衛門の名の見られ、同一人物と考えられる。
No.1佛生寺城
No.2山上砦(詰め城)
間道脇の佛生寺城No.1
石仏
砦跡
見張り櫓か
郭跡
廃村に今も1軒がお住まい
削平地・・・郭跡
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』5(旧愛知・犬上郡の城)・『淡海国木間攫』・『大洞弁財天古城主名札』・『ふるさと鳥居本』
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