お城のデータ
所在地:蒲生郡日野町内池 map:http://yahoo.jp/VpmzGV
現 状:宅地・畑地
区 分:居館
築城期:室町期?
築城者:馬渡氏・
遺 構:ー
目標地:鈴木神社・照光寺
駐車場:鈴木神社前の路上駐車
訪城日:2016.4.8
お城の概要
『近江蒲生郡志』(巻三)には、「内池村の東に在るを馬渡二郎右衛門の邸跡といひ、西に在るを対馬為綱の邸跡といふ、二郎右衛門の邸辺に馬渡の清水馬渡の橋等の名残れり、・・・為綱の邸は四方土居を回らして密竹其上に叢生(そうせい)す、故に高薮又は対馬土居といふ」とし「近江日野町志」(下巻)には、「保障残れり対馬殿の曲廓と称す」とあって少なくも伝対馬守館跡は明瞭な遺構が存在したと思われるが、現在「馬渡講」という真宗門徒の講があるのみ。なお、郡志は、「高い声すなどんどをいふな、前は高薮殿近く」という「土謡」を伝えている。
お城の歴史
『近江蒲生郡志』には、「馬渡氏邸跡 馬渡対島守は蒲生氏の臣なり、代々居住の邸跡は北比都佐村大字内池に在り。」と記す。
蓮如桜の由来
建長3年(1251年)に執権・北条時頼が上洛の途中に当地に 逗留 ( とうりゅう ) したとき庭前の桜を愛観し、扇子に和歌を 詠 ( よ ) み 桜花 ( おうか ) を載せて佐々木 信治 ( のぶはる) に与え、「之を家紋に、また佐々木を改めて花木を姓とすべし」と命ぜられた由来をもつ山桜の一種『虎の尾』で、可憐な八重咲きが特徴です。
応仁元年(1467年)に本願寺第八代・蓮如上人が当寺へ来られた時、上人もまた深く賞覧せられたゆえに、世に名付けて『蓮如桜』と呼ばれています。
照光寺は、應仁二年(1468年)近江源氏の始祖、源扶義卿より十九世の子孫である、花木吉成によって創立された寺院です。
鎌倉時代の宝治元年(1247年)に佐々木信治が戦功によってこの地に住み、北條時頼公の上洛の途次に、信治の館舎(當寺)に停留の時、庭前の櫻花を愛観され、自ら扇子に櫻花を載せ、信治に与えてこれを家紋とし、また佐々木を改めて花木を姓とすべきと命じられました。
室町時代、もともとは武士であった吉成が、文正元年(1466年)本願寺第八世・蓮如上人(慧燈大師)が山門僧兵の難を逃れて、當地に来られた際に出遭い、蓮如上人の高徳を慕って弟子となり、光國坊了明という法名を賜り、常に蓮如上人のそばで大いに蓮如上人の化導を助け、蓮如上人が北越に還させられた後は、専ら面授口決の宗義を弘め、遂に花木寺を創立するに至りました。
永正八年(1507年)、嗣子了欽のとき、本願寺第九世・寶如上人より、父光國坊、宗義の宣布の功を賞し、宗祖・親鸞聖人(見真大師)の真影と、照光寺の寺号を賜り、花木山・照光寺となりました。
照光寺駐車場
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査1、城郭分布調査3、城郭分布調査4、近江蒲生郡志、近江日野町志
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