湯屋城
比定地の水田
お城のデータ
- 所在地:東近江市(旧・愛知郡湖東町)湯屋町 map:http://yahoo.jp/G2dG_y
- 現 状:田地 区 分:平城
- 築城期:織豊期
- 築城者:中井新之亟か?
- 遺 構: 不明
- 目標地:多聞寺
- 駐車場:農道に路上駐車
- 訪城日:2016.4.12
- お城の概要
- 湖東平野の百済寺にちかく、また多聞寺の近くに比定地されているが、今は圃場整備で城址・遺構は確認出来ない。
- お城の歴史
- 『淡海国木間攫』には「愛知郡 湯屋村 昔中井新之亟ト云、平松村城に有シ新之亟ト同人不明成、左屋敷跡アリト云、此所ノ領主タルベシ、」と記す。
- 『佐々木南北諸氏帳』には、「愛知郡 湯屋 佐々木義賢兵 中井新之亟」の名を記す。
- 『大洞弁天当国古城主名札』に湯屋村屋敷主とそて中居新之亟の名がみえる。
- 百済寺が要塞化していき、池尻館や湯屋城と共に支城的役割を担ったか?。
- 湯屋山 多聞寺 527-0103 滋賀県東近江市湯屋町
- 資料によると「多聞寺は東押立村大字湯屋にあり、天台宗なり。本尊多聞天なり開基年月詳ならず。大字共有古記に境内9畝22歩高壹石斗1升4合。堂24坪とあり。大正元年暴風に轉倒し同11年現在の地に移転新築す。」とある。
多聞寺が建立される以前は、普門寺という百済寺の末寺があったが、鯰江城の戦いで百済寺と共に信長によって焼かれた。
平成4年、多聞寺の各仏像を修復された時、釈迦如来像の台座から次のことが記録されていた。『釈迦像を造立することは南山の願いであった。仏像を造るための資金を勧進したところ、丁銀三文目出来た。南山は頼右衛門と云う。南山の弟子春冬が銀子一文目出して助力した。元和4年(1618)戊午の4月8日(丙刀の日)午前11時より午後3時の間開眼した』と記されていた。以上の記録より普門寺は信長によって焼失してから50年近くたって南山によってお釈迦さんの仏像を造立して開眼されている。南山はこの当時多聞寺の住職であった。
この記録からして多聞天を本尊とする多聞寺は、すでにこの年以前に再建されているので、400年近い歴史があることになる。
現在は地区公民館内(多聞寺所有地)に一室が仏間として設けられ、下記行事の他、毎月行事が行われ、ボンサンと呼ばれる係員(1年交代)が1年間本尊多数体の尊像の給仕をしている。 - 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査5「旧愛知・犬上郡の城」、遺跡ウォーカー 『日本城郭大系』11。
- 本日の訪問ありがとうございす!!